第138話 フリューゲル公爵領
第138話 フリューゲル公爵領
基本的に貴族の中でも公爵家というのは特別な意味を持つことが大半だ。
国によってその定義は様々ではあるが、公爵家の当主となる者は王家と何らかの血縁関係にあることが多い。親戚であったり、嫁ぎ先であったり、中には隠し子の隠蓑なんていうパターンもある。
ハルバス聖王国は聖教会を頂点とする国ではあるが、それと同時に国王も存在している。
聖教会の教皇と国王。互いに同等の権力を持ち、互いに牽制し合うことでこれまでどちらかが独裁を行うことを阻止してきた。つまりはお互いが抑止力となることで、片方が権力をふるい暴走することを抑えているのだ。
そんな雑妙なトップのパワーバランスの上に成り立つ聖王国ではあるが、当然その二者だけでは国政は行えるはずもない。
中央は治められても地方にまでは手が回らない。そのために国内には様々な貴族がいるのだが、その数いる貴族達を取り纏めているのがフリューゲル公爵家なのだ。
フリューゲル家は自身で表舞台に上がることはないが、他の貴族からの人望は非常に厚く、もしフリューゲル家が本気で国家転覆を図ろうとするならば結果はどうなるかわからないと、聖教会をして言わしめるほどの力を持っていると言われている。
そんなフリューゲル家の次期当主と言われ、その才をも周囲に認められた才女。それこそがシャーロット・フリューゲルに他ならない。
もしシャーロットに何かあれば、それこそフリューゲル家どころか、国内の大半の貴族を敵に回すことになるだろう。
ではもしそれだけ期待をされ、周囲から尊敬を集めているシャーロットがある日突然実家に誰とも知らない男を連れてきたらどうなるか。
「貴様、どうやら本気で死にたいらしい」
フォーサイトからの長旅を終え、フリューゲル家にようやく到着したレインとシャーロットだったが、敷地への門の前で待ち構えていたのは数十人の門兵とそれを率いるシャーロットの従者であるアンリ・ミニスターだった。
あらかじめシャーロットには実家に連絡を入れておいてもらったのだが、その際にレインのことも伝えておいてもらったのだ。
重要な案件のためとは言え、公爵家に訪問をする以上は事前に連絡は必須。そう思ったからこその措置だったのだが、どうにも今の状況を考えると気遣いが裏目に出てしまったようであった。
「ちょっとアンリ。これは一体何なのかしら?」
「シャーロット様は黙っていてください。これはフリューゲル家の従者である私とそいつの問題です」
フリューゲルの広大な屋敷の前で、そう言い放ったアンリはシャーロットの隣にいるレインに対し、これ以上にない殺意を漲らせていた。
通常のアンリであれば、相手が誰であれこのような態度をとることはない。だが今回ばかりは話が違った。
元々シャーロットがレインのことを気にしていることはわかっていたため、ただでさえ気に入らなかった。それに加えて今回、どうやら自分が先にフリューゲル家に戻っている間、シャーロットはレインと一緒にいたようではないか。
しかも今度は同伴で実家に来るなど、そこから考えられることなど一つしかないではないか。
ミニスター家が代々フリューゲル家の従者をしており、フリューゲル家に対する敬意は並々ならぬ物であるのはどの時代でもそうなのだが、ことアンリのそれはもはや狂信とも言えるほどだ。
そんな主人が自分の知らないところで気に入らない相手と一緒にいた。しかもそいつを伴って実家に帰ってきた。
自分が領地にいた間のシャーロットの安否など、様々な不安などもないまぜになり、その全てが今レインに殺意として向かっているというのが今の状況だ。
レインにとって迷惑以外の何者でもないが、どうやらその後ろに控えている門兵たちも殺意のレベルは違えど、レインに対し敵意を持っているのは明らか。これはもうため息をつくしかないというものだ。
「レインは私が招いた客人よ?その人に弓引くことは私に対して弓引くことと同義だとわかっているかしら?」
「お言葉ですが、シャーロット様は私に嘘をつきフォーサイトに残りました。主人が誤った道を歩む時、その道を正すのも従者の務めです。今のシャーロット様の言葉では私を動かすことはできません」
いきなりの正論に言葉を詰まらせるシャーロット。実際、ハンターになるためにアンリが邪魔だったため嘘をついたのは事実。そのせいで一瞬言葉に詰まったのだが、それを見逃すアンリではない。
「シャーロット様とは後でゆっくりお話をさせていただきます。私に嘘をつき何をしていたのか。なぜ嘘をつく必要があったのか。私が納得するまで屋敷を出ることは許可できませんので悪しからず」
もはやどちらが主人なのかわからない様相となってきているが、尚もシャーロットが反論をしようとしたところでようやくレインが口を開く。
「なぁ、一つ聞くが、人に殺意を向けておいて自分が同じようにされないなんてことは思ってないよな」
レインがそう言い終わると同時、周囲の空気が変わった。
それまでただ呆れたようにアンリの言葉を聞いていたレインだったが、自分に対し明確な敵意や殺意を向ける者達に同じようにそれを返したのだ。
レインは身体強化以外の魔術は使えない。身体強化を極めているが故、五芒星の魔術師という世界最強の魔術師ではあるが、それ以外は人の枠を超えるようなことはあり得ない。
だが、それでもレインが放つ殺意や敵意というものは、常人のそれとは一線を画するものであることは言うまでもない。
アンリや門兵とて、フリューゲル家を守ることを生業とするもの達だ。当然しっかりと訓練を受けているし、修羅場の一つや二つは潜っている。並の魔術師に比べれば戦力としては申し分ないほどの力を持っているのだ。
しかしそんな者達であっても、レインの殺気に当てられてその場に立っていられた者はほとんどいない。腰を抜かして座り込むだけならまだマシな方で、大半は気を失いその場に崩れ落ちていってしまっていた。
「なっ……!?」
それまで威勢よく発言をしていたアンリですらも、今では息も絶え絶えに片膝をつき座り込む始末。背後で倒れていく部下の様子を知りながらも、それをどうすることもできない。言葉を発しようにもあまりの空気の重さ、濃密な死の気配に声を出すことすらできずにいた。
「ちょっとレイン!?」
「自分がしていることが返ってきたくらいで倒れるなら最初から余計なちょっかいは出さないことだ。相手の力量を見極める目くらい持て。仮にもフリューゲル家の従者であるならな」
そう言い捨ててあっさりとフリューゲル家の屋敷の敷地へと入っていってしまうレイン。その後を咎めながらもシャーロットが追っていくが、目の前で起きた光景にそこまでの動揺はない。
簡単に言えば、シャーロットはレインという存在に悪い意味で慣れてしまったのだ。これまで決して短くない期間をレインと過ごし、そして規格外の出来事に数多く遭遇した。そのせいで、この程度のことであれば動じないくらいにはなってしまっていたのだ。
それがたとえ、アンリという自分の従者に対してだったとしても。
歩き去るレインを追うシャーロット。しかしシャーロットは気づかない。その背中を冷たい目で見つめる自身の従者の視線に。失望と怒りがない混ぜになった冷たい目に。
ここでもしシャーロットがそれに気がついていれば何かが変わっていたかもしれない。だがこの世にもしはない。
夏休みの後半戦、波乱を含んだ夏の物語はこうして再び幕をあげたのだった。




