序章
「じいっ・・・じいっ」
館の私室。執務半ばの小休憩中、初夏の心地よい日差し射し込む中庭に臨む縁側に座り微睡んでいると、二人の童子が一目散に駆けてきた。
一人が両手を前に掲げ、掌を開くとそこには小鳥の雛がいた。目もまだ開かぬそれは弱々しく、初夏の日差しを浴びてなお寒いのか小刻みに震えている。
「中庭の木から落ちたみたい」
そういえば、と、今年は中庭に植えられた桜の木にホオジロが巣を作り声高に囀っていたことを思い出す。
視線を、今は新緑を茂らせたその桜の木へと移して目を凝らした直後、緑葉に覆われた枝の間から何かがぽとりと落ちた。
「あっ、まただっ」
雛を抱えていた童子が駆けだし、桜の木の下でしゃがみ込んだ。
後を追い、背中越しにのぞき込むと、やはり巣から落ちたであろう小鳥の雛が毛のない羽根をばたつかせている。
見上げて巣を見上げると、枝の分かれ目に作られた巣の中から雛がこちらをじっと見つめていた。
よく見ずとも、落ちてきた雛とは大きさも、形も違うことがわかる。
―あれは郭公だー
二羽目を拾い上げた童子に語りかける。
「ご覧くだされ。あれは郭公と言いまして、他の鳥の巣に卵を産むのです。そして生まれた雛は、巣の持ち主の子を巣から突き落とし、図々しくも自分だけを育てさせるのです」
かの鳥の卑怯で忌まわしい生態を説明する。しかしこの童子は落とされた雛のことしか存念にない様子である。
その優しい様をしみじみと見つめていると、いつの間に背後にいたのか、もう一人の童子が、
「賢い鳥だなぁ、郭公は」
と、さも感心した様子で言った。落ちた雛には何の感情もわかないのか。
そんな童子に不快感を隠す気にもなれず、
「おぬしは郭公が好きなようだな。きっと将来郭公のように賢い大人になるだろうよ」
と、言い放った。
心一杯の悪意を込めて言った言葉には気づかないのか、その童子は嬉しそうに頷いた。
(郭公め)
心内でそう呻いた男の、その視線の先は頭上の巣ではなかった。
落ちた二羽の雛は童子と共に懸命に世話をしたが、すぐに死んでしまった。
※※※※※※※※※※※※※
青く澄み渡る秋空、木枯らしが庭の楓を撫でるたび紅い葉がひらりひらりと舞い落ちる。それを寺内にある講堂の文机に頬杖をついて眺める少年がいた。
長く伸ばした髪を後に紐で結い、幼さの残るなかに凛々しさを窺わせる顔立ち。体はまだ発達しきっていないが、それでも将来の大成を予感させる生命力を滾らせている。
足音が近づいてくる。講堂に二人の少年が入ってきて、宗守様、と声をかけてきた。
「大丈夫、もう行ってしまいましたよ」
色黒で体格に秀でた方がそう告げた。その隣で苦い顔をしてため息をついた少年は対照的に色白でひょろりとした風体である。前者は濠忠介、後者は佐久望柾。鳴海家家臣の子で宗守とは幼少から仲が良かった。
「まさに怒髪天。共に帰ることを断ったのが気に入らないのでしょう」
鳴海家および家臣の子はある程度の人数が揃うと、齢五つ以上十二未満なら年齢の大小にかかわらず、まとめて寺に放り込まれ、そこで字の読み書きや作法を学ぶ。
此度は九人が同じ屋根の下勉学に励むことになったのだが、その中に、当主の子が三名が含まれていた。長男宗虎、次男宗守、三男宗光。宗虎はとかく自分を中心とした徒党を組みたがるのだが、宗守は彼とはそりが合わなかった。
「勉学、掃除から解放され自由となるこの輝かしい一日を兄の腰巾着になって過ごすなんて御免だな。父上に終学のあいさつをし、久々に帰る自室で羽を伸ばしたい」
宗守はそう言って口の片側を吊り上げて見せた。寺に住み、掃除をさせられ、勉学に励む窮屈な生活から、今日つい先ほど解放されたのだ。帰路は心許せる友と歩きたかった。
和尚に挨拶を済ませ、寺門をくぐり出る。そこは城下町の大通りで、左手を行けば商人町となっている。通りでは定期的に市が開かれる。ここ尾浦は海に面しており、この一帯でも有数の湊町である。ゆえに異国人が行き交い、通りを挟むように多くの露店も現れ、珍品も多く出回る。ゆえに日頃常に喧騒に包まれていた。
門から右手へと歩いていくと武家屋敷が現れる。目指す城はその先だ。
