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じゃじゃ馬編集長の廃刊回避策  作者: イライザ・ノースウェスト
第1章 建国100周年記念誌をつくりましょう
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「100周年記念行事? えぇ、うちも応募しているわ」

 汗で流れたメイクを直しながら、アデリナは答えた。

「やっぱり? 実はうちも応募しようと思ってさ。相談に来たんだけど」

 マーヤは楽屋を見回しながら言った。以前メイク中のアデリナをまじまじと観察し、デリカシーがないと叱られて以来、メイク中の女性の顔からは視線を外すようにしている。さすがは王都を代表する劇団『ラ・ディオサ』の本拠地ともあって、アデリナの楽屋は楽屋というよりも執務室のような設えであった。

「なぁにぃ? あたし達を蹴落とそうっていうなら、いくら恩人とはいえ容赦しないわよ、マーヤ?」

「宣戦布告しに来たんじゃないわよ。共闘のお誘いってとこ」

 その答えに小さく鼻を鳴らすとアデリナは、ところどころ落ちかけた口紅を完全に落とし、鏡の中の従者に視線をやった。視線を受けた若い女性従者は、すぐさま保冷箱からアイスティーを出してグラスに注ぎ、壁一面の鏡を向いたアデリナの背中側――執務机とは別の小さな長机にセットする。

「こんなところで悪いけど、お茶でもどうぞ」


 マーヤとセリカは従者からグラスを受け取ると、礼を言ってひと口飲んだ。花の蜜を煮詰めたような、喉を突く甘みのあとに、ふわりとした花の香りが鼻から抜けていく。同じようにひと口飲んだセリカが、しまったと言いたげに眉間に皺を寄せるのを横目に見て、マーヤは口を開いた。

「久々に飲んだけど、私は好きだわ」

 アデリナはマーヤを見て片方の眉だけを吊り上げてみせた。

「そういえばアンタは甘党だったわね」

「……ガルカンタ蜜は喉にいいと聞きますが。さすがにここまで濃いと、逆効果なのでは」

 どうにか無表情の仮面をかぶり直したセリカがそう呟くと、アデリナは悪戯が成功した子どものようにニヤリと笑う。褐色の肌から真珠の歯がちらりと覗いた。

「公演後にはこのくらいの甘みがちょうどいいのよ。《ソレス家の不良娘》さんにはちょっと甘すぎたかしらね」

「その呼び方はやめていただきたく……」

 眼鏡のブリッジに触れながら、セリカは小さく反論する。その耳が少しだけ赤くなっているのを見て、アデリナとマーヤは視線を交わして微笑んだ。


 席を外していた女性従者が、珈琲カップが2つ乗ったトレイを手に戻ってきた。セリカは珈琲を受け取り、ひと口飲んでほうっと吐息を漏らした。

「――で? 共闘と言ったわね?」

 アデリナが睨むようにマーヤを見た。長い脚を組み、軽く胸をそらしたその姿は、女王のような貫録に満ちている。

「えぇ。上手くいけばそちらにもメリットがあると思うわ」

 マーヤは自信に満ちた表情で答えた。セリカが差し出した企画書を受け取ると、アデリナは眉間を寄せた。ウェーブがかった豊かな黒髪を一房右手でもてあそびながら、黒曜石の瞳は企画書から離さない。

「なるほどね。うちの公演とそっちの撮影を一緒にやることで、経費を抑えると。……随分庶民的なメリットね」

「その庶民的なメリットが馬鹿にできないのよ」

 訝しそうに顔を上げたアデリナに、マーヤは”特製”アイスティーを飲みながら力説した。

「『ラ・ディオサ』はパトロンと付き合ってるから実感しづらいでしょうけど、気に入れば気前よくお金を出してくれる一貴族と違って、役所の仕事は予算ピッタリに収めることが大事なの。あなたたちの提案だとお釣りが出て、でももう一つ受賞させるには予算が足りない……そういうときに、うちの提案がそのお釣りで賄えれば勝機があるの。それに、あなたたちの提案が同じ予算のものと天秤にかけられた際、うちの提案の経費を下げるために相性のいい提案のほうが通りやすくなるんじゃないかしら?」

