第128話 空からの潜入再び
第128話〜空からの潜入再び〜
キドニー商会から少し離れた場所。距離にして五百メートルほどの場所に商会のあるエリア内でもとりわけ高い塔が立っている。
この塔はシーボルの中に複数建てられており、いわば物見櫓のような役割を果たしている塔だ。
マリットの玄関口であり多種多様な人種が暮らすこの街では、些細なことから大きな問題まで様々な事件が日々起こっている。そのほとんどはエリアごとに配置された警備兵で事足りるのだが、まれにエリアを跨いだ事件が起こることもある。
そんな時にこの塔が意味を持つ。物理的に高いところから周囲の様子を確認するという効果はもちろんあるが、何よりも重要なのはこの塔が魔術的な意味を持ってシーボルに建てられているという点だ。
その配置の意味は防御と通信。塔を起点としてシーボルに万が一が襲撃があった際には強固な防御結界を張ることも可能だし、さらにはこの塔を電波塔のような役割として専用の通信機を持つもの同士のリアルタイムでの連絡を可能とする、画期的な役割を持つ塔なのだ。
そんな塔の頂点。先端の尖った文字通りの頂点にレインは静かに立っていた。
「絶景と言いたいところだが、あんまり時間をかけるべきじゃないな」
それだけの重要拠点であるこの塔に入るのに部外者がすんなりいくわけがない。もし入りたければ然るべきところに然るべき理由を申請し、それを幾重にも渡る審査を通り抜けた上で初めて塔に入ることを許可されるのだ。
シーボルに今日やってきたレインがそんな許可を取ることなどできるはずがない。ならばどうしたのかと言えば、完全な力技で押し通ってきたのだ。
塔を囲む外壁を乗り越え、レインが通る道にいた見張りだけをピンポイントで昏倒させる。それを繰り返してここまできたのだから、今頃は誰かが倒れている見張りに気付いて騒ぎになっていることだろう。
レインのいる塔の頂点まで誰かがくるのには時間がかかるだろうが、何れはここに人がくることは間違いない。
シーボルの中でも一際高いこの塔から見渡す街は、夜の闇に浮かぶ明かりもあって非常に美しく、できればもう少しその景色を見ていたかったがレインはそう呟くと行動を開始した。
視線を向けるのは塔のすぐ横に建つキドニー商会の屋敷。非常に厳しい警備を敷いている屋敷だが、塔の上から見下ろせば警備の薄い場所など一目瞭然。
「行くか」
その短い一言とともにレインは空へと一気に跳躍。その跳躍は真上でなく少し前であり、それはつまり着地地点は今までいた塔の頂点ではないということだ。
つまりレインの狙いは再びの空からの侵入。
マリットに空から侵入したように、キドニー商会へも空から入り込むつもりというわけだ。
いかに守りを張り巡らせた屋敷であっても空からの侵入に対する防御は弱い。もちろんサーチライトや対空部隊など、対策をしていないわけではないが、はるか上空から降りてくる人間に対する備えなどしているわけがないのだ。
マリットという国ですら対処できなかったレインの侵入方法にたいし、大きな商会とは言え一組織が対応できるわけなどない。
レインは塔から警備の薄いところを見つけ、そこに飛び降りるだけでいいのだ。圧倒的な身体強化の魔術を持つレインにしかできない方法だからこそ対策のしようがない。はるか空から生身の人間が降ってきて、音も立てずにしかも無傷でいるなど誰も想定していないのだから。
降り立ったのはキドニー商会の屋敷の中庭。頭の上から見ることでわかったのだが、どうやら屋敷は中央部分が庭として作られており、その中庭を取り囲むように建物が建てられているのだ。
そのせいかそこまで侵入してくる者などいないと考えているのか、中庭の警備は薄い。しかもそこからなら屋敷のどの方向へも向かいやすいため、レインはそこに降りることを選択したのだ。
レインが中庭に降りてからも特にそれまでと変わった様子はない。どうやら侵入に気がつかれた様子はないようだ。ファフニールもついてくると言っていたが、今回は邪魔になるため置いてきた。それに外にいたほうが万が一の時の手札にもなるため、そうするように命じたのだ。
塔の方角では何やら警報が鳴っているが、その原因たるレインはすでにそこにはいない。今頃は犯人のいない塔の中を、警備の者たちが必死に探し回っていることだろう。
