25 師の話
ほんの瞬きの内、アリアスが目にする光景は変わった。場所を移ったのだから当然とも言える。
見慣れぬグリアフル国の果ての地から、見慣れた城の師の部屋へ。部屋の中は全く何も見えないわけではないが、暗い。
肩から手を離され、師は部屋の奥へと歩いていく。
「さっきも言ったが、俺は人ではない」
単刀直入に話ははじまる。
ソファまで歩いていった師はどさりと落ちるように腰を下ろした。その瞳は紫であるはずだが、距離が開き暗闇に紛れる。
「これも言ったことだが、隠していたわけではない。先だってゼルギウス――あの鬱陶しい奴が来たときにお前が勘づいただろうこととは思った上で言わなかったのは、そのときもうひとつ起きたことがあったからだ」
「……もうひとつ?」
「ゼロ」
短く、名前を述べた。
「一気に情報を入れると混乱するだろう」
あのとき、二つのことが明らかになりつつあった。
ひとつ、師と同じ髪色をした魔族の存在。
ひとつ、竜と同じ橙の目を持つゼロ。
確かに、それは一度に与えられるにはややこしいものであったろう。
けれどこの師は意外と細かいところに気をつかってきたではないか。
「俺は人が呼ぶ、魔族という存在だ。外見が歳をとらないのはその特質のひとつだ」
知っている。ルーウェンが教えてくれた。
「ルーは元の性質上とそれを生かす才覚を持ち合わせていたからな、あいつは知っていた」
「いつからですか」
「それは分からん、忘れた。何だ疑ってるのか、俺はいちいちそんなこと覚えていない」
そう、こういう細かいことを気にしないのが師である。
「どうせルーやお前のことだ。話をしたと言ってもそんなに深く話してはいないんだろう。聞きたいことがあれば言え、俺が言うべきだろうと思いつくことは言った」
「言ったって……」
自分が人ではなく魔族だと明かしただけでは……。最低限すぎないか。
言われてアリアスは考えた。師曰く、隠していたわけではないということなので、質問をすれば答えてくれるようだ。
魔族、という存在を思い返す。
ゼルギウスと名乗った、邪気にまみれた存在を。
「どうして、目の色が違ったりするんですか?」
目の色が、だけだと言わなかったのは雰囲気も異なっていたから。
そして、師の目は紫であるはずなのに確かについ先ほどと言える前の時間、魔族と同じ深紅に移り変わった。魔性と力を感じるあの目は、竜の目が不思議な心地する橙であるように、おそらく人が持たぬ魔族特有のものだ。
「言うとすれば俺の魔族たるべき本質が曲がっているから、くらいか」
「本質?」
「争いと魔法」
二つ。
先にあげられた項目に思い出すのはゼルギウスがいきいきと戦場を見下ろしていたこと。
「竜と比べるとややこしい話になるが、魔族は人と比べると魔法力はいわゆる規格外ということになる。そもそも比べものにならんくらいだ。その魔法の質も人や竜とは全く異なる、例えるなら『こちら』で使われる白い魔法が『善い魔法』だとする。それに対し『あちら』で使われる色彩さえ反対の魔法は『悪い魔法』と言うことができる。魔族の有する魔法は癒しはおろか豊かにすることなどなく、己のために争いのために魔法を惜しげなく使う――言えばこれが伝承の『邪悪なもの』と言われる所以だろうな。実際その性質によって空間を違えたわけであるし」
空間と言うよりもこれも世界、と言った方がいいかもしれんくらいだ。と、語る口調がすごく他人事なので、正体を明かされたはずのアリアスはどういう反応で聞けばいいのかちょっと戸惑う。
「争い、というのは『あちら』で今も飽きず戦い続けていることが表しているだろう。それしか考えていない。――だが、俺はそれに飽きた」
「本質なのに飽きるとか、あり得るんですか」
