第51話 湿地帯の異変
第51話~湿地帯の異変~
試験開始から一時間が経過したが、今のところはこれといった変化は見られていない。もちろんエジャノック伯爵が手配したハンターや私兵が湿地帯の内部に入っていったことにより、多少の魔物が湿地帯を出ようと防衛拠点に向かってくることはあったが、そのどれもがさほどの時間もかからずに生徒たちにより駆逐されていた。
しかしそれは当然ことであり、むしろ出来なければ話にならないことだということを全員が理解しているので、誰も特別何かを言うことはない。
そもそも魔物が生息する場所というのは、似通った環境条件が整っていることが前提となっている。その条件というのは一定量以上の魔素と瘴気が存在することだ。
魔素というものは言うなれば魔力を構成するものであり、魔力の最小構成単位とでもいいだろう。星の魔力はアンフェール島にある龍穴からでなければ利用できないが、その上澄みであれば世界中の至る所で発生しているのだ。
もちろんそれは上澄みであり、純度も低く微量であるため利用価値はないが、魔物の発生には非常に重要であるといわれているのだ。そもそも魔物と動物の違いが何かと問われれば、それは魔力を有しているか否かということのみ。
だからこそ魔物という単語は魔の獣と書かれているのだ。
そしてもう一つの発生条件である瘴気であるが、これはまた魔素とは少し毛色が違う。瘴気というのは簡単に説明するのであれば死者から発せられる気。その対義語が精気であることからしてみても死者から発せられるものということはわかる。
生物は死すると後は朽ちていくのみだが、中には死んでもなお自身が持つ膨大な魔力を糧に生きながらえようとする者がいる。それがいわゆるアンデットというものであり、ゾンビやレイス、リッチなどがこれに該当する。
しかしアンデット化は全てが成功するわけではなく、時に生きたいという思いに反し、その膨大な魔力に振り回された結果、アンデットになり切ることが出来ずに魂魄は霧散、後に残された魔力のみがその場に漂うことが起こるのだ。
それこそが瘴気であり、もしそこに一定量以上の魔素が存在した場合、その場所に魔物が発生する。研究者たちは魔物の発生原因を長い時をかけて調査するうち、その結論へとたどり着いたのだ。
もちろんそれは瘴気や魔素があるとはいえ、無から有の創造に等しく、未だに議論は尽きないところではあるが、それでも世界ではその説が最有力となっている。
そんな魔物の発生地では、中心の方に至るほど魔物の強さはあがっていく傾向にある。
オリエンテーリングの行われた大森林もそうだったように、外周部よりも深部の方が魔物は強くなる。その理由は瘴気の発生源により近い方が濃度が高いなど諸説あるが、深部の方が危険であることは間違いない事実だ。
今回の湿地帯の討伐隊の任務は、主に中層にいる魔物の間引き。もちろん不自然に増えた魔物の発生原因を突き止められればそれに越したことはないが、それよりも重要なのは人の住む場所まで現れるようになった魔物への対処だ。
だからこそ討伐隊は安全を確保しながら確実に魔物を駆逐していく。数を減らしたいからと言って無闇やたらに狩ってしまえば、討伐隊に魔物の意識が集中してしまうため危険となる。ゆえに討伐隊は何グループかに別れ、なるべく静かに魔物達の数を減らしていっていた。
「妙だな……」
湿地帯に入って早二時間。ここまでは通常の湿地帯にいる魔物の数は増えている印象だが、比較的順調な経過をたどっていると言っていいだろう。
しかし今回の討伐隊のリーダーを任されているハンター、アルフレッド・ハースは目の前に広がる湿地帯の様子に明らかな違和感を感じていた。
これまでもアルフレッドは湿地帯に何度か足を踏み入れているが、生息している魔物の個体が明らかに変わっている。
過去にここで発見した魔物はカエル型や蛇型などの爬虫類種や、カバ型や鰐型の沼地に生息する魔物、そして野鳥のような鳥型の魔物が主だった。
