先回り
僕は逃げるようにその場を後にした。
後ろを振り返らずに走ったが、日野都さんの視線が背中に突き刺さった気がする。
飛び乗るようにバスに乗り、家路についた僕は家の1キロ手前の終点でバスを降りた。
もちろん僕の手の中には、メンバー募集の連絡先が書かれた紙が握られている。
学校の帰り道、クシャクシャに握られた紙に書かれた番号へ電話をする僕。
チャンチャラーーン…… チャチャラチャーン……
通話待機音は【ハイネス】の曲だった。
「はーーい! だれーー?」
「あっ、あの僕今日、西高に入学した松本玲汰って言います」
「ふーーん、要件はーー?」
「あの、学校に貼られてたバンドメンバー募集のポスター見て」
僕が話し終わる前に、電話越しからテンションの高くなった声が聞こえた。
「おぉ! ギターの子? 既に何人かオーディションしたんだけど、みんなショボくてさーー」
「あっ、えっと……」
「まーーいいや! とりあえず日曜空いてる? 西高の近くのスタジオ分かるよね?」
「はい!」
「んじゃそこでテストするかなぁ! 得意な曲なんかあるーー?」
得意な曲…… あれから色々練習したけどやっぱり一番練習したのは【SPEED】。
「えっと…… 【SPEED】とかなら……」
「じゃそれでテストすんねーー! んじゃ日曜の午後4時にスタジオでーー」
ドキドキしていた。
まだオーディションに受かった訳では無いが、胸が高鳴るのを感じる。
「ただいまーー!」
僕は電話を切ってから、一刻も早くギターを弾きたい衝動に駆られた。
急いで自宅へと帰り玄関で靴を脱ぐ。
すると、そこには見慣れない靴が1足、綺麗に整えられて置かれていた。
「おかえり玲汰! お友達が来てるよ! 部屋に通しておいたからぁ」
そう言うお母さんの顔を見ると、少し笑顔、いや少しニヤけた表情をしていた。
僕がよく遊ぶ友達と言えば、中学からのゲーム友達の森君。
それに中学時代に一緒にバンドをやっていたセカンドギターの祐也君くらいだ。
鼓動が高まっている僕は、出来れば今日は誰とも遊ばずにギターを弾きたい。
なので、適当な理由をつけて早めに帰ってもらおうかなぁなんて思っていた。
トントンと階段を上がる僕。
「おかえり玲汰! 上がらせてもらっちゃった」
心臓が止まるかと思った。
と同時にさっきまでの鼓動が更に早くなるのを感じる。
「なっ、何してるの? 日野都さん……」
僕の部屋の、僕のベットの上。
そこに居たのは、足を組みながら頬杖をついて座る、西高の制服姿の日野都さんが。
「何って、玲汰が帰るの待ってたんだけど」
「そ、そうじゃなくて……」
何だよ一体! この子は一体何者なんだ?
僕は日野都さんを振り切り、真っ直ぐにバスに乗った。
誰かに送って貰わない限り、僕より先に家に着くなんて絶対に不可能なはずだ。
「そんな事よりさ! オーディション決まったの?」
呆然と部屋の入口で立ち尽くす僕を、気にする素振りも見せず問う彼女。
「う、うん。 日曜に。 ってそうじゃなくて! 何でここにいるの?」
少し声を荒げ、1階のリビングに聞こえるかもしれない位の声で言う。
「玲汰? 何してるのーー?」
「あっ、うん、なんでもない!」
お母さんが心配そうな声で、二階の僕へと話しかける。
「ほら、お母さんも心配するでしょ? 良いから座ってよ」
ポンポンとベットを叩き、僕を隣に座らせようとする日野都さん。
腑に落ちない僕だが、言われるまま日野都さんの隣へ少し距離を置いて座る。
「あの、何で?」
何で? の先の言葉が続かない。
何でここに? 何で僕の名前を? 何で先に着いてるの?