最も、それはもはやレインの承知するところではない。今の目的はゴースデル商会からキドニー商会へ流れた半魔人の痕跡を追うこと。それ以外のことは些末なことだ。
レインは速やかに中庭から手近な屋敷の入り口を見つけると、一気にそこに体を滑り込ませて行った。こうしてレインはキドニー商会への侵入を鮮やかに成功させたのだった。
◇
「ん……?」
「おい、聞いているのか?ゴースデル商会が潰された。どの程度の情報が漏れたのかはわからんが、こちらとの繋がりがばれたと考えるべきだ。組織の対応は問題ないんだろうな?」
「ん?あぁ、ハイハイ。そっちは問題ないから任せてよ。よっぽどのことがない限り大丈夫なように人は連れてきたからさ。万が一は僕もいるし大船に乗った気でいていいよ」
「ならいいが、もはや頼りは組織しかないのだぞ?事が明るみに出て困るのはこちらだけじゃない。組織だってダメージを負うのは間違い無いんだ」
「わかってるよー。僕だって上に怒られたく無いからね。ちゃんとやることはやるさ」
キドニー商会の執務室。その中にいる二つの人影はそんな会話をしていた。
その影の一人はこのキドニー商会のボスである、ジェニー・キドニーその人である。豊かな口髭がトレードマークの初老の男であるが、その表情はどこか疲れ切っているようにも見える。
それもそのはずで、組織によって委託されていたゴースデル商会との取引が明るみになってしまったのだ。
ゴースデル商会で秘密裏に製造されていた半魔人。それを請け負っていたキドニー商会だが、ゴースデル商会が摘発されたという知らせを受けてからは慌ただしさが増していた。
摘発したのはフォーサイトの領主の近衛騎士団。さすがに一領主の騎士団が他国にまで捜査の手を回すとは考えられないが、それでももし国の上層部にその知らせが入れば事態は変わるかもしれない。
先の大戦でアンフェール島の星の龍穴をハルバス聖王国が手に入れたのは裏の世界では有名な話。今や世界でも圧倒的な力を持つ聖王国がもし今回のことを問題視すれば、他国と言えどキドニー商会にも捜査の手が及ぶだろう。
もちろん正式な捜査の前に証拠は消すが、秘密裏に動く闇の者を送られれば対応が遅れることも考えられる。最悪自分の命も危ないかもしれない。
ジェニーはそう考え、すぐに今回の黒幕である組織に応援を要請したのだが、それに応えてやってきたのだがこの青年と何人かの魔術師というわけだ。
先ほどから対策について色々と話をしているのに、どこか上の空で今に至ってはいきなりよそ見をし始めた青年にジェニーは苛立ちを抑えられないでいた。
「本当に大丈夫なんだろうな?」
だからこその再確認。ジェニーにとってはこの商会はまさに命にも等しいものだ。馬車での行商からここまでの商会を作り上げるのには、それこそ命を懸けなければならない場面がいくつもあった。
だがジェニーはそれら全てを潜り抜けてこの商会を作り上げたのだ。今回のことだって、吟味に吟味を重ね、問題がないと判断したからこそ半魔人という、得体のしれない物の販路として一枚噛んだのだ。
しかし今、まだ可能性の話とはいえ破滅の足音が聞こえ始めている。自分がここまで積み上げてきたものが崩れ落ちようとしている。
そんな背景があったからこその再度の問いかけだったのだが、それをするには相手が悪かった。
「何?僕のことが信じられないの?」
短い言葉だった。表情もそれほど大きく変わったわけではない。だがジェニーは今の自分の言葉が地雷を踏み抜いてしまったことを明確に感じていた。
「い、いや、そんなことは……。私はただ用心のために……」
「余計な心配はいらないよ。ここに僕がいるだけで問題は何もない。そっちは早く証拠を隠蔽する準備をしてればいいんだ。僕は僕、君は君のやることをやる。ひどく分かりやすいと思うんだけどこれ以上の説明が必要かな?」
「……いや。私は自分のすべきことをするとしよう」
「うん、それがいいと思うよ」
冷え切った空気が弛緩した。ジェニーは今の一瞬でまさに死の危険を味わったわけだが、同時に安心も得ていた。
この男がいれば大丈夫だろう。
仮に闇に蠢く者がここに来たとしても、この男が、組織からやってきたこの男がいれば問題ない。そう判断したジェニーは、ゴースデル商会との取引の履歴の抹消をするために、自分の執務室の机に座り直したのだった。