「他の奴に言わせると、変わり者だったからな。どんなものにでも例外はある、魔族の中の例外が俺であっただけだ」
「……すごく他人事に聞こえるんですけど」
「別に俺は気にしていないからなそう聞こえるんだろう」
そういうものなのだろうか。あまりにあっさり言うものだからそれ以上そのことを掘り下げるのは止めておく。
一度話を止めたジオはそのアリアスの様子を見て、改めて話を続ける。
「――飽きて、何もすることがなくてどうするかというときに境目の綻びを見つけた。見つけて、閉じることに協力し、気がつけば俺の目の色は変わっていた。魔法さえも」
深紅の目は、紫に。
黒い魔法は白い魔法に。
まるで、人に近づくように。
「魔族としての本質が曲がり明らかに本来の魔族とは遠ざかったという証拠に、俺はここにいることも他の魔族に比べると格段に楽だ」
本来なら魔族はこの地の魔法を受けつけない、という。
ゼルギウスという魔族が魔族の受けつけない魔法宿す地の中心部に来れていたのは、将軍に身体を借りていたから。それでも自由に振る舞うことは出来ず不自由そのもの。それにその宿は、もうない。
対してジオはその身ひとつ。
「それでも根は魔族だ。この地にいることは少なからず怠い、魔族が人になることなどあり得ない。いつまでも魔族の顔は反面に有り続け、本質とてなくなることはあり得ず隠れてしまっているだけなのかもしれん」
「さっき目の色が……変わったのは」
「俺が攻撃魔法を魔族に対抗できる強さで放とうと思えば、それは人に近くある魔法では軟弱で敵わない。だからだ」
その言葉を境に目が、ふいに深紅に変わり煌めく。暗い中、浮かび上がる。
やはり黒い魔法をぶつけ合っていたのは師で、彼はその色彩を持っていて、魔族なのだ。荒れた地でもここでも実際に見て、実感が湧く。
ひんやりと、空気が冷えたのは事実なのだろう。
「怖いかアリアス」
アリアスが見つめる先にいるのは師であるはずなのに、確実に異なった何かを持つ。
「……いいえ」
しかし、問いを耳に入れ十分な時間が経ってからゆっくりとそう答え、首を横に二度振る。
「師匠は怖くありません。私は、師匠にあの魔族みたいな……邪悪さを感じることができません」
「ゼルギウスか」
ゼルギウスを前にしたとき、二人きりになったとき。間近にしたとき。
危険そのものだとアリアスの無意識は警報を鳴らした。子どものように笑っても安心など欠片も感じるはずなく逆に緊張した。
無表情の師のほうが余程怖くない。危険を感じない。害される気配がない。
なぜなら、この人はそうしようとしていないのだから。
以前兄弟子と話したときと考えは変わらなかった。師は、師なのである。
「悪かったな。あいつは俺に絡んでくる一種の変わり者でな、久しぶりにそれもこっちで会ったから余計にしつこかった……お前は俺を呼び出すための餌にされたわけだ」
「知り合い、なんですか」
落とされた。身の毛もよだつ感覚は簡単に忘れられるものではない。
その前になぜ、なぜという問いかけをされた。アリアスは心当たりが師しかなかったのでそう思っていたが、案の定当たりだった。
「知り合いはよせ。あいつと戦っていた時期が長かっただけ――とにかく知り合いというくくりに入れたくない。出来れば消したかったが、こちらで俺があれを消そうとすればあいつもそれに応じてきて魔法が地を荒らしただろうからな……」
深紅がゆらりと消え、入れ違いに現れただろう色彩はやはり暗闇に紛れそうになる。
ふう、と息を吐いた音。
「こちらの地の魔法が一番染みついた王都で、魔族の面を前に出すときつい」
「じゃあしないでくださいよ」
どうも疲れたらしい。
ここにも魔族である、という言が正しい証拠が。