「……具体的に言うと、『フォルトゥナ聖歌隊』に対するアドバンテージってことでしょう?」

 アデリナはため息をついた。髪をもてあそんでいた指を、そっと唇に当てる。

「あなたは人の欲しいものを的確に見抜くから、ホント嫌になっちゃう。――まぁ、『フォルトゥナ聖歌隊』とも同じことができるじゃないとも思うけれど、いいわ。多少は協力してあげる」

 アデリナに呼びつけられた女性従者は、マーヤたちに軽く一礼すると楽屋を出て行った。

「……彼女、なかなか有望ね」

 楽しそうなマーヤの声に、アデリナは微笑んだ。

「マールは女優志望なの。私としては、管理方面で有能すぎて手放したくないんだけれどね」



「失礼します」

 マールが戻ってきてドアを開けた。ドアを抑える彼女の横から、5人の人物が入室してくる。彼らはアデリナと対面しているマーヤを見て、微笑んだり顔をしかめたりと様々な反応をした。

「ご存知かと思うけれど、一応紹介するわ。うちの花形役者のアルビオン、今イチオシの新人女優ソフィア、脚本家のウーゴ、衣装デザイナーのパブロ、劇場支配人のレジーナよ。皆、こっちは『トロキリデ』のマーヤとセリカ」

「お久しぶりです、お二人とも。マーヤとは学院以来ですね」

 パブロがにっこり笑って言った。その隣でウーゴも軽く頭を下げてみせる。恰幅のいいパブロと長身痩躯なウーゴは、見た目も雰囲気も正反対だが、気の合う同士だった。

「パブロ、ウーゴ、久しぶり。レジーナは劇場支配人になったのね、おめでとう」

「いえ……」

 レジーナは気まずそうに会釈した。マーヤとよく似た紅茶色の髪が揺れる。


 『ラ・ディオサ』の設立には学院時代のマーヤも関わっている。そのときにひと悶着あって以来、レジーナとの間には、未だにギクシャクした空気が漂ってしまう。事情を知らないソフィアだけが、不思議そうな顔をしてマーヤを見つめていた。

「レジーナさん、ご無沙汰しています。アルビオンさんとソフィアさんも。先日の『猫町』の公演は素晴らしかったです」

 セリカが営業用の笑顔で話しかけると、レジーナはホッとしたように微笑んだ。『トロキリデ』設立以降、何度も『ラ・ディオサ』を紹介しているが、それらの取材は大抵セリカが担当している。ソフィアとも顔なじみであった。

 緩みかけた空気に切り込むように、冷ややかな声がした。

「で、今度は何を企んでいるんですか? ただの取材依頼だったら、アデリナは僕らを呼ばないですよね」

「アルビオン……」


 口を挟みかけたアデリナを片手で制して、アルビオンは半歩進み出る。額にかかった淡い銀髪をさらりとかき上げ、露わになった切れ長のアイスブルーの瞳がマーヤを鋭く射貫いた。

「俺は別に今さら貴女に含むところはないのですがね」

 涼やかなテノールがマーヤの耳朶を打つ。《氷の王子》と謳われる美貌を威圧に変じたアルビオンに、誰もが口を噤み、彼を見た。

 さすがは花形役者、この楽屋は彼の独壇場になってしまったようだと、マーヤは舌を巻いた。先ほどアデリナから許可を得たが、肝心の彼らが協力してくれなければ意味がない。内心の焦りを顔に出さないように苦心しつつ、マーヤはアルビオンを見つめ返した。


