踏み台勇者、踏み台への予感
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入学式を終えた俺はこれから1年間を過ごすことになる教室に向かっていた。新入生挨拶は緊張した。生徒会長なんてやっていた奴が言えることではないが、目立つことにはまだ苦手意識がある。こればかりは慣れの問題ではないのだ。
教室に近づくにつれ、がやがやと騒がしい声が聞こえて来た。高校からの入学生がいるとは言え基本的にエスカレーター式の学校だ。同じクラス内に友人や知り合いが居ても可笑しいことではない。みんな新たな学生生活に期待に胸を膨らませているのだろう。ま、かく言う俺もそうだからな。
「目指せ高校デビュー……!」
高校生になった今、目標とするのはそう彼女を作ること……! 優しくて可愛い子を彼女にして、手を繋いで映画デートに行ったり、映画の雰囲気にあてられてそっとキスしたり、ゆくゆくは……
「ゆうきくん?」
「けっ……!?」
結婚したい、じゃなくて。教室に入った瞬間、目の前に見慣れた姿があって驚いてしまった。偶然だろうけどタイミング良すぎだろう。
「け?」
「……何でもないよ、玲奈。というかやっぱり同じクラスだったか」
「私達もいるわよ」
玲奈の後ろには、これまた見慣れた2人の男女が立っていた。
「遥も無事に同じクラスになれたようだからな」
「獅郎ぅ〜? どういうことかしら?」
「昨日皆と同じクラスになれなかったらどうしようと泣きついてーー」
「ししししてないわよ!」
軽く言い争いをする美少年美少女に、そんな彼らをにこにこと見守る美少女。彼らは、我が自慢の幼馴染様方だ。そして俺が自分主人公説を唱えるのをやめた一因でもある。どいつもこいつも俺なんかよりもよっぽど、主人公/ヒロインに相応しいから。
「ふふ、みんなまた同じクラスになれてよかった。これからもよろしくね」
花が咲くような笑みを浮かべている彼女は、白木院玲奈。
白木院という苗字の通り、この学校の創始者の一族の出であり、現理事長の愛娘である。まさにお嬢様ではあるが、それを鼻にかけるような真似は決してせず、誰にでも優しく、少し天然が入った天使のような性格の美少女だ。
外国の血が入っているためふんわりとしたグレーの髪と碧眼が特徴的な可愛い系だ。そして大きく揺れる胸元が男子諸君の煩悩を刺激する。
玲奈はたまに、エスパーか? と聞きたくなるくらい勘が鋭いときがある。もしかしたらさっき言いかけたことも……いやそんなまさかな。
「ああ。今年もよろしく頼む」
堅苦しい口調の彼が藤堂獅郎。
獅郎とは幼稚舎で出会って以来だから、もう10年以上の付き合いになるのか。実家は天狼派という古来から続く剣道の道場で、本人も全国大会個人の部で3連覇を成し遂げるくらい高い実力の持ち主。俺も獅郎のとこの道場に通っていたが、もう剣道の試合では勝てないだろうな。
見た目はクール系なイケメン。去年は剣道部部長と風紀委員長という二足の草鞋を履き、毎日忙しくしていた。無愛想なのが玉に瑕だが、真面目で頼りになる奴だ。
「んん? ……まあいいわ。あなた達との腐れ縁は続くようだけど、よろしくしてあげる」
高圧的にそう言った彼女は、加賀美遥。
遥は世界的有名なモデルを母に、同じく世界的有名な俳優を父にもつ芸能一家の娘だ。本人も将来は芸能界に進むつもりらしく、幼い頃から子役やモデルの活動を行っている。
綺麗という表現が似合う美少女で、艶やかな黒髪を腰まで伸ばし、切れ長の目が特徴的。どこがとは言わないが、玲奈とは対照的に薄い。本人は気にしているようだが、それはそれで好きな人はいると思うので強く生きて欲しい。
外見はまさに大和撫子という言葉がピッタリなのだが、性格はそれに見合わず強気で天邪鬼、つまりツンデレ。ツンデレではあるのだが、ちょっと抜けているというか、おバカなとこがあるというか……いじると大変面白い反応を返してくれるため、この面子では専らいじられ役だ。
玲奈と遥はその可憐な見た目から、白木院中学の2大女神と呼ばれていた。どちらも男子から熱狂的な人気があり、告白も後を耐えない。彼女たちを射止めた男は幸せ者だろう。まあ、簡単にどこぞの馬の骨にやる気はないが。
「俺もみんなと同じクラスになれて嬉しいよ。またよろしく」
白木院高校では特に優秀な生徒――分野に拘らず、”一芸”に秀でた者も含むーーを集めた特進科クラス制度が導入されている。幼馴染たちは掛け値無しに優秀だから、今年は4人とも同じクラスになっても確かに不思議ではない。だけどその制度がない小中の間もずっとそうだったんだよなあ……。権力の力を感じてしまうというか。いや、玲奈に限ってそれはないか。玲奈に目を向ければ、小首をかしげられた。かわいい。
