第129話 互いの存在に気づく
第129話〜互いの存在に気づく〜
ジェニーが自身の仕事に戻ったのを見た男は、その様子を見届けるとゆっくりと部屋を出た。
「不審な点はない?」
男がそう誰に向けたわけでもなしにそう言うと、すぐにその返事は返ってきた。
「問題は確認されておりません。不審者の連絡も上がってきてはいません」
男の足元に跪くように現れたのは真っ黒い影。もちろんただ黒い服に身を包んでいるだけなのだが、そのあまりの抑揚のない雰囲気についその色から影と思ってしまうほどに現れたものは希薄だった。
「そう。なんか変な感じがしたんだけど、君たちの感知魔術にも反応はないの?」
「敷地の外周を覆うように感知魔術を巡らせておりますが、この数時間、この屋敷の関係者を除き感知されたものは一人も」
「そっか。ならいいんだ」
男は笑顔のまま影に向かいそう告げる。未だ跪いたままの影には目もくれず、そのままジェニーの執務室から離れようとしたが、あることに気づきもう一度影に向き直った。
「ところで外の騒ぎは何かあったの?」
「は、どうやら例の塔に侵入者があった様子。今は警備の者が血眼になって行方を追っているようなのですが」
「塔って、あのバカ高いあれのことかな?」
「それです。警備の者が倒されていたのに加え、結界に侵入の痕跡があったため、何者かの侵入は間違いないとのことなのですが、どうにも未だに見つかっていないらしくあのような騒ぎになっているようです」
「なるほどね。そりゃあの塔はマリットの機密の一つだからね。そりゃそこに忍び込めば連中も黙ってはいない……」
そこで男は言葉を切った。そして屋敷の窓から見える塔へと視線を向け、そして屋敷の中央に位置する中庭に視線を落とす。
「いかがされました?」
「……。その侵入者が塔に入りこんだのがいつかはわかるかな?」
「は、はぁ、確か情報によれば十五分前くらいとのことですが……」
「へぇ、十五分ね」
十五分。それは男の記憶が正しければ、ちょうどジェニーと話していた時にふと何かの違和感に気付いた頃。その同じ時刻に屋敷の隣の塔で起きた謎の侵入者事件。
「な、何か?」
影が不安げに尋ねる。何か自分が今の問答で至らぬところがあったのか。そう思ったからこその確認。影は一般的な魔術師の力量という物差しで測っても一級品の力を持っている。それはルミエールの学生程度であれば、誰にも悟られずに全員を殺し切ることができるほどの力だ。
だがそこまでの力を持っているはずの影がそこまで気を遣って話さなければいけない男。その一挙手一投足にまで細心の注意を払う相手。
「いや、何でもないよ。さ、仕事に戻って。余計な侵入者がいたら上から怒られちゃうからね」
「!?了解しました!」
しかし影が恐れていた事態は起こらなかった。自身の仕事に戻るように言われた影は、その言葉が覆らないうちにその場から煙のように消えていく。
「そんなに怯えなくてもいいと思うんだけどね」
まるで男から逃げるように消えていった影のいた場所を見つめながら、男はそう呟くと自身の背後に向けてさらに声をかける。
「ねぇ、君もそう思うだろ?」
誰もいないはずの廊下。だが長い廊下の柱の影から一人の少年が姿を現した。
「驚いたな。確かに俺は気配を消すのは得意じゃないが、気づかれるとは思わなかった」
「はは、そこまで完璧に気配を消しておいて得意じゃないって。なら君のいう得意ってどんななのか気になるよ」
「俺は自分よりもはるかに気配の殺し方のうまい人を知っているからな。それを知っている以上、自分の気配の消し方がうまいだなんて口が裂けても言えないな」
「なるほどね。君ほどの人にそこまで言わせるなんてその人は怖いね。ところで君だろ?この屋敷の隣の塔に忍び込んだの。随分と騒ぎになってるみたいだよ?」
「何のことだかな。国家機密の割りに警備がザルなんだ。誰に侵入されてもおかしくはないだろうな」
「は、ははは。最高だね、君。君みたいな奴がここにくるなんて、あの男の警戒もあながち間違ってはなかったってわけだね」
