世界の一線
初めて投稿します。
書き溜めをぽちぽち写す作業がどうしても出来ない性分で、プロット見ながら直接書いて編集を繰り返しての投稿です。
不定期で遅筆になるかとは思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
「タイムアウト」
衝撃と衝動がぶつかり合っているうちに、私は着地点の見えない虎穴に落ちた。
虎児を得たかったわけでもなかったけど。
虎穴の入口をさほどまぶしいとも、思わなかった。
世界で一番大嫌いな幼なじみの高村千尋が口をひらけば、本当にろくな言葉を吐かない。
高校から比較的近い場所に家がある私達は、授業が終わるとお互い別々で家に帰ったが、着いたタイミングは同じだった。
そして借りていたDVDを返すから、取りに来いと。
何故貸したものを受け取りに出向かわなきゃいけないんだと思ったが、向かい合わせた家同士で、ちょうど持って行くものもあったので、了承した。
父は昔からお菓子を作るのが趣味で、昨日の夜にベリータルトを作ったから持って行くようにと。
それを嬉しそうに横で食べている幼なじみの男、高村千尋を見ながら、棒読みで言ってやった。
「オイシイミタイデ、ヨカッタネー」
「本当、おじさんの作ったお菓子は百貨店クラスだよなー!」
「え?じゃあ一切れ千円、渡しておくよ、」
棒読みの皮肉をスルーされたので、請求してみた。
「払えないから体で…、」
「この世で一番価値がなぁい!」
「ひっどッ」
心の底からの言葉に笑いながら抗議する彼は、少し下がってきた眼鏡を右手で元に戻した。
その真っ直ぐ通った鼻筋から、眼鏡が下がる要素等ないのに。
眼鏡の奥で気だるそうにまばたく切れ長の奥一重が覗いている。
両端が少し上がった口元を全開で笑うその上唇の山の部分には、ベリーソースが付いていた。
面倒なので、言わない。
「あ、そうだ。DVDどこ?」
何も考えず、彼がおやつを食べるのに付き合っていたが、貸したものを受け取りに来たことを思い出して本棚の前に立つ。
変に几帳面な彼は本棚の中でも小説、漫画、それ以外、CD、DVD、ブルーレイ等、系統分けをしていて、その中に借りものコーナーを設けて、借りたものを入れていた。
が、分けてはいるものの無造作に入れているので、デッドスペースが多い。
そして借りたものも、デッドスペースが多かった。
「借りたものくらいは丁寧に入れたら?」
身長165センチの目線の高さにある借りものコーナーをあさって、貸したDVDを探した。
ずいぶん前に貸したものだから、奥にあるかも知れない。
「普通、返すって言ったら別で寄せておいても良くない?」
ため息をついて千尋を振り返ると、笑いながら上唇のソースを舐めた。
更にため息が出て、コーナーに再び手を突っ込んだ。
まだ誰も家にいない放課後の、夕方前の時間帯。
じわりと絡む暑さを感じる六月、気候が夏に向かって準備を始めていた。
肌に這う汗はハンカチタオルではすっきりふき取れず、不快感と共に素肌に触れる服に吸い込まれる。
その妙な一体感に沿うように、千尋のお腹あたりが私の背中の体温を引き上げようとしていた。
やんわりヘッドロックをかけられたまま、左肩の上の方から浅い呼吸と深い息が不規則に伝わってきて、シャツごしの素肌を刺激する。
「何、」
平静を保つ二文字を左肩の上あたりにぶつけた。
「さあ?涼を取ろうかと思って、」
「私は雪女じゃないけど、」
「うん、知ってる」
首周りからふんわり千尋のにおいがして、やけに鼻につく。
昔から知っている、大嫌いで仕方ない、落ち着くにおい。
足の先からゆっくりと体温が上がっていくのを感じて、何もこいつのにおいのせいじゃなくて、こいつの不意打ちに驚いた時の生理現象だと。
「で、何?」
「うん、」
「うんじゃなくて、」
「うん、栄養補給」
「出せる栄養なんかないけど」
「じゃあ光合成」
「オマエに葉緑素ねえだろが」
「うん、」
「暑いって」
背中を取られたせいだろう、全身のアンテナが一方向に向かう感覚を作り出されて、いらいらする。
アンテナの向かう先が千尋であることも、余計にいらいらする。
からだが熱くなってきて、いらいらする。
首を横に振った。
「なあ、メイ、」
千尋の肩の重さが更に乗ってきた。
左耳にタルトのあまい吐息が広がり、首筋が熱くなってくる。
「…………しよ、」
全身が毛が逆立ったように思った。
これは世界で二番目に大嫌いなことだと。
千尋のにおいが鼻をかすめていく。
安堵感が絶望感を何度も横切って、うまく返事が出て来ない。
ゆっくり左を向くと思いの外すぐ近くで千尋と目が合って、余計に言葉が出て来なくなった。
タルトを食べた千尋の唇がベリーソースの色で赤みを増している。
「タイムアウト」
私は世界で一番大嫌いな幼なじみと、世界で二番目に大嫌いなことを共有した。
そして、それでも世界は変わらなかった。