幼馴染たちは各々が特別な才能を持ち、自然と周りに人が集まってくるような生まれながらの上位者だ。前世記憶を持った俺だからこそ、彼らと出会い、仲良くなれたことの幸運がわかる。願わくばこの縁がずっと続くといいんだがな。
そのまま彼らと談笑していると、教室に灰色のスーツを着た若い女性が入ってきた。赤縁眼鏡をかけた小柄な女性だ。彼女はひと目でわかるくらいガチガチに緊張した様子で教壇に上り、そのまま黒板に大きく、「左伯有少」と書いた。
「み、皆さん初めまして!私はこれから1年間、皆さんの副担任を務めるしゃ、佐伯有紗です。新任ですが、一生懸命皆さんと頑張りたいと思います!よろしくお願いしますっ」
そして90度のお辞儀をし、やり切ったとでも言うように満足げな顔をしている。いや、確かに熱意とやる気は伝わってくるんだが……
「佐伯先生、少しいいですか?」
「せんせい……! はい、何でも聞いてください!」
「あはは……とりあえず、席に着いていいですか? ……あと、多分黒板に書いた名前、間違ってますよ」
「へ? え? あ……わああ、ごめんなさい! みなさん席に着いてください。席順は、えっと、あ! このプリントの通りなので、まだ見てない人は確認してから座ってください」
わたわたと慌てているところとか黒板に背伸びをして書いているところとか、小動物っぽい可愛さがある女性だな。見ていて微笑ましくなる。小柄なのにシャツから溢れんばかりの胸をお持ちのようで、男としては先生が動くたびに揺れるそれに目が……ん? 寒気? そっと視線をずらせば笑顔なのに目が笑っていない玲奈と目があった。
俺は何も見ていない。殺気が篭った目で先生の胸元に視線を送る遥のことも知らないったら知らない。
「ふう……よし。改めまして、この1-Aの副担任を務める佐伯有紗です。担任の先生は体調不良でお休みなので、今日は私から色々連絡をしますね。ですが、まずは自己紹介をしましょう。出席番号が早い人から……天光くんからお願いします」
トップバッターか。はい、と返事をして席を立つ。
「天光裕輝です。中学からの持ち上がりで、生徒会に所属していました。趣味は身体を動かすことと読書です。仲良くしてくれると嬉しいです」
最後に笑顔を作って締めくくる。内容は無難なものだが、最初から飛ばしすぎるのも続く人がやり辛いというものだ。……まあ正直、これが限界なだけですけどね。こういう挨拶で人を笑わせられるのはある種の才能だと思う。
「素敵な自己紹介ありがとう! 次の人、お願いーー」
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「加賀美遥です。芸能活動をしているため、欠席や遅刻早退が多くなるかもしれません。その時はフォローしてくれると嬉しいです。これから1年間よろしくお願いします」
さすが遥、猫かぶりは完璧だな。どこから見てもクールビューティーな大和撫子だ。おいそこの男子、小声で「蔑んだ目で罵られたい」って言っただろ。顔覚えたからな。
「白木院玲奈と申します。中学では茶道部に所属していていました。皆さんと仲良くできたらなと思います。よろしくお願いしますね」
はにかみながら仲良くなりたいという玲奈は文句なしに可愛い。だからだらしなくにやけるのはわかる。だが胸に視線を送ったやつはダメだ。うちの玲奈にいやらしい目を向けるのは許さないからな。
「藤堂獅郎です。剣道部に所属したいと思っています。よろしく」
愛想笑いすらしない無愛想っぷりよ。けど女子たちは熱い視線を送っているし、これがイケメンだけに許されるなんちゃらとやらか。前世の記憶があるから余計感じるが顔がいいって本当に得だよな……。
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それにしても、さすが特進科って感じだ。ボクっ娘やら俺様やら個性が強い人が集まっている。
「みなさん自己紹介ありがとうございました。これからこのクラスで素敵な1年間を送れるように、先生も頑張っていきますね!」
とその時、教室前方のドアが音を立てて開き、1人の男子学生が入ってきた。黒髪黒目の大人しそうな見た目をしたやつだ。手には大量のプリントを抱えていて、俺らからの注目を受けて居心地が悪そうだ。
「あ、あの突然すみません。1-Bの渡瀬和也です。伊藤先生からこのプリントを佐伯先生に渡すように言われてきました」
「あ! そういえば、そのプリント職員室に忘れてきちゃってた……。渡瀬くん、重かったでしょ?」
「いっ、いえ!」
「んっしょ……ありがとう」
プリントを渡す時に手が触れて照れる男子生徒とそれに気づかずお礼を言う女教師――なんか、漫画でありそうなシチュエーションだ。羨ましいそこ代われ、じゃなくて。
渡瀬和也、か。どこかで聞いたことがある名前なんだよな。うーん、思い出せない。もう喉まで出かかってるんだけどーー「チッ、渡瀬かよ」――ん?