歩きながらの話は専ら昨日までの寺暮らしについてだった。ことあるごとに和尚に捕まり折檻されていた忠介はひたすら和尚の悪口を言っている。望柾はあの暮らしがまんざらでもなかったようで過ぎ去りし日々をしみじみと語っている。
城までの道も半ばまで歩いた時、前方、城の方角より一人の初老の男が走ってくるのが見えた。その姿をみて忠介は、げっ、とつぶやき望柾は立ち止まり姿勢を正した。
「やはり来たか」
宗守はうれしそうにはつぶやいた。
「宗守様ぁ!お待ちしておりましたぞぉ!」
駆け寄りながら大音声で呼ぶ男の髪は白髪が混じり、顔のしわが笑んでいっそう深く見える。しかし駆けた直後にもかかわらず、息は切れておらず、その巨体は未だ衰えていないようだ。鳴海家家老賀田辰五郎。宗守の母方の祖父でもある。
「寺での生活はさぞ窮屈だったでしょう。勉学はしっかりこなしましたか?どこの家の者と親しくなりましたか?それに…」
溺愛する孫との再会に喜び頂点の祖父は、矢継ぎ早にあれこれ質問してきた。自他ともに厳しく、子供にも容赦なく雷を落とす鬼爺も形無しな有様に、供の二人も必死に笑いをこらえている。
「息災だったか、爺。寺での生活はなかなか楽しかった。それに…」
辰五郎の問いに一つ一つ回答し、最後に二人を紹介した。
「辰五郎の爺様も相変わらずだなぁっ。まだまだくたばりそうにねえな」
「お久しぶりにございます」
「おう、濠家と佐久家の坊か。濠家の悪ガキこそ相変わらずじゃのう。佐久家のはすこしは賢そうににな
ったわい」
二人の肩を容赦なく叩き、豪快に笑う。
「父御達が待っとるぞ。早く行ってやれ」
ドンっと背を押された二人は、では、また明日、とそれぞれの屋敷へと歩いて行った。
宗守と辰五郎が大通りを歩いていくと城の門へとたどり着いた。尾浦城、鳴海家の居城だ。尾浦城はそもそも防衛目的の拠点でないため、城門も比較的小さく簡素だった。
寺へ送られてから一度も戻っていなかったので、久々にくぐるこの門が一層小さく見えた。
廊下を進み、大広間へ入ると上座には、この鳴海の国の大名で、宗守の父でもある鳴海宗源が威厳をたたえたただずまいで座している。その前には一足先に戻り、帰城のあいさつをしている宗虎と宗光が正座をしている。
辰五郎は宗守に一礼し、ではこれにてと、と言って退いた。
「ただいま戻りました。お久しぶりでございます、父上」
兄弟と並んで座した宗守に宗源はやや頬を緩ませた。
「よく戻った、宗守。暫く見ぬうちに大きくなったな。しっかりと励んだか」
はい、と答え、寺で学んだこと、その生活を報告している宗守の横で宗虎は露骨にあくびを漏らし、宗光は静かに聞いている。
しばらく父と、戻ってきた息子たちとで言葉を交わした後、宗源はふと宗守を見やった。
「紅葉丸も去年に戻ってきているぞ」
それを聞いた途端宗虎は顔を顰めた。
(紅葉が返ってきている)
最後に会ったのは三年前、紅葉丸は六歳、宗守は十一歳だった。ちょこまかと付いてくる愛らしい姿が脳裏に浮かんだ。宗守が五歳離れたもう一人の弟の事を考えていると、
「奴も面白く育った。後で顔を見に行くといい」
と、提案された。
「では今すぐに行ってまいります」
言うが早いか、宗守はすぐさま立ち上がり、大広間を飛び出していった。
その様を宗源は、あいかわらずだ、と言って苦笑して見送った。
「《郭公》も戻ってきてやがったか」
宗虎は小さく呟き、宗光は黙って宗守の去った後を見つめていた。
勢い余って部屋を飛び出した後、宗守は紅葉丸の居場所を知らないことに気づいた。途中すれ違った女中に居場所を尋ねると、四の館にいらっしゃいます、と答えた。宗守の知る限り三の館までしかなかったはずだ。
「四の館は去年建てられた離れ座敷です。この縁側を行けば、渡り廊下が見えてきますよ」
礼を述べて言われた通りに進むと、たしかに渡り廊下が見えてきた。その先には小さいがまだ新しい離れ座敷も見える。
逸る心のままに渡り廊下を駆け抜け、縁側を曲がり直近の部屋の障子に手をかけた。
「紅葉!」
ぴしゃりと障子をあけ放ちざまに部屋に飛び込んだ。
部屋はがらんとして、調度品はほとんどなく、板の間の前に文机がチョンと置いてあるだけだ。そこへ座し、広げた冊子に何か書きつけていた少年が目を見開いて宗守をじっと見つめていた。