しかし今はその様相が全く変わっており、もちろんそれらの魔物も生息はしているのだが、その個体数は明らかに少なく、それに代わった者達が今の湿地帯の覇権を握っているのだ。
「くそっ!またアンデットか!!」
「形からしてここに生息していた魔物がアンデット化したようですけど、こんな数のアンデットみたことないですよ!?」
討伐隊のメンバーが再び接敵して魔物に対して、たまらずにそんな声をあげる。正面から現れたのはカバ型の魔物のアンデットが二体。加えて上空からは鳥型の魔物のスケルトンが五羽。
現れた魔物に対し、動揺しながらもハンターたちは一斉に動き出し戦闘隊形へと移っていく。
彼らとて皆一流のハンターであり、今回エジャノック伯爵に雇われたハンターのランクは全員銀以上だ。その中でもアルフレッドは金級に近いハンターとして有名であり、それゆえに今回の討伐隊でもリーダーという大役を担っているのである。
戦闘のは魔術師の中でも魔戦術師と呼ばれる、主に属性魔法を軸に戦う者達の遠距離攻撃で始まった。このスタイルは他のスタイルとは違い、一番魔術師という名がふさわしいとされるスタイルであり、実際世の中では一番の人気スタイルとも言われている。
シルフィもこのスタイルに属しており、そのせいもあってそれまでも人気ではあったが、魔導大戦以降の人気はさらにうなぎのぼりだ。
討伐隊のメンバーで魔戦術師は計五名。その者達から一気に炎属性の炎弾が上空からこちらに襲い来る鳥型のスケルトン達を燃やし、その全てをあっという間に殲滅する。
その様子を見ることなく飛び出したのはアルフレッドを含めた近接攻撃を得意とするスタイルの魔術師達。
戦槌という超重量級の武器を上段に掲げたアルフレッドは身体強化を使い、自身の膂力を強化。重量武器をもっているとは思えないほどの素早い動きでカバ型の魔物へと近づくと、相手が反応すらできない速度でその頭蓋を叩き割った。
戦い自体はそこで決着がついたと言っていいだろう。もう一体のカバに対しては残りの近接型魔術師が対処をすることで、戦闘開始から数分後には全ての魔物は駆逐されていた。
圧倒的勝利。それ以上に似合う言葉はない戦い。そのはずなのにアルフレッドの表情は一向に冴えない。
「やっぱりおかしい。この場所は異常だ」
リーダーであるアルフレッドのその言葉に、他のハンターたちにも同意を示すように頷いた。
理由はいくつかあるが、何よりもおかしいのは魔物のアンデット化だ。無論、アンデットと化した魔物はこの世界にごまんと存在しているが、こんな形でそこに生息していた魔物が集団でアンデット化するなどアルフレッドは聞いたことがない。
そもそもアンデットとは、この世に強い未練を残した生物が死にきれずに黄泉がえりを果たした姿だと言われている。ゆえにアンデットが発生したとしてもせいぜい一匹や二匹ほど。
たまに集団発生することもあるが、そう言った時にはからならその宿主となるアンデットが存在し、その眷属として下級のアンデットを召喚するのだ。
だが今回のアンデットたちは様子が違う。もとからこの場所に生息していた魔物が、例外なく、しかも満遍なくアンデット化しているのだ。
その事実がアルフレッドの心に疑念を持たせ、湿地帯への深い警戒心を持たせていた。
しかもさらに悪いのが湿地帯を進めば進むほどに濃くなっていく霧だ。エジャノック領側の外周部から侵入したアルフレッド達だったが、この湿地帯がここまで見通しの悪い霧に覆われる光景は見たことがない。
視界が悪ければ敵の襲撃を見落とす可能性が上がる。さらにはアンデットという、これまで湿地帯にいなかったはずの魔物の大量発生を見たアルフレッド達は、未だに中層にも足を踏み入れてはいなかったのだ。
「総員、最大限の警戒をして進め」
声を潜め、警戒のレベルを最大にまで高めたアルフレッドの号令により湿地帯のさらに奥へと歩を進める討伐隊に、さらなる試練が襲い掛かるのは、もう少し後のことだった。




