神様のギター
その日以降、小学生の頃から続けてきた野球部を辞めた。
野球部を辞めてお母さんは凄く怒ったが、ギターを売りつけた兄ちゃんと、何故かお父さんが庇ってくれ、幼稚園から続けているピアノの継続を条件に事なきを得た。
ピアノとギターの生活が始まった僕。
もちろん練習する曲は、あの聞き慣れた【SPEED】。
学校から帰宅して練習。 休日は朝から練習を開始すると気付いたら部屋が暗くなっていた。
何も変化のない日常を過ごしていたが、一つだけ変わった事があった。
今…… 凄く楽しい!
友達が増えた訳でも、彼女が出来た訳でも無いのに気持ちが高ぶるのを感じた。
夏休み。
お母さんと街まで行き、眼科でコンタクトレンズにした以外は、ずっと部屋に引き篭もってギターばかり弾いていた。
最初は心配していた家族も、僕のその楽しそうな様子を見て安心していたらしい。
1日平均8時間ギター漬けの僕は、夏休みが終わる頃には完璧に【SPEED】を弾きこなしていた。
夏休みが明け、学校に行くと状況が全て一変してしまう。
「玲汰だよな?」
いつも学校で漫画やゲームの話をしていた森君と会った時の第一声だ。
自分では自覚が余り無かったが、ギターを始めてから伸ばしていた髪の毛。
夏休みの間だけで7センチ伸びた身長と13キロ落ちた体重。
外見が一変し、どことなく兄ちゃんに似ている。
2学期最初の音楽の授業。
音楽担当の先生は、24歳の女性で洒脱な性格の彼女の提案で、変わった授業が行われた。
【何でも構わないから、2人以上で楽器を演奏して発表する事】
その話を聞いた、外見の良さでスクールカースト上位に入る男子4人がバンドを結成する。
「じゃ直人がボーカルで、ベースが井上、ドラムが俺で、ギターが祐也なっ」
「良いけど【SPEED】は俺ソロ弾けないからセカンドパートだぞ?」
「だせーなぁ! まぁそれでもいいよ! じゃ決定な」
そのヒソヒソと聞こえる会話に聞き耳を立てている僕。
5人編成のバンドのあの曲は、リード・ギターだけが異常に難しい。
今までの人生で、出しゃばって状況が好転した事が無い僕。
何故か異常な程、ドキドキしていた。
勇気を出すべきか? 否か……
そんな時、頭の、いや心臓の位置から女の子の囁くような声が聞こえた気がした。
「踏み出しなさい。 玲汰」
辺りを見回してもクラスメートしかおらず、その声の主は見つけられない。
「ねっ、ねぇ。 【SPEED】なら弾けるけど…… 僕やろうか?」
突然、話しかけられた4人は思わず顔を見合わせ、「プッ」と吹き出すように笑う。
「玲汰ギターなんて弾けるのか? 聞いた事ねーぞ?」
祐也君が、バカにしたような目をして僕にギターを差し出してくる。
その光景をクラス中の皆が注目していた。
まるで晒し者のように取り囲まれた僕を森君が心配そうな眼差しで見つめている。
「弾いてみろよ! ほらっ」
僕がアンプに繋がれたギターを肩にかけると、【SPEED】のCDが鳴る。
頭が真っ白になり、ハッと気付いた時には【SPEED】は終わっていた。
「うぉぉぉぉ! すげーじゃん玲汰! マジかお前」
僕の頭を抱きつくようにガシガシと力強く撫でながら祐也君が絶叫する。
クラスの皆もその光景を目にし、少しざわついているのを感じた。
高校へ入学する時期には、ギターの腕前と外見で僕は校内で一目置かれる存在になっていた。
過疎地にある僕の地元とは違い、バスで30分の所にある隣町は割と栄えた地方都市。
人口比で言うと、僕が住む町の優に10倍は人口がいるのかな?
その隣町の西別高校、通称西高へ進学が決まり、2人部屋だった部屋も兄ちゃんの大学進学と共に、念願でもあった1人部屋に。
「玲汰ーー? 叔父さんが来てるわよーー」
「はーーい」
お母さんに呼ばれ、リビングまで行くと四角いギターケースを持った吉行叔父さんが居た。
叔父さんはお父さんの弟で、結婚するまではスタジオミュージシャンだったみたいだ。
「こんちわ! どうしたの叔父さん?」
「玲汰、高校入学するんだって? これプレゼントだ」
「またそんな物、玲汰にあげて。 ますます勉強しなくなるじゃない」
「はははっ、 まぁまぁ義姉さん。 玲汰! 部屋行こっか?」
「うん」
叔父さんがギターを片手に部屋へとやってきた。
「これはな! 叔父さんが昔使ってたギターなんだよ! お古だけど良いやつだからさ」
長方形のハードケースに入れられたそれは、僕でも知っている高級ギターだった。
「いいの? 本当に?」
「あぁ! 大事に使えよ! ファイヤーバードってギターだ! 知ってるよな?」
「うん! 雑誌で見たことある」
「このギターはな! 叔父さんがスタジオミュージシャンしてた頃に、師匠から貰ったんだよ」
叔父さんはケースをポンポンと叩きながら、懐かしそうに話し出す。
「そんな大事なの良いの?」
「あぁ! 何でもこのギターは神様のギターって呼ばれててな!」
「神様の?」
「あぁ! 師匠はこのギターで1万人位のホールでライブした事あるんだぞ? でも東京ドームライブを目前に急にバンド辞めちゃってな。 それで、ギターの神様に見限られちゃったから、このギターはお前にやるよって言われてさ」
叔父さんは僕の頭をポンポンと撫でると、「勉強もしろよ」と言って部屋を後にした。
僕はそれから、ファイヤーバードを手に夢中になってギターを弾いた。
初めて弾くギターとは思えない位、手に吸い付くようなその感覚に溺れそうになる。
弦を張り替える時に少しだけ指を切り、血が垂れたのも気にせずに。
その日の夜、僕はまたあの夢を見た。
「東京ドーーーーーム」
「ワァァァァァァァァァァァァァ」
僕の叫んだ言葉を起点に、悲鳴に近い歓声が場内に響き渡る。
暗闇の中、僕と女性を照らすスポットライト。 辺り一面を埋め尽くす緑色のペンライトが左右に揺れ、それは風に吹かれた草原のように波打つ。
僕の手に握られたギター、ファイヤーバードから放たれる歪んだ爆音と同時に、ステージから場内を一望出来る程のまばゆい光が解き放たれた。
草原を揺らす正体がオレンジの光で照らし出され、改めて僕はそれが人だと認識する。
「オン・ギター レイタぁぁ」
露出の多い黒の衣装を身に纏った綺麗な女性が、透き通るような声で僕を紹介する。
その姿に目をやると、天使の輪が出来た艶々の黒いロングヘアに、鋭い二重の大きな目。
右の目元と口元には対角線上になるように小さなホクロが見える。
女性は、ギターを弾く僕に後ろから抱きつくと、
「おはよ玲汰! やっと君に会えた。 これからよろしくね?」