21 愉しい遊び
「ほらほらこっち」
楽しそうな笑顔で手招きされるが、そうしている存在が存在だけにいい予感なんてするはずない。
アリアスは近づきたくないのは山々だったが、そうしても無理矢理連れていかれそうなので渋々近づく。少し距離を置くことは忘れない。
「あはは、警戒されてるなあ」
当たり前だ。
「見えるかな」
視線は決して合わせないアリアスを気にせず、魔族が爪の長い指で示したのは下。
思わずその先を追い視線が向かったアリアスは驚きを隠せない。
ふとしたときにでも上下左右が分からなくなりそうなほど無地とも評せる空間。指さされた方が下だと思った理由が今回ばかりはきちんとある。
真下には荒地が広がっていた。
アリアスは見えない地面を踏みしめている錯覚に陥る。一瞬、落ちると思ったほどだった。荒地を遥か上空から見下ろしている、そんな状態。
これは、どういうことか。
ばっ、と妖しい存在と二人きりでまじまじ見ることはもちろんしなかった方を見る。こんなことをするのはその存在しかいない。
だがついの動作で、幸いにもか魔族は下を見ており目が合うことはなかった。それも、子どものように膝を抱えてしゃがみこんで池を覗いているような体勢。
「人間同士の戦いって面白いね。あんな数がぶつかり合って、一気に数が死んでいく」
「人間同士の、戦い……?」
また下に目を戻す。
高いところは平気みたいなので、足元が何もないように透明であることを除けば直視できる。
屈んで目を凝らす、と。広い地には黒い塊があり、それらはひとつひとつ小さな粒にも見え、動いていることも微かに分かった。人間だ。白い光が小さく発生している……魔法か。音は遠いからか、単に空間のせいか聞こえない。
植物なく荒れた地、人間同士の戦い、辛うじてだが目視できるそれら。
あれが……ここは、戦地――グリアフル国とレドウィガ国の争っている、『荒れ果てた地』と呼ばれる地なのか。
「そうだよ、将軍の望み通りにここでぶつかってるね」
「……どうして、あなたは私をここに……何のために連れて来たんですか」
「どうしてだと思う?」
にこっと笑いけられるが、人が笑ったような温かみは無い。
「そういえば、君は僕が何だか分かってる?」
「…………魔族、魔法族」
「魔法族の方でお願いね、それ。嫌になるなあ、まったく」
質問が無視され関係ない話が始まり、この魔族――こちらの方がしっくりくる――は素直に答える気がないと悟る。別に真っ直ぐな性分だと感じていたわけでは微塵もない。
渋々答えると、やれやれと首を振られた。
「そう、僕は魔法族。ゼルギウスっていう名前がちゃんとあるんだよ? 君の名前は?」
「……」
「まあ聞いたってすぐ忘れちゃうんだけどね。将軍の名前も聞いたと思うんだけど、忘れちゃったよ」
けらけらとよく分からないタイミングで笑う。
気まぐれか名乗られた名前。アリアスの方はその名前を忘れられそうにもなかった。ゼルギウス、その音の連なりは口にした存在によってか、大きな存在感を有している。
下を向いている目には横から見ても愉しげなそれは愉しげな感情が隠されることなく表れている。
戦地を、人が争い血を流している様子をそん目で観ている。
「ああいいにおい。空気。こっちに来てみて分かったけど、やっぱり飽きたって言っても僕はあっちの空気が好きなんだなあ。この空気は似てるよ」
そして、あろうことかそんなことを口走った。
その瞬間、冷たい風がアリアスの髪をさらう。
風が吹いている。
「……え」
さっきまで寒い、涼しい、暑いとも感じなかったというのに。無論無風の空間だった。
思わず周囲を確認したが、周りは広さが無限にも思われる空間。
でも、足元だけ変わっている、その実際に広がっていると思われる光景から風を感じる。空気の冷たさも感じる。
「この地ではかなり争いのにおいがするね」
荒れ果てた地はかつて幾度も戦地となった。
戦地の空気に浸って、魔族は嬉しげだ。
ストライプのリボンが揺れている。
「どうして君を連れてきたか、だっけ」