屋敷の廊下で邂逅するは二人の魔術師。舌戦から始まった二人の魔術師は、さらに相手を知るために言葉を紡ぐ。両者がともに、実力行使に出るタイミングを見計らいながら。
◇
まさかバレるとは思っていなかったレインだが、逆にこの場所が当たりであるとも思っていた。
キドニー商会がゴースデル商会と繋がりがあることは間違いないが、それでもどこまで重要なことを知っているかは微妙なところ。最悪、ただゴースデル商会に都合よく利用されていただけの可能性もあった。そうなればここにレインの求めるような情報があるとは考えにくく、また一から新たな情報を探さなければならない。
「質問だ。お前はゴースデル商会の裏にいた組織の人間か?」
だが少なくともここにいたのはレインが気配を殺していたにもかかわらず、それに気づくほどの手練れ。ただの隠れ蓑であれば、そんな場所にそれほど手練れを配置する理由はない。ここにそんな強者がいる理由はただ一つ。この場所が組織にとって重要な場所であるからに他ならないのだ。
「それを僕が答えると思う?」
「答えないなら答えるようにするまでだ」
それ以上の問答は無用。余計な交渉も詮索もいらない。聞きたい情報は後でゆっくりと聞けばいい。レインはそう考えた。だからこそ一歩を踏み出そうとしたのだが、その一歩がなぜかでない。
「血の気が多いね。まぁ、組織のことを知っててなおここに来たくらいだから、そのくらいは当然なのかな?」
踏み出そうとした足は頑なに動かず、それどころか腕も、指に至るまで自分の意志で動かすことができなくなっている。その事実にレインは思い当たることがあった。
「なるほど魔操師か。現象から考えて、操る触媒は糸ってところか?」
魔操師とは自身の魔力で以て、触媒となる物を操る魔術師のことだ。自身の回路を触媒となる物へと擬似的につなげ、その上で魔力炉から直接魔力を触媒に流し込む。
回路と擬似的に繋がるために魔力の効率が非常によく、触媒にもよるが操るものを意のままに動かすことが可能。しかも耐久性や威力なども魔力に応じてあげることができ、強力なスタイルの一つとして有名だ。
「触媒が糸とはなかなかやるな。この耐久性に加えて、この廊下中に張り巡らせた量から見るに、組織でもそれなりのポジションと見て良さそうだな」
レインのその分析に対し男は無表情で押し黙った。魔操師は触媒を操る点にかけて優秀だが、操る触媒によってその難度は大きく変わる。
単純に武器のような物であれば、威力を増すなどは簡単だが糸ともなれば話は別。細く、それでいて一本では使い物にならないために複数が必要。それを同時に操るとなれば、そこには熟練を通り越して極めるに近い才が必要となるのだ。
「……なんで分かった?」
そこまで極めた魔操師であれば、己の触媒を相手に悟られるようなことはまずあり得ない。実際、この男もこれまでの人生の中でここまであっさりと自身の技を看破されたことはない。闇で生きる以上、自分の強さの秘密を知られるというのは死を意味する。だからこそ情報は漏れないようにしてきたし、戦った者は全員殺してきた。
「なんで分かった?」
語気を強めて男はもう一度問う。すでにレインは自身の術中にはまっており、レインの言う通り、糸に魔力を通して捕縛しているため逃げることは不可能。後はどう殺すも自由なのだが、なぜ自分の技がばれたのか。それが気になったのだ。
もしレインが誰か他のものにそれを聞いたのだとしたら、自分の身近にスパイがいることになる。全く気づくことなく、自身の情報が垂れ流しになっているのと同義。
だからこそ男はそれをなんとかしなければレインを殺すことはできない。そう思い問うたのだ。もし答えなくても拷問でもなんでもして吐かせる。そのためにどうとでもできるように捕縛したのだから。
「気付いた理由?」
だがレインはさらに男の想像の上をいく。
「そんなの糸に触れてるんだから気付くのくらい当たり前だろ?」
そう言ってレインは無造作に、それこそ何気なく右手を振り上げる。同時に聞こえるは糸のちぎれる小さい音。
「……は?」
男の表情から、笑みが完全に消え驚愕に全てが塗り潰された瞬間だった。




