第110話 女の戦い
第110話〜女の戦い〜
シャーロットはギルドの受付で部屋の斡旋を依頼しているレインの後ろに立ち、先ほどのレインの言葉に自分があり得ないほどに狼狽してしまったことを思い出し一人赤面をしていた。
一緒に暮らす。
突拍子もなくレインから出たその言葉にシャーロットは大いに動揺をしたのだが、当のレインは至って冷静だった。
『組織がどういう手段に出るかわからない以上、俺たちは常に狙われていると考えた方がいい。俺はともかくシャーロットは一人だと危険だからな』
冷静に考えればレインの言葉の真意にはすぐに気がついたはず。夏休みに入ってからの一件で、レインとシャーロットは社会の裏へとそれなりに足を踏み込んでしまったのだ。
レインの言うとおり、多分レインは誰に狙われても独力でなんとかするのだろう。というよりもむしろ狙ってきてくれた方が情報を得られていいとすら思っているはずだ。
それは先の釣りでも証明されているし、何より生半可なことでレインをどうこうするなどは不可能。もし本気でレインをなんとかしたいと思うのであれば、それこそ五芒星の魔術師級の魔術師を連れてくるか、最悪国全体が相手になるくらいしか方法はないのだ。
だがシャーロットに関しては話が違う。確かにシャーロットも年齢の割には腕の立つ魔術師ではあるが、裏の世界においては素人。正面からの戦闘であればどうにかできるかもしれないが、搦手や不意打ちなどをされてしまえば即座に殺されてしまうだろう。
だからこそのレインの言葉だったのが、それをそのままの意味で捉えてしまうなど、どれだけ自分はレインのことを気にしているというのか。
表面上は至って普通の友人関係を築いているはずだが、その実は時間と共にレインに対して気になるという感情が高まっているのにシャーロットは気づいていた。
最初は自分の持つ魅了の魔眼に対抗できるからだと思っていた。だが一学期という短くない時間を共有するうちに、この人に認められたい。もっと近い存在になりたいと思うようにもなっていたのだ。
それは憧れといえばそれだけなのかもしれないが、そう考えた自分が現実を見ていないだけということにはすぐに気づいた。
ただ憧れているだけであれば、レインが他の女性と楽しげに話すのを見て嫌な思いを抱くことなどない。できるなら自分を一番に見て欲しいなどと思うはずがないのだ。
だからこの夏休みにレインとハンターとして過ごすことができるとなった時には、ひどく嬉しかったことを今でも鮮明に思い出すことができる。
その後はなかなかの事件に巻き込まれてはいるが、それでも一緒なことが嬉しいと思っているせいで、きっとレインの言葉に過剰に反応してしまったのだろう。
とりあえずは冷静になろう。今の目的を見失わずに、ちゃんとこの事件を終わらせた後にしっかりと距離を縮めよう。
そう言い聞かせたシャーロットだったのだが、当のレインはといえばそんなことは全くお構いなしだった。
「シャーロット、どうにも空いている部屋がベッドが一つだけらしいんだがいいか?」
いいはずはない。年頃の男女が一緒の部屋でしばらくの間とはいえ暮らすのに加え、そこにベッドが一つしかないなど間違いが起きると言っているようなものだ。
それをレインは果たしてわかっているのか。そう思いレインを見てみるが、当のレインの表情は至って真面目でありきっとこの選択がおかしいとは微塵も思ってはいないのだろう。
シャーロットを守るにはこれが一番効率がいい。きっとそれくらいにしか思っていないであろうレインに対し、これでは自分が一人で慌てているのはどうなのかとシャーロットは思う。
いっそここでその提案を了承し、その上で既成事実でも作ってしまおうか。
公爵家の令嬢としてあり得ない考えが頭によぎったその時だった。
「ダメです!!レインさん、考え直してください!!」
後方、ギルドの入り口付近からそんな声が二人の耳に届いたのだった。
