第130話 どこまでも格が違う
第130話〜どこまでも格が違う〜
男の名前はシャルフ・オークナー。組織の一員としてまだ年端も行かぬ頃から働き、そして今や幹部にまで上り詰めた成功者だ。
もちろん幹部と言っても幹部の中では下っ端。それでもただの構成員だった頃に比べれば、その立場の差は歴然だ。
部下も自由に使えるようになったしある程度の権限も与えられた。そして金に関してはもはや不自由は何一つなくなった。まさにサクセスストーリーとでも言うのがしっくりくるのではないだろうか。
もっとも、ここまでくるのは決して楽な道のりではなかったし、何より何度死にかけたかもわからない。まだ自身の魔術師としてのスタイルも確立していない頃から命がけの戦いを繰り返し、ようやく魔術をしっかりと扱えるようになってからも死線を幾度となく潜り抜けてきたのだ。
だからこそ自分のスタイルには自信があった。これまで何度も自分の命を救い、そして敵を屠ってきたこの魔操師としてのスタイルにだ。
糸というのは細く脆いが、その分軽く携帯性に優れる。さらに種類によっては視認性が悪く、罠などに用いるにも最適。そんな糸だが、実践レベルにまで持っていくには相当の時間がかかったのも事実。
最大の欠点である脆さを克服するのには果てしない苦労があった。魔力を通してもなかなか強度を保てず、どれだけ研究をしても一般人に対しても捕縛するような強度を得ることは不可能。
切れ味などの付加も試したが、かすり傷程度しかつけられず、実戦ではまるで使えない。
何度諦めようと思ったかはわからないが、シャルフは上へ行くためには人とは違うことをしなければならないとわかっていた。だからこそ諦めずに糸の改良に打ち込んだ。
ただの糸では耐久力が弱いのなら、数本の糸を束ねてみるのはどうか。特殊な編み込みをすることで強度を保つことはできないか。逆に鋭さを出すのであれば、糸をさらに細くし、切断に特化させてみてはどうか。
まさに試行錯誤。幾度となく失敗を繰り返し、その都度戦闘では死にかけた。だが運も味方しなんとか生き残り、数年が経った頃にはシャルフの糸は究極に至っていたのだ。
縛れば何者にも切ることは叶わず、切ればあらゆるものを両断した。糸ゆえの細さで敵に感知されることもほとんどなく、仮に感知に優れた魔術師がいたとしても、直前までただの糸にしておけば魔術的な感知は不可能。罠にかかった段階で糸に魔力を流すことで、その威力を発揮させれば誰にも気づかれることもない。
まさに無敵。魔操師として成熟したシャルフは直接的な戦闘、隠密による暗殺など、あらゆる任務を楽にこなせるまでに成長したのだ。
そして手に入れた組織の幹部という席。世界を裏で支配する巨大な組織の幹部という、裏で生きる者であれば喉から手がでるほどの地位。
それでもシャルフは満足してはいなかった。自分の力があればまだ上を狙える。今はまだ幹部でも下っ端だが、ゆくゆくは幹部の中でも上位、そして中央へ行く。
そんな野心に燃えていた。だからこそ今回の任務に関しても楽勝だとは思いつつも慢心はなかった。
組織が今や世界のトップであるハルバス聖王国の失墜を狙い実行している作戦の一つ。その一つが何者かに嗅ぎつけられ、すでに聖王国内の拠点は陥落。
マリットの中継点も危険であるため、護衛と撃退という任務を与えられたのだ。
シャルフには自信があった。例え誰がこようと、難なく対処できるだろうと。屋敷内には自身の糸を張り巡らせ、部下も選りすぐりのものを連れてきた。
これでしっかりと結果を出せば、さらに上を狙えるチャンスも出てくる。
そう思っていたのに、現れたのはまさかの化物。これまで糸を完成させてからは一度として破られたことのない、張り巡らせた糸の罠を破って見せた。しかも、一度捉えたにも関わらず、力技で脱するという異常性。
「お前は、なんだ……?」
ようやく絞り出した言葉はそれだけだった。対するレインは、腕だけでなくその他の絡みついていた糸も容易く断ち切っていく。
