7 夜の一時
現在アリアスの寝起きは塔ではなく、城に勤める魔法師のほとんどが寝起きしている宿舎でとなっている。例外は王都に住居があり、通える者たち。
この宿舎というものは城の敷地内、館近くに別途建物があり治療専門の魔法師と館に勤務する魔法師は同じだが、魔法師騎士団団員は異なり、男女も別となっている。
基本は二人で一部屋。地位が高くなれば一人部屋もしくは部屋の広さ自体、階だけでなく場所自体が異なることにもなる場合がある。
例えば、騎士団団長。
白の騎士団団長たるゼロは騎士団の方に一つと城の方に一つ、それぞれ部屋を所有している。
そして、外は陽が落ち、夜にあたりつつあるこの時刻にアリアスがいるのはその城の方の部屋だったりする。
普段時間の都合あり自由に会えないため、そしてアリアスは宿舎で寝起きするためこうしてゼロの部屋で稀に会うことがあるのだ。
「今日は、ありがとうございました。それとすみませんでした……」
本日会いに来たのは珍しくもアリアスの方であり、早々に目的を切り出した。
紛れもなく、危ういところを助けてもらい同時に迷惑をかけてしまったことだ。
「そのことか」
と、アリアスを部屋の中に迎え入れたゼロは入ったところでの切り出しに、ろうそくに火を灯していたが一旦手を止め振り向いた。続けて、手早く火をつけ終えながら何でもないように言う。
「気にすんなよ。怪我なかったんだろ? それならいい」
「はい……でも、自分から怪我をしに行くようなことをしたので、危うく手間を増やすところでしたから」
「後で何か言われたのか。――ああ、エリーゼ様だろ」
「エリーゼ様には注意されましたけど軽いもので……」
あの場で怒鳴られていた同期と比べると怒られていないも同然である。
「騎士団の新人との落差考えてるなら、考えるだけ無駄になるぜ。大体騎士団は普段でもあれだからな、他の場所からするとやり過ぎに見えるって言われたこともあるくらいだ。だがそれが騎士団のやり方だ。
それよりもな……」
心を読んだかのような言葉が一度切られ、ゼロが立ち止まっているアリアスに歩み寄り、前で足を止める。
「肝冷やしたぜ……」
あっという間に身体に腕を回され、抱き締められる。
「気をつけろっていう以前にな、アリアスが自分から飛び込んでいったのには本当は俺も言いたいことはある」
「いえ、本当にすみません。とっさで」
「転がして見ときゃいいだろ。死にはしねえし危なくなるようだったらさすがに死なせねえよ」
「ちょっと滅茶苦茶なこと言ってますよ……?」
「冗談だ」と言われるが、本気の声音であったために拭い切れないものがある。けれど騎士団の方針と言われればおそらく納得できてしまうのは如何なものなのだろうか。
「次からは止めてくれよ」
「やりません」
身の危険は十分に感じた。それに見ていられないことが起きようとしていても、あれではアリアスも巻き込まれて手間を増やすだけであった。と、何度も省みたことをここでも再び考えていた。のだが、されるがままで抱き寄せられるままになっていたアリアスはいつまで経っても離される気配ない腕に、少し長くないかと腕の主を見上げようとする。
しかしそれにより身動ぎすると、力が込められる。
「あの、ゼロ様……?」
「いいだろ? 最近こうできる時間なかったから不足気味だ」
頭の上での声が耳に響く。
不足気味とは何だ。
「嫌か?」
それよりも、この人はこう言うとアリアスが何も言えなくなることを――アリアスが思うに――もはや確信して使ってきているのだから、ある種たちが悪い。
案の定、嫌とは言えず黙ってしまうことになる。
すると、しばらくして反論できない状態と見ただろうゼロが微かに笑う気配が伝わってきたので、アリアスは気恥ずかしくなってくるやらでそれをごまかすみたいにせめてもと聞いてみる。
「……嫌です、って言ったらどうするんですか?」
「へこむな」
即答で率直に言われて、再び何も言えなくなる。
「どっちみち離さねえけどな」
その間にも、心臓の音が聞こえてきそうなほどの密着は変わらず、元より嫌なわけではないアリアスは静かに大人しくしていることにする。
言われてみれば、確かに最近バタバタしていてこうして二人で会うのさえとても久しぶりのような気がした。
