第145話 合流を急ぐ
第145話〜合流を急ぐ〜
このフリューゲル領でクーデターが起こった。
自身に差し向けられた刺客から得た情報に、最初は耳を疑ったシャーロットだったがそこからの行動は早かった。
「まずはレインとの合流ね」
自身の警戒度を最大限に引き上げながら、シャーロットは住みなれたはずの屋敷の中を疾駆する。
すでにこの短い時間の中でシャーロットを狙ってきたものは片手では収まらない人数となっている。一番安心できるはずの我が家で警戒をしなければならないことになるなど、これまでのシャーロットでは考えられないことだったが、今のシャーロットはあらゆる可能性を考慮して行動することができるようになっていた。
「レイン以外は全員敵くらいに思った方がいいかしらね」
先ほど刺客を切って捨てた短剣を手に、いつでも魔術を行使できる態勢をとりつつそう呟く。
こう言った状況で人を無条件に信じることは自身の命を危険に晒すということを、シャーロットはすでにこの夏休みで学んでいた。
ハンターとして受けた最初の依頼。そこで人の持つ悪意というものを嫌というほど感じ取ったのだ。
世の中には平気で人の善意を食い物にする者がいる。
そうでない者が圧倒的多数であることはわかっているが、それでも誰かを信用するということはそれなりに難しく、また安易な信用は自らを危険に晒すリスクが高いという事実。
平時ですらそうなのだから、このような緊急時にはそう言った危険がさらに大きくなるはずだ。
だからこそシャーロットはレインとの合流を急いだ。
そもそもこの場所、フリューゲル領でクーデーターを起こすなどあり得ない所業だ。フリューゲル家が聖王国内でも一番力を持った貴族であることくらい、この国に住む者は当然として他国ですら知っていることだ。その場所でことを起こしたのだから、当然背景にはそれなりの理由があって然るべき。
「やっぱり帝国絡みかしら?」
そう小さく呟きながら、廊下の曲がり角から突如として現れたメイドを切り捨てる。
切られたメイドは驚愕の表情を浮かべながら、手にしていた槍を取り落としそのまま絶命した。
廊下という死角からの不意打ちを目論んでいたのだろうが、その程度の不意打ちなど今のシャーロットには通用するはずもない。
廊下をそれなりの速度で疾駆するシャーロットとて、曲がり角が危険であることくらい十分に承知している。だからこそその手前で氷魔術により、曲がり角の先を見通していたのだ。
そう、廊下の角に張られているのは薄い、まるで鏡のような一枚の氷。さながらそれをカーブミラーのようにしてシャーロットは死角からの攻撃を察知していた。
「いくら私が家を開けていたはいえ、期間は数ヶ月程度。いくらなんでも知らない顔が多すぎね」
フリューゲル家には貴族という大きな屋敷である以上、使用人の数もそれなりに存在している。確かにその使用人が入れ替わることは珍しくないが、それでもここまで自分を襲ってきた者に見知った顔はいなかった。
思考しながらも、突如として部屋の扉を蹴破って出てきた使用人の男を斬りながらその顔を確認するが、やはりその男もシャーロットの知っている者ではない。
「鼠が入り込みすぎよ。お父さんも何やってるのかしらねっ!!」
近接では分が悪いと悟ったのか、今度は遠距離から弓を打ち込んできたが、シャーロットはそれを最低限度の氷壁で以て防ぎ、同じくこちらも遠距離からの攻撃で以て相手に返す。
「氷弾」
氷弾は文字通り氷の粒を弾丸にして打ち出す魔術だが、初級魔術でありその威力が低いのはもちろん射程も短い。それでもシャーロットはそのデメリットを十分に熟知し、射程のギリギリの距離から敵の急所に向けて氷弾を打ち込んでいく。
熟練の魔術師が相手であるならともかく、ここまで相手をしているのはどれも素人に毛が生えた程度の敵ばかり。その程度であれば、見え透いた急所狙いの攻撃であってもシャーロットの氷弾を防ぐことはまず不可能。
忘れがちだが、シャーロットはこの年で考えれば魔術師として上から数えた方が圧倒的に早いほどの実力者なのだ。周囲にいる者や、直近で相対した敵が異常だっただけで本来そんじょそこらの者に遅れを取ることなどあり得ない。
自身がまだまだだとは思いながらも、そこをしっかりと理解しているからこそシャーロットは必要最低限の体力と魔力で以てこの場を切り抜けているのだ。