◇
「つまりこの女性はレインが元いたリーツのハンターギルドの職員ってわけね」
「そうだ。リーツでは俺によくしてくれた人の一人でな、俺の恩人の一人だな」
ギルドの中の個室。そこにレインとシャーロット、そして乱入者であるアイシャがいた。シャーロットの冷たい視線とまるで動じていないレイン、そして自分の口走ったことに身を小さくしているアイシャという構図だ。
アイシャは想いを寄せるレインをギルドで早々に見つけたはいいが、そのレインは他の女性と一緒に暮らす部屋を探していた。
あまりに衝撃的なその光景に思わず飛び出してしまったのだが、冷静になって見れば自分は何をしているのだろうと思うしかなかった。
確かにリーツではレインとアイシャは仲が良かった。一緒に食事をしたこともあるし、ギルド内ではよく会話もした。周りからはお似合いだと言われることも多々あったが、実際に交際関係にあったかといえばそうではない。
故にもしレインがフォーサイトで他の女性と交際をしていたとしても、そこにアイシャがどうこう言えるはずなどないのだ。
どこまでも冷たい視線を飛ばしているシャーロットに射抜かれながら、そこに思い当たったアイシャはさらに身を小さくした。
そんなアイシャの様子を見ているシャーロットも内心では気が気ではない。
状況は良くないとはいえ、レインと一緒にしばらく暮らすということに少しはしゃいでいたところに知らない女が乱入してきたのだ。
緑の長い髪に幼く見える容姿は庇護欲をそそる。聞けば年上のようだが、とてもそうは見えない可愛らしさを持つ女性がレインと既知の知り合いだというのだ。
一目でアイシャがレインのことを想っているのはわかった上に、恋愛感情はないにしてもレインがアイシャに対して好意的なのも一目瞭然だ。リーツの街にいた頃といえば、レインがレックス傭兵団と離れ、一人で生きていくことになった頃の空虚な時期に流れ着いた場所だ。
そこでレインに対し親身になっていたのだがアイシャだとするならば、レインがアイシャのことを特別だと想っていてもおかしくはない。
いきなり現れてのあの言動であってもレインが特に怒るでもなく、むしろ旧友との再会を喜んでいるところを見る限り、強力なライバルの出現としか思えない。
シャーロットのアイシャを見る目がさらに厳しくなっていく。
そんな二人を他所にレインはといえば、まだ数ヶ月とはいえリーツの街での知り合いに再会できたことを純粋に喜んでいた。
だからだろう。二人の間で密かに始まった女の戦いの火に油を注ぐような発言をしてしまうのは。
「なぁアイシャ。アイシャはこのギルドに留学に来たって言ってたよな?」
「あ、はい。フォーサイトのギルドは数少ないギルド間の留学を受け入れている場所なんです。私もギルドの職員として経験を積むためにしばらくはここで働かせてもらう予定です」
「そうか。ならちょうど良かった」
そのアイシャの言葉を聞き一人頷くレインに対し、シャーロットとアイシャはひどく嫌な予感がした。それはきっと女の勘とでも呼べるものなのだろう。この時の二人は互いにライバル同士でありながらまるで意識を共有したかのような感覚だった。
「実は訳あってシャーロットとしばらく一緒に住むことになったんだ。ギルドの斡旋の部屋なら賃料も安いから探しているんだが、アイシャがここで働くならちょうど良かった。いい物件を探してくれないか?」
それはまさにアイシャにとっては死刑宣告にも近い言葉。思わずシャーロットですらアイシャに同情の眼差しを送るほどに切れ味が鋭すぎた。
そこで涙を溢さなかったのはアイシャの意地なのかどうかはわからない。崩れ落ちそうになるアイシャに駆け寄ったシャーロットがその体を抱え、小さくうなずいた。
この時ライバルであった二人の間には、同時に友情が芽生えることとなる。
その様子を見ていたレインだけが、不可解なその光景に首を傾げることとなったのだった。