刃物などは一切使うことはなく、ただ自身の体を動かすという力のみでそれを行なっているのだ。今レインを捉えていた糸は例え大型の魔物であっても動きを完全に止めるほどの強度を誇るシャルフの自信作。それを引きちぎるなど、もはやシャルフの目にはレインが人の皮を被った化け物にしか見えなかった。
「そんなことを言うわけがないだろう?一応立場的には俺はここに侵入してきた奴なんだからな」
至極もっともな意見ではあるが、シャルフにとってはただの理不尽でしかない。
「さて、情報を吐いてもらおうか」
一歩、レインが足を進める。それに伴いシャルフは一歩足を下げた。
まだ戦ってはいないが、こんなもの戦うまでもない。あの糸をあんな風に破られた時点で、力の差は歴然なのだから。
「来るな……」
「断る。俺はお前から情報を吐かせる必要があるからな。嫌なら精々足掻いて見せろ」
戦う前から格付けは済んでいる。もはやシャルフにレインに戦いを挑む度胸はない。おそらくレインは知りたい情報を返せば、シャルフを殺すことはないだろう。それはここまで話をした感じでわかる。
だがそれをすれば、今度は組織から命を狙われることになるのは必然。あの組織は裏切り者へ容赦はしない。勝てない相手だったという言い訳など通用しない。それならば戦って死ねと言われるのがオチだ。
「俺が知りたいのはゴースデル商会とキドニー商会の繋がり。半魔人の販路と行き先。裏で糸を引いている黒幕。そして」
そこで一度言葉を切ったレインはさらに一歩シャルフに近づいた。同じようにシャルフも下がるが、広い屋敷とはいえここは廊下。そこまでの広さがあるわけもなく、すぐに背中は壁についてしまう。
「お前達の組織の詳細だ」
レインがそう言い終わると同時、シャルフは賭けに出た。
自身の持つ全ての糸を同時に展開し、全てをレインの捕縛に使う。もちろん全力でのその行為も無駄だとはわかっている。シャルフが全力を以て捕縛に回した糸の量を考えれば、例え龍種であっても動きを止められる自信があった。だが、果たしてそれでレインをどの程度足止めできるかはわからない。
だからこその賭け。わずかでも足止めすることが出来れば逃げきれるという可能性が出てくる。もちろんその場合、キドニー商会は堕ちるだろうが、それでも自分の命には変えられない。
もちろん組織からは制裁を受ける可能性はあるが、それでも生きていればまだ挽回の余地はある。それに組織の情報を渡さないだけまだマシと言うものだ。
全ての糸をレインに向かわせ、シャルフは完全に逃げの一手を打った。もはや廊下の全てに糸があるのではと思えるほどに敷き詰めた糸を確認することもなく、シャルフは一番近い窓から身を投げ出した。
今シャルフが飛び出した窓は中庭ではなく屋敷の外に面した窓。このまま街の中に紛れることが出来れば、それだけ逃走の成功率も上がる。
そう、それはまさに博打。レイン相手に自分の糸がどれだけ通じるか。これまでの人生で積み上げ、研鑽した魔術が化け物相手にどれだけの効果を上げることができるか。
シャルフはそう考え即座にそれを行動に移した。その判断の早さはこれまで幾度となく修羅場をくぐり抜けてきた猛者だからできたこと。ここにそれを理解する者がいたのなら、間違いなく最大限の賞賛を与えたことだろう。
「逃げられると思ったか?」
だがシャルフの考えは常識的すぎた。化け物を相手にするにはあまりに発想が普通すぎたのだ。
窓から外に身を投げ出したはずなのに、気がつけば体は廊下にあった。理解が追いつかないが、手首に猛烈な痛みを感じるところから推測するに、どうやらシャルフは外に投げ出した体を手首を掴まれ引っ張り戻されたらしい。
恐る恐る自分の放った糸を見てみれば、全てが無残に引きちぎられ廊下に転がっているのが目に入る。
「お前は大事な情報源だ。殺しはしないから安心しろ」
この時シャルフははっきりと理解した。この世界にはどうあっても敵わない化け物がいる。自分がこれまで裏の世界で生き残ってこれたのはただ単に運が良かっただけ。
それをこの数分の間でシャルフは痛いほどに理解することになったのだった。