 先に目を逸らしたのは、アルビオンだった。

「――貴女はどうも舞台裏で暗躍したがるきらいがあるので、先に全体を把握しておきたいんですよ」

 どこか拗ねたような口調に、マーヤは苦笑した。

「暗躍するも何も、もうなりふり構ってられないだけよ。これで失敗したら編集部を畳むことになるんだし」

「は?」

 ポカンと口を開けたアルビオンは、勢いよくアデリナを振り返った。同じように目を見開いていたアデリナは、アルビオンの視線を受けて首を横に振った。

「どうしてそんなことになってるんですか!?」

「マーヤ? そんな話は聞いていないんだけれど?」

 看板女優と花形役者の二人から同時に責めたてられて、マーヤは口の端をひくつかせながら笑顔を作ってみせた。隣でセリカがため息をついたのが聞こえる。

「――まぁ、とりあえず、いったん腰を落ち着けて話しませんか」

 事態の収拾を図ったのはセリカであった。アデリナに許可をとって、マールに全員分の飲み物を用意してもらう。ホッとした顔で追従したマーヤと終始キョトンとしていたソフィアの二人が率先して長机を動かすセリカを手伝いはじめると、ハッとしたように他の劇団員も別室から椅子を運び込み、どうにか全員が座れるように体裁を整えていく。

 マールが運んできた飲み物と菓子とでひと息ついたあと、『ラ・ディオサ』を代表してアデリナが口火を切った。

「さてマーヤ。話して。全部、最初から」

 マーヤは小さくため息をつくと、ここ数日何度も話した失敗談をしぶしぶ語りはじめた。



 経緯を把握した『ラ・ディオサ』の面々は、マーヤとセリカを連れて酒場になだれ込んだ。急遽呼ばれたアメリアや劇団の有望な若手たちも交え、お互いの発行する雑誌やチラシのデザインや、今後の計画についてさまざまな夢物語を語り合った。そして、アメリアがパブロとマールに送られて帰宅した後、再び酒場は糾弾の場と化したのである。


「だいたい、アンタはセリカに頼りすぎなのよ」

 ねぇ? と周囲に艶っぽい視線を投げかけたアデリナに、『ラ・ディオサ』古参メンバーたちは一様に頷いた。セリカは苦笑しながら蒸留酒を飲んでいる。

「本来トップに立つ資質のある人ですよね。貴女のおもりをしているから、裏方に徹しざるをえなくなっているだけで」

 アルビオンの辛辣な批評に、ウーゴは苦笑しながら言った。

「自分のような人間からすると、セリカ殿のような方がパトロンとなって矢面に立ってくれるのはありがたいが……自分にとってのアデリナのように」

 視線を向けられたアデリナは、ふんと小さく鼻を鳴らした。

「そりゃあ、そっちのほうがウーゴも才能が生かせるでしょ。でも、ウーゴと違ってマーヤは周囲を巻き込んでいくじゃない」

「……マーヤさんが悪い人ではないのはわかってるんですけどぉ、でもやっぱり、アレはなんか騙し討ちみたいな感じがしてぇ。どうにかならなかったんですかぁ!?」

「レジーナは飲みすぎだな」

 ほとんど机に突っ伏すようにして不満をぶちまけたレジーナを、ウーゴが支えた。水を飲ませてからソファに寝かせてやる。しばらくすると、レジーナの小さな寝息が聞こえてきた。


「――まぁねぇ、劇団創設のアレは私も悪かったと思っているわ」

 自分の上着をレジーナにかけてやりながら、アデリナが呟いた。マーヤはグラスに残った麦酒を呷って答えた。

「私もやりすぎたわ」

「本当にね」

 間髪入れず答えたアデリナに肩を竦め、マーヤは新しい麦酒を注文する。

「若気の至りってやつだったのよ」

「周囲を巻き込みすぎ」

 呆れたような視線を向けるアルビオンとアデリナ。唯一味方になってくれそうなウーゴは、さっさと向こうの若手の席へ移ってなにやら話し込んでいる。当事者ではないが事情を知っているセリカは我関せずといった表情で蒸留酒を飲んでおり、視線が合うと肩を竦めてみせた。


 ようやく宴から解放されたとき、朝日がやけに目に染みた。

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