目を伏せると、包まれる温かさが際立ち、もたれてしまいたいまでの心地よさが出てくる。自分からいくことは未だに無理だからなおさらに、こういう機会は素直になっていた方がいいのかもしれない。
「騎士団専属にしたくなかったのはな」
「……はい」
どれくらいそうしていたか気にしていなかった時経ち、突然ゼロが言い出した。目を本当に閉じそうになっていたアリアスはわずかに間を開いて相づちをうつ。
騎士団専属にしたくなかった。そういう話が、あったような……。
もしかして、正式配属される前のこと。配属希望先を聞かれて医務室だと言い、それを聞いたゼロが騎士団に来ればいいと言ったがすぐに彼自身が撤回していたので、アリアスは首を傾げたことだろうか。
思い当たることは、それだけ。
「男の方が多いから、そういうの考えてると嫌だったんだよなあ」
「男性が多いから、嫌、ですか?」
「他の野郎に近づいて欲しくないってことだ」
「……それは、難しくないですか?」
「だろうな」
仕事的に怪我を治療することであり、加えて騎士団は男性比率が極端に高い。つまり関わることになるのは、同僚は女性が多いが、仕事対象は男性が多いということ。
とりあえず近づかない云々は難しいという考えが一番に浮かび口に出すと、すんなり肯定される。何だったのか。
「あんま気にすんな。俺が言っておきたくなっただけだ」
前と同じく気にするなと言われる。
顔が窺えない状態なので、どんな表情をしているのか分からないだけに気にしないというのはちょっと難しい。
けれど話は切られたことは明白で、アリアスはそれに関して考えた結果異なることを言う。
「私も、配属希望は医務室でしたけど……」
「ああ」
「こうして配属されてみて、ゼロ様の顔を見られるのは、嬉しいですよ」
学園を卒業して再び城に戻ってけれど、いつでも会えるわけではない。どれくらいか前に、ゼロが口にしたことでもある。
医務室を希望していたアリアスではあるけれど、騎士団専属になり竜に関わることになり、姿をちらりとだけでも見かけることが多くなったことに気がついていた。考えると職場上、当たり前のことでもある。
結論としては、そのことは素直に嬉しいことであるのだ。
言うと、ゼロは少し虚をつかれたように静かになり次いで身体が少し離れたと思えば……顔を合わせることになり、やっと見えた表情は笑み。
「それは、こっちの言葉だ」
笑みと、それから口づけが下りてきた。
*
ゼロの視界には、寝てしまったアリアスがいた。正式な魔法師となり仕事に慣れてきたところで、正式配属で変則的な仕事をすることになったのだ。疲れがたまっているのだろうと思う。
入り口にいるのも何だと卓を挟んで座り話していたのだが、眠ってしまったのだ。早く帰してやるべきだったかという考えが過るが、出来るだけ一緒にいたかったわけで仕方ないと開き直る。
ゼロは物音を立てずにアリアスの側に寄り、手を伸ばしその顔を隠してしまっている髪をそっと避ける。瞼を閉じて眠っている顔に触れる。
うつらうつらとしているところを見ているのも可愛いものだったが、無防備な寝顔はまたくるものがある。
少ししたら起こしてやらなければならないけれど、今は自分だけに見せてくれている寝顔を独り占めしておきたい。
伸びた柔らかな茶の髪をすきゆっくり撫でていると、彼女の口から小さく声が洩れ思わず手を止める。
瞬間、とてもその唇に口づけしたい衝動が起こり手を頭から頬の方へ滑らせる。起こさないように、そっと。
しかし。
コンコンとノックされる音。
ゼロの手が止まる。
ドアを見る。
その向こうを測るように、動きを止める。
「……何でこんなときに限って来るんだ……」
出た声には苦い調子が混じった。
何か張っているのではないかと勘ぐってしまうがごとき言葉が出たのは、ノックしたであろう人物に当たりがついたから。
この時間、ここに訪ねてくる人物なんて一人くらいしか心当たりはない。そして、誰よりもこの状態を見せると厄介な人物でもある。
普段ならいいのだが、今は良くない。
別に見られたってゼロは一向に平気だが、邪魔される恐れがある。ややこしいことになるとも。それしか気がかりではない。
傍らの、物音に気がついた様子なく眠る恋人を目に映す。たまらなく愛しい姿。
そこでまたノック。
視覚には恋人。触覚にも恋人。
聴覚にはノック。
ゼロは居留守を使うか使わまいかかなり迷った。