「どうせ媚び売りにきたんだろ」
「特進科に入れない落ちこぼれのくせして、せこいんだよな」
後ろの方から聞こえてきた声に思わず振り返れば、男子たち、持ち上がり組の男子のほとんどが渡瀬に負の感情を帯びた目を向けていた。そこに映るのは……嫉妬だ。
だが、何故? 容姿は普通だし、このクラスじゃないってことは能力も一般的なものだろう。女子たちは小声で悪口を言う男子たちを尻目に我関せずといった態度だ。男からだけ嫉妬される? 何だろう。すっごいモテるとか、美人な彼女がいるとかーー
「あっ」
そうか、思い出した! 『わたらせくん』だ!
中学3年生になってばかりのある日、玲奈が『わたらせくん』に助けられたと言った。詳しく話を聞いてみれば、委員の仕事で揉め事があってそれを解決してくれたとか。
遥は「どうせ玲奈にカッコいいとこ見せようとしただけでしょ」と言っていたが、他ならぬ玲奈自身がそれを否定した。その際の、
「わたらせくん優しい人だよ」
という玲奈の言葉をよく覚えている。当時の俺はそれに少し思うところがあって、素っ気ない返事をしてしまったな。それから玲奈から『わたらせくん』の話題がよく挙がるようになったが、ある日俺が、
「玲奈は本当にわたらせくんが好きなんだな」
と口に出してからそれもなくなってしまった。まだ中学生といっても女子だからな。幼馴染とはいえ、女の子の恋愛事情に男の友人が踏み込むにはデリカシーがなさすぎた。それから玲奈から『わたらせくん』の話を聞くことはなくなったし、自然と俺の頭からも彼のことは消えていったが……なるほど、彼が『わたらせくん』か。
とすると、男子の嫉妬の原因は玲奈に好意を持たれたことにか? 男の嫉妬は醜いと言うが、ここまで露骨になると酷いものだ。時期を考えれば去年からこんな感じだったのか……気がつかなかったのは元生徒会長として、天光裕輝として失格だろう。
渡瀬自身もこの歓迎されていない空気を察したのか少し顔を青くして、この場を去ろうとしている。後悔してばかりもいられない。この件はすぐにでも解決しないと、高校から入ってきた奴らにまでこの雰囲気が移ってしまったら最悪だ。
「じゃあ、僕はこれで失礼します」
――渡瀬がドアに手をかけた、その瞬間だった。
『御出でなさい、私の可愛い勇者たちよ』
そんな声が、頭の中に響いてきて。
「は……?」
教室中を、白い光が包み込む。
床に、赤い模様が浮かんでいる……?
白い光はどんどん眩しくなっていく。
なにもかんがえられない
いやだ
いやだいやだいやだいやだ
しにたくない!
♢♢
「続いてのニュースです。20日夜、大型トラックに20代の会社員の男性が撥ねられ、男性は病院に搬送されたものの間も無く死亡しました。トラックの運転手は飲酒運転をしていたとみられーー」
♢♢
「ゆうきくん、ゆうきくん!」
誰かがぼくの名前を呼んでいる。酷く泣きそうな声だ。ああ、ダメだ、しっかりしなくちゃ。ぼくは、俺はヒーローになるのだから。
「……玲奈?」
「ゆうきくん!」
「! 裕輝、よかった……」
「大丈夫か?」
「遥に、獅郎も……」
玲奈が俺に抱きついて名前を呼んでいる。遥が瞳を潤ませながら俺の袖を引っ張っている。獅郎が俺の肩を手を乗せて心配そうに顔を覗き込んできている。……どういう状況だ?