「あの二人はどこまで話しに行ったのよ!!」
廊下を走りながら窓の外に視線を飛ばすがお目当てであるレインの姿はどこにもない。二人きりで外で話すと言っていたので中庭あたりにはいるはずなのだが、向こうもこの事態には気付いているはずだ。すでにその場にいない可能性も考えられる。
早くレインと合流しなければと思いながらも、シャーロットは最悪の事態を予感する。もし今回のクーデーターを起こしたのが父親であったなら。
それだけはないと思いながらもどうしてもその考えが頭から離れない。
父親がこの国を大切にしているのはシャーロットとて知っていた。だがしかし、立場からくる重責とプレッシャーもまた知っていた。もしその立場ゆえ、やむを得ない事情があったとしたら。シャーロット自身が知らない何かがあったとしたら。
そんな可能性を考えてしまえばその最悪の可能性を否定し切ることができないのだ。
ハンターである以上、常にあらゆる可能性を想定しろ。
この夏休みにレインから学んだことの一つ。どれだけ低い可能性であっても、どれだけ信じたくない可能性であっても否定し切れないのであればそれを考慮に入れて行動する。
それこそがシャーロットが先ほどから体力と魔力を温存し、最低限の魔術で敵を仕留めている理由だった。
この先誰が敵であってもおかしくはない。例えそれが実の父親であっても今の状況下であればなんらおかしくはない。
敵の数も規模も未知数である以上、この場を切り抜けるためには必要な場面で必要なリソースを割かなければならない。弱い敵に対して余計な魔力を使えば、いざという時に必要な魔術を行使できないかもしれない。
焦り、不安、苛立ち、怒り。
シャーロットの中であらゆる感情が渦巻いているが、それでもそれを理性で以て押し留め、シャーロットは冷静な思考と行動を取り続ける。ただ今は、唯一の信用できる人物であるレインと合流するという目的を達成するためだけに。
「そんなに簡単に人を殺せるようなシャーロット様をみたくはなかった」
それほど大きくない屋敷とはいえ、それでも公爵という貴族である以上は通常よりもはるかに大きい屋敷の廊下であっても終わりはくる。
間も無く屋敷を出て、レインと父親が向かったであろう中庭へと続く扉が見えてきた時、突如として彼女は現れた。
「アンリ……」
見間違えるはずはない。誰よりも、それこそ多忙な家族よりも長い時間を過ごした人物だ。従者であり、幼馴染でもある目の前の人物をどうして見間違えることなどあり得ようか。
「あなた、そこで何をしているのかしら?」
だからこそ自身の目に映るその光景を信じたくはなかった。最近では、ルミエールに入学してからは確かに二人の折り合いはあまりいいものではなかったかも知れない。
レインという規格外に惹かれ、そして初めて対等といえる仲間ができた。それに浮かれていたのも事実で、アンリとの時間はどんどん減っていたし、時には仲間に向けられる言葉に口煩さを感じてしまったことも事実だ。
だがシャーロットはそれも信頼し合える二人だからこそだと思っていた。屋敷の入り口でのレインへの態度も、シャーロットの行きすぎた忠誠心と心配から来るものだと思っていた。今回のことが落ち着いたらゆっくり話でもしよう。それできっといつも通りの関係に戻れる。
しかし、そう思っていたのはどうやら自分だけだったらしいとシャーロットは現れたアンリの出立から悟った。悟らざるを得なかった。
「この国を、世界を、そしてシャーロット様をあるべき姿に戻すためのことをしているだけです」
そう言い切ったアンリの目に、かつて誰よりも信頼を置いていた幼馴染の面影すらないことを分らされてしまう。
アンリの相棒とも言うべき槍を右手に、体にはもはや誰のものなのか分らないほどの返り血がこびついている。極め付きは槍と逆の手に無造作に握られた人間の一部。正確には首だった。
「それは人の母親をそんな風にしてまでしなければならないことって事でいいのね」
「無論です」
問答はそこまでだった。次の瞬間には、一気に高まったシャーロットの魔術が一気にアンリに襲いかかる。
主人と従者。本来ならあり得ないはずの二人の戦いが始まってしまったのだった。