色々あり過ぎの謎めいた日野都さん。
「約束したじゃん! 玲汰を学校1のモテ男にするって」
「してないよ! 断ったじゃん」
「それで、オーディション内容は何になったのかな?」
僕の言葉を、というか都合の悪い言葉は全く耳に届いてない日野都さん。
「えっ? えっと、今度の日曜に西高近くのスタジオで【SPEED】を合わせる事に……」
「そっか! じゃ玲汰なら大丈夫そうだね? ちょっと弾いてみてよ」
「今? 何で?」
「何でって自信無いの?」
煽られるように日野都さんに言われ、少しカチンと来た僕はハードケースに手をかける。
「あっ、ちょっと待って! それじゃなくこっちで弾いてみて」
ファイヤーバードの入ったケースを開けようとする僕を制止する日野都さん。
代わりに彼女の手に握られてたのは兄ちゃんから1万で買ったギターだ。
「えっ? まぁ良いけど」
アンプに繋ぎ、【SPEED】の曲をかけ演奏する僕をじっと見る日野都さん。
弾き終わる頃には、少しうっとりとした表情に変わっていた。
「玲汰ーー? ご飯よーー? お友達も一緒にどうぞーー」
曲が終わるのを見計らうかのように、お母さんの声がする。
「はーーい」
返事をした僕だが、正直この謎の女の子と両親と4人でご飯は食べたくない……
「あの…… ご飯だけど…… 食べてかないよね? そろそろ帰る? よね?」
夕食の誘いを断って欲しい僕は、拒否の解答へと導くように日野都さんへ質問する。
「うん」
その返答にほっと胸をなでおろす僕。
「せっかくだから頂いてこうかな! 降りよっ」
「…………」
無言になる僕の手を取り、下へと降りる日野都さん。
食卓には、4人分のハンバーグとサラダ、コンソメスープが並べられていた。
「あっ、遠慮しないで座ってーー、えーーっと」
「日野都です。 ありがとうございます、お母様」
深々とお辞儀する日野渡さんの言葉に、何故か嬉しそうに微笑むお母さん。
僕と日野都さんが隣同士の席、向かい合うようにお父さんとお母さんが座る。
地獄だ…… 何だっていうんだ? この状況。
明らかに気まずそうにする松本一家を他所に、日野都さんは平然と食事をしている。
無言の食卓には、テレビから流れるニュースの音だけが聞こえていた。
「ねっ、ねぇ、玲汰? 日野都さんは高校のお友達?」
無言の状況に耐えかねたお母さんが、チラチラと日野渡さんを見ながら僕に話しかける。
僕の住むこの町は、同級生が50人程度しかおらず、保育園から中学まで一緒だ。
その為、両親はこの町に住む子であれば殆ど知っている。
「えっ、あっ、うん。 高校の……」
言葉が詰まる。 友達? 知り合い? というか名前以外は何も知らないぞ?
「はい、玲汰君とお付き合いさせてもらってます」
「ぶっ…… 何言って」
思わずハンバーグが口から溢れる。
「あら? 彼女なの? へぇ、そうなんだ玲汰?」
「いやっ、違うよ! 全然違うってば」
全力で否定する僕を、ものすごく悲しそうな顔で見つめる日野都さん。
「玲汰君…… 付き合ってくれるって言ったのに…… 嘘なの?」
両手の拳を握り、それをまぶたへと押し当てる日野渡さん。
明らかに泣き真似だという事は、隣から見るとよく分かる。
でも正面に居る両親にはそれが分からないようだ。
「ちょっと玲汰! お母さんそういうのは関心しないよ!」
「…………」
声を少し荒げるお母さんに、無言で僕を睨むお父さん。
何だろう、この地獄は……
その光景を見た日野都さんは、少し涙目ながらも微笑み、
「きっと照れてるんだと思います。 ねっ? そうだよね玲汰君」
「あっ…… うっ…… うん……」
この地獄のような状況に耐えかねた僕は、耳まで真っ赤にしてそれを肯定する。
「なんだ? そうだったの。 まぁ親には言いにくいか! 息子の事よろしくね日野渡さん」
「はい! もちろんです」
僕の前では、ほぼ無表情の日野渡さん。
なのに両親の前では、こうまでコロコロと表情が変わるものだろうか?
怖い…… ヤダ、この人…… 何か怖い……
地獄のような夕食が終わり、食べたけど食べたような気がしない僕。
お父さんはお風呂に入り、食卓にはお母さんと日野渡さんと僕の3人だ。
時刻は午後8時を少し回った所。
「あの、私そろそろ帰ります。 遅くまですみません」
「あら? もうこんな時間。 ごめんなさいね、何か引き止めちゃって」
やっとこの状況から抜け出せる僕は、物凄く安堵していた。
日野渡さんが帰ったら、オーディションに向けてギターを弾かないと。
「じゃ僕は部屋に戻るから。 またね日野渡さん」
食卓を立ち、部屋へと向かおうとする僕。
「こらっ、玲汰はちゃんとバス停まで送ってあげなさい。 危ないでしょ女の子一人じゃ」
「えっ、わかったよ……」
「ごめんね玲汰君」
若干嫌そうな僕の表情を察知した日野渡さんは、お母さんの前だと言うのに僕の手を握る。
そんな僕を、生暖かい目で見つめるお母さん…… 地獄はまだ続いていた……