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じゃじゃ馬編集長の廃刊回避策  作者: イライザ・ノースウェスト
第1章 建国100周年記念誌をつくりましょう
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 フォルトゥナ王国の王都グラン・フォルトゥナの都市整備にまつわる、こんな逸話がある。


 王都の都市計画の総監督を任されたのは、鬼才と名高い建築家のフランシスコ・オルバン。偏屈であることでも有名だった彼は、王都をぐるりと囲む防壁の設計図を見て怒鳴った。

「南門はいい。ただし北門は駄目だ。数多の獣と戦い、ここまで開拓を進めた先人の情熱が伝わってこない」


 大工は困惑した。設計図を担当した者は壁の色や素材、門の形や防壁の窓の数などさまざまな変更を提案したが、オルバンは首を縦には振らず、「情熱が足りない」と主張しつづけた。オルバン自身、これまではすべて自らが設計図をひいており、自分以外の建築家の設計を統括するなど初めてのことであった。自身がいちから設計をやり直したい様子であったが、王城の設計も抱えている彼に防壁の設計図まで任せていたら何年かかるかわからない。


 その様子を見ていた若い人夫が、こう声をかけた。

「それでは北門の防壁を、このように波打たせてはいかがでしょうか」

 オルバンはハッと顔を上げ、しばらく視線を彷徨わせたあと頷いた。

「そうすると、西門にはもっと温かみを出したくなる。西側には市場を設ける予定なんだ」

「でしたら、壁の表面に少しだけ起伏をつけてはいかがでしょう。重い荷物を抱えてやってきた商人たちが、少しの間足を止めて荷物や背中を預けられるような。あるいは小さな花籠を飾れば、街のみんなの目を楽しませることもできるでしょう」


 人夫は、建築を学ぶ学生であった。彼がオルバンと大工との橋渡し役を務めるようになって、これまでが嘘のようにすんなりと工事が進んだ。そして建築学園舎を卒業した彼は、王都完成後もそのままオルバンの助手として随行するようになる。結果としてオルバンは、それまで三十年間に手がけた建物の二倍を超える建物を、それから逝去までの十年間で完成させたという。


「ねえセリカ。貴女、わたしの《オルバンの助手》になってよ」

 七年前、オルバンの逸話を知ったマーヤ・フロレスタが、最初に言ったのがそれだ。


***


 マーヤ・フロレスタは、目尻に浮かんできた涙をそっと拭った。一昨日から編集部に泊まり込みで、仮眠しかとっていない。先ほどまではまるで魔法をかけられたように目がさえていたのに、校了を終えた今、急激に身体と目蓋が重さを増していくような気がする。

 眠気を払うように、小さく頭を振った。

「編集長?」

 その途端、目の前から咎めるように冷たい声が飛んできて、マーヤは反射的に背筋を伸ばす。彼女が自分を「編集長」と呼ぶのは、客先以外では励ましか叱責のどちらかだった。そして、今は後者である。


 マーヤは、目の前のデスクに座ってこちらを見上げる友人――セリカ・ソレスを見つめた。大学時代、二人の指導教官もこうやって、マーヤを立たせて叱ったものだ。もっとも、叱責のためにたびたび研究室に召喚されるマーヤとは違い、セリカは資料の入手や教授との議論のために自主的に出入りしていたのだが。

 つい現実逃避をしそうになるのを押しとどめ、マーヤは頭を下げた。今回は明らかに自分のミスだ。


「ごめんなさい……」

「どうして確認しなかったんです?」

「一昨日から寝てなくて……頭が回ってなかった……」

 理由にもならない言い訳に、思わず視線が下がる。はああ、とセリカのため息が聞こえた。

「わかりますよ、確かに色のバランスだけを考えると、ここは群青ではなく赤のほうが目立つ。でもですね、この群青は広告主の看板色なんです。これ、もし気づかずに納品していたら、賠償金をいくらふっかけられていたか……」


 トントン、と小さな音が聞こえた。頭を上げると、セリカは先ほどまで手にしていた書類を束ね、机に当てて端を揃えている。濃紺色のジャケットは、いつも通り綺麗にアイロンがかけられていた。辻馬車を呼ぶ代金と通勤時間を惜しんで編集部に泊まり込むマーヤとは違い、セリカはどんなに仕事が遅くなっても、必ず帰宅して、着替えてから出社する。

 それに引き換え自分はどうだろう。マーヤは視線を落とした。インクで汚れた手が視界に入る。

 今着ている襟飾りのない白いブラウスに黒いジャケット、深緑色のズボンは、どこか高等学院に通う男子生徒の制服風で、一見マナー通り。しかし、白いブラウスの袖には――おそらく襟にも――ところどころインクの染みがついているし、ジャケットの襟にはクリップのついたペンが無造作に引っ掛けられたままだ。ズボンも労働者が好む丈夫な帆布製で、女性用にしては大きなポケットがついていて、取材ならともかく正式な場にはそぐわない。頭の後ろで一つに結わえていた赤茶色の髪も、緩んで一筋頬に流れてきてしまっている。