ひょいと下から見上げられ、色彩自体だけなら鮮やかで綺麗な真紅の目と直に合う。けれどそれ以上にこの目は良くない、危険が詰められた目だ。
「本当はね、どうせ来たなら人間同士の戦いを暇潰しに見れればなって思ったんだ」
ほら、見てごらんと広がる地を示される。今度は指は右の方に曲げられ示している。
「今右の方の軍勢は僕の駒だよ」
「駒……?」
「僕は戦うことが好きなんだ、魔族の性だしね。でも、僕が直接人間と戦っても面白くないから。魔法族は人間なんかより遥かに力を持ってるからね、すぐに殺しちゃうよ。というか、人間の方がすぐに死んじゃうのかな」
今にもそうしてしまいそうな危うい笑み。身体中を寒気が走った。とっさにアリアスはゼルギウスの腕のあたりを制するように掴む。制せるはずはないのに。
魔性の存在はそんなこと気にもせず両の頬に手をついて地を見下ろすばかりだ。
「だからさあ、せめて僕のものになった駒で戦わせることにしたんだよ。楽しそうでしょ? 『あっち』でも土塊同士で遊んだりとかしたことあるんだ。
将軍は細かいことを指定して来なかったからね、僕の人形にしちゃった。いいよね、だって切られても撃たれても腕が飛んでも、普通なら人間は喚くんでしょ? それがなくて戦えるんだよ? これで勝ったら同時に感謝されるよね。あ、でも将軍の意識は戻るのかなあ? 多少耐性あるみたいだけど、まあいっか会わないし」
右の軍勢、『駒』はレドウィガ国の軍だ。
かけ離れすぎた思考と言い分に顔が歪む。駄目だ。根本から違う。理解ができない、できたくもない。
いい遊び場で人形を見ている眼差し。人間を、何とも思っていない。遊び道具同然。言も目も、何もかもがそれをかもし出す。
自分が連れてこられた理由は未だ分からず、そのまま結局遊びのように殺されるのかもしれないと漠然と感じたほどだった。
「そんなことしに、」
来たのか。
その呟きのような言葉を溢すアリアスに目を向けることなく、人でない存在はつらつらと喋る。
「ここはさあ君たちが住んでる空間と、僕らがいる空間。あっちとこっちなんて示し方するね。ここはその境目のひとつが封じられていた場所なんだよ」
兄弟子が教えてくれた。
土地ごと空間ごと住む場所を違えることになったのだと。
けれどこの魔族がその『こっち』にいるのは。
「そ、肝心の封じは長く時が経ったからか綻んじゃってるね。だから僕はここにいる。そこで将軍に会って取り引きしてその一部として戦を見れることになった。本当は人間がぐちゃぐちゃやってるところを見物しようと思ってたけど、将軍がまた取り引きを言い出してきて気が変わった。僕の遊び場だ」
将軍は力を貸すことを要求したと言っていた。この明らかに危険極まりない存在に。
結果、この魔族はその言葉を好き勝手して遊びの駒にしてしまったという。
将軍は、そのことを分かっていたのだろうか。それとも身体を貸して蝕まれ、思考は鈍っていたのだろうか。
「でもね、もっと気が変わった。一番の愉しみは、それじゃあなくなったんだ」
急にその雰囲気が濃密になる。不気味さと、力そのものが肌を刺すほど感じられる。邪悪で魔性な人間ならざるそれ。
にわかに魔族は立ち上がった。立ち上がるとアリアスよりも背が高いが、体格はよいわけではない。しかし、その雰囲気で力そのものの存在でもってアリアスを圧倒する。将軍がしたように殺気が向けられているわけでは、ない。それでも将軍よりもずっと恐怖を抱えさせてくる。
駄目だ。飲み込まれるな。胸元で手を握る。
こちらに身体の正面が向き、目が向けられる。離れたい。それなのに、いつからかアリアスの手はそのままで動いてくれなくなっている。
「なぜ彼はあんな場所にいたのか。いるのか」
突如伸ばされた手はアリアスの手首を捕まえた、と思ったらつけられていた腕輪の間近で黒い光が発せられる。
バキン、壊された。
その手が退けられたとき、手首には腕輪はなく、腕輪を形作っていたと思われる粉々になった欠片たちは吹きすさぶ風に