そもそも、ここに来たときから疲れていたのかもしれない。ソファに座る動作がいつもより雑で怠そうだったと思えなくもない。
「師匠、大丈夫ですか……?」
「しばらくすれば何ともなくなる」
「私のこと連れて帰ってきて、余計な魔法力を使ってしまったんじゃ……」
「馬鹿な心配をするな」
「馬鹿って」
「しばらくすれば何ともない」
もう一度繰り返されるが、これだけ疲れた、弱った師は初めてでどうすればいいのか分からない。
「アリアス」
「何ですか?」
「こっちに来い」
言われ、歩いていき、
「ま、座れ」
隣に手招きされ座る。
距離は近くかり顔ははっきり見え、目の紫の鮮やかさが目につく。
それに、ほっとしてしまうのは何だか仕方がない。
「ま、ということでだ。他の者が勝手に言って染みついた、『魔法力が規格外だから身体の歳をとるスピードが遅い』というのはあながち間違いではなかった、というわけだ」
「……否定もしなかったわけじゃないですか」
しかも、「ということで」って。
すると師はしれっと素知らぬ顔で言ってくれる。
「面倒だからな。勝手に納得してくれるならそれに勝る楽なことはない」
「歳も、百歳くらいとか嘘ですよね」
「それは嘘だな、俺が言ったか」
「忘れました。……本当は何歳ですか」
「知らん。生きようと思えば千年二千年……永遠に近い時を過ごせるものだからな。数えている奴などおらんだろう。無論、俺もな」
「そうですか」
どのみち外見は変わらないわけであり、中身も子どもっぽい部分があったりすることを忘れるはずないどころかそれがこれまでであったので気のない相づちをうってしまう。
今までの話を考えると、普段結構寝ているのは根が魔族なので怠い部分があるから、なのだろうか。
ちら、と師を見上げる。
……いや、どうだろう。
黙ってそんなことを考えていると、ジオがごくごくわずかに首を傾ける。
「なんだ、聞きたいことはそれだけか」
「……え、ああまぁ、はい」
紫色の目がすがめられる。
聞きたいこと。
ぼんやりと浮かんで、でもそれよりも気になることがあったから口にして、今そのぼんやりが口に登ってくる。返事をしたくせに次の瞬間ほぼ無意識、口に出していた。
「――どうして師匠は、私を拾ってくれたんですか」
これは、考えると魔族であったということ関係なしにいつからかアリアスが聞きたくてでも聞けないものだった。この機会にと自分の中で口実をつけて、出てきた。
口にしてから、すごく身体に緊張が走った。
ジオは自分が魔族なのになぜ人を、という問いに取ってくれたのか何なのかあまり時を置かずして答える。
「あまり深く考えるな、何も出てこんぞ。俺が深く考えてないからな」
こちらの緊張が台無しになるようなことを。
「何ですかそれ、気まぐれっていうことですか」
「そうだったら」
「……別に、いいです。私がここにいるのは師匠のおかげですから」
「怒ったか」
「怒ってないです」
ため息はついた。安心、からきたものかもしれない。
「情がないとでも思ったか」
「え?」
「少なくとも取って食うために側に置いているわけではないから安心しろ」
「何ですかそれ!」
なにやら恐ろしい文言を混ぜられた言葉にびっくりのち聞き返したのだが、手が伸ばされてきて頭を撫ぜられる。かなり、優しい手つき。
珍しい行動に、大きな手の向こうを覗き見ると、明らかに欠伸を噛み殺した師を目撃。
「眠い」
「寝てくださ……待ってください師匠。そもそもここでのんびりしていていいんですか」
「問題ない」
本当だろうか。
「俺は少し寝る。十五分経ったら起こせ」
「十五分で起きてくれるんですか」
「気が向いたらな」
魔族であるらしい師は、一見しての証拠である漆黒の髪を流して目を閉じ、寝始めた。
その姿は、見慣れたものである。