 それになにより、ブラウスは辛うじて昨日着替えた予備の一着だが、ジャケットとズボンは一昨日から着たきりだ。皴もひどく、とても謝罪や商談に赴ける格好ではない。


「……とりあえず、印刷所との交渉でどうにかなりそうです」

「セリカ、本当にありがとう」

 マーヤは、自分の代わりに朝から外を駆け回った友人に頭を下げた。

「それでセリカ、刷り直しは間に合うのよね?」

「ええ。印刷代金すべてこちら持ちで、特急料金までかかりますが」

 セリカは鞄から一枚の見積書を取り出すと、マーヤに手渡した。合計金額を一瞥したマーヤは目を瞬かせ、すぐさま自分の机に戻る。わかってはいたが、予想以上の金額だった。


 すぐに棚から資料と計算具を取り出し、ぶつぶつと呟きながら考えを巡らせているマーヤには、立ち上がって珈琲を淹れはじめたセリカの姿はもう見えていなかった。


***


 マーヤとセリカは高等学院からのクラスメイトで、ともにフォルトゥナ中央大学で学んだ仲だ。王国の学園舎および大学への進学率は他国より比較的高い四割ほどとはいえ、そのうちの約七割が《貴族》――つまり、功績によって叙爵された元平民である男爵・準男爵を除いた、子爵以上の家――で、全学生のうち八割は男性であることから、大学の四年間をともに過ごした二人はいわば《同志》ともいえる間柄である。


 そんなマーヤとセリカ、そして子爵令嬢であるアメリア・サルディバルの三人が立ち上げたのが、フォルトゥナ王国の流行や街歩き情報を発信する雑誌『トロキリデ』だ。セリカの実家であるソレス男爵家の『フォルトゥナ経済新報』社の関連組織として、主に貴族や上流階級の子女向けの情報を発信している。

 商人通りの一角、目抜き通りの賑わいからも御用聞きや使用人たちが行きかう裏路地の喧噪からも取り残された、小さなアパルトマンの一室で立ち上げられた編集部は、創刊から五年目になる今もなお所属する編集部員が三名しかいないことからも、その規模がうかがえるというものだ。


 主な収入は『フォルトゥナ経済新報』に毎月初日に同梱される『王都流行速報』。これは王都に新しく開店した店の一覧のほか、今王都で流行している食べ物やファッション、文化、季節の花の花言葉などを紹介する小冊子だ。

 それから、商会から直接依頼を受けた商品パンフレットやチラシ。それらで得た収入を制作費として、年に四回、雑誌『トロキリデ』を発行している。


 今回の一件は、ある商会から受注したチラシが発端だ。

 制作はセリカ主導で無事に終えていたが、昨夜、予定よりも早く印刷所から届いた色見本を受け取ったのは、その前日から編集部に泊まり込んで原稿執筆と色見本の確認を進めていたマーヤであった。校了直前の『トロキリデ』のことで頭がいっぱいだった彼女はつい、誌面と同じ感覚で色見本を確認し、青空の魔写画の上を泳ぐように記されたキャッチコピーを見て、文字色の変更指示を印刷所に出した。そして今日の昼、編集部に納品された1,000部のチラシ――色見本ではなく――を見たセリカが、色が変更されていることに気づいて事態を把握し、すぐに正しい色味のものを再発注したのである。幸いにして、チラシの納期にはギリギリ刷り直しができるだけの余裕があった。


 珈琲を飲みながら、セリカはほうっと息をついた。無事にチラシの再印刷の目途もつき、『トロキリデ』も先ほどようやく校了を迎えた。窓からはうっすら西日が差している。いつもならば今日の仕事は切り上げて、自宅で休んでいる頃合いだ。


 今回の依頼の納期が『トロキリデ』の校了と重なることは最初からわかっていた。小さな編集部だから、マーヤは同業者から《名ばかり編集長》と揶揄されながらも取材に赴き、執筆もこなす。その負担を少しでも減らそうというセリカの気遣いが、今回は裏目に出てしまった部分もある。


 二杯目の珈琲を注いだついでに、マーヤのマグカップにも珈琲を注いだセリカは、未だ呟きながら何かを書きつけているマーヤの机に向かった。

「チラシの進行状況を共有していなかった私も、よくなかったと思います」

「……いいえ、正直、進捗を聞いていても忘れていたかもしれないわ。事実、チラシの受注時にスケジュールも聞いていたのに、色見本を見て思い出せなかったんだもの。セリカは私が『トロキリデ』の方に集中できるよう、配慮してくれていたのよね」

 マーヤは眉を下げた。

「長いこと仕事しているのに、こんなミスをするなんて。本当にごめんなさい」

「まあ。終わりよければすべてよしとも言いますから」

 そう言いながらセリカは、そっとマグカップを差し出した。受け取ったカップの温かさに、マーヤも少しだけ頬を緩めた。

「終わりよければ……ね」

 マーヤは珈琲に口をつけた。

「さすがセリカだわ」


 ふいに静寂が訪れた。窓から差し込む西日はますます強くアパルトマンを照らし、部屋を橙色に染め上げる。棚の上では埃がキラキラと、精霊のように舞っていた。


 以前にもこういうことがあった、とセリカは思った。こういう景色を見てマーヤは、いつか見た砂漠の魔写画のようだと叫んだこともあったし、火炙りにされている気分だと呟いたこともあった。

 今はどちらの気分なのだろうか、とセリカはマーヤの瞳を見つめた。こげ茶色の目は今、大きく見開かれ、強い光を湛えている。西日に照らされて一層、秋の日の団栗を思わせる彼女の瞳が、セリカはとても好きだった。


「ねえ、セリカ」


 セリカが好きな瞳が、こちらを見つめた。セリカは微笑んで、一つ頷きを返した。マーヤは一瞬眉を下げかけ、それから困ったように笑った。


「『トロキリデ』は、廃刊の危機だわ」

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