「ごめん、ちょっとぼーっとしてた。大丈夫だよ」
急いでこれまでの記憶を振り返る。
えっと、そうそう。女性の声がしたと思ったら急に教室が眩しく光り出したんだ。白い光は昔から妙に苦手なんだよな……それで混乱してたのか。玲奈たちにまで心配をかけるとは、情けなさで落ち込む。いや、そんな場合じゃないな。まずは今の状況を整理しよう。
「ここ、どこだ……」
上下左右、どこを見渡しても白い空間。扉も窓もなく、あるのはこれまた純白の色をした女性の像だけだ。澄んだーー澄みすぎて冷たく感じる空気も合わせて、どこかの宗教の儀式場みたいだ。どちらにせよ、それまでに居た教室の中ではないことは確かか。
ここにいるのは佐伯先生を含めた1-Aのクラスメイト……いや、渡瀬も巻き込まれてるから計30人か。その人数を一瞬でここに移動したというのは、現実的ではない。これは集団誘拐というよりむしろ、
「神隠し、ってか?」
「……」
「いたっ」
遥に無言で頬をつねられた。じと目で見上げられている……。
「ふふ、はるかちゃんは怖がりだから」
「ちょっと!? わ、私はそういうつもりじゃなくてっ」
結構、余裕そうだな……。そんな彼女らの様子を呆れたように眺めながら獅郎が話しかけてくる。
「裕輝、神隠しというと?」
「んー、そうだな……ここに連れてきたのは女神様で、俺らは選ばれた存在――なんてどうだ」
「……ふざけるなと言いたいところだが、一概にあり得ないとは言い切れないのがな」
獅郎は複雑そうな表情でため息をつく。女神様かどうかはともかく、あの声の持ち主が俺らをここに呼んだのは間違いない。そしてこの女性像がその人物――というのは出来過ぎか。
「脱出も出来なさそうだしな。女神様でも現れるのを待つしか、何だっ」
白一面の床に赤い模様が浮き上がってきた。魔法陣のように見えるが、これは教室で見たものと同じ……?
「ゆうきくん、こっち向いて」
「?」
「――うん、もういいよ」
玲奈に目を塞がれていたが……なんだったんだ? ああ、もしかしてまた光ると思って気を使わせてしまったのか。
「ありがとう」
感謝を告げれば玲奈は嬉しそうに微笑んだ。本当に天使みたいな子だ。彼女と結婚できるやつは幸せものだなあ……ま、未来を得るにはまずはここを乗り切らないと。
「女神様ではなかったが、来たぞ」
俺たちの目の前には、祭服のようなのを着た人々に、騎士のような格好をした人々がずらりと並んでいた。その中で一等偉そうな服を着た男が前に進み出てくる。胡散臭そうな雰囲気だ。見た目はつるっぱげなおっさんだが、実に腹黒そうである。
ハゲ神官は満面の笑みを浮かべると、両手を大きく広げ、
「ようこそ異世界へ、勇者様方!」
声高らかに、そう叫んだ。
異世界と聞いて、クラスメイトたちがざわつく。パニックになって泣き出す女子生徒に、どういうことだと怒鳴る男子生徒。佐伯先生が必死に落ち着かせようとしているが、効果は薄そうだ。だが俺はそれを気にかける余裕もなかった。――嫌な予感が、する。
異世界と勇者という言葉に、前世で蓄えてきたオタク知識が蘇る。
視線を斜め前に向ければ、動揺しながらも静かにハゲ神官を睨む男子生徒――渡瀬和也がいる。
『異世界物で集団転移。影の薄い、もしくはいじめられっ子の平凡男子、しかし何だかんだと美少女に好かれているやつが主人公。一見外れっぽいチートを得るが、いずれ最強。見事クラスメイトを見返し、ハーレムも築く』
外見は悪くはないがあまり印象に残らない。能力も突出したものではないはずだ。しかし、『優しい人』と玲奈に好かれており、クラスの連中からいい目で見られていない。しかも1人だけ別クラスで完全に巻き込まれた形でここに来ている。
間違いなく主人公要素を満たしてる。
『クラスの中心人物で高スペックなイケメン。しかし性格に問題あり。異世界でも一見当たりっぽいチートを得て活躍するものの、色々と問題を起こす。最終的には最強となった主人公にぼっこぼこにされる踏み台系勇者』
あれ。
これ。
「俺って、踏み台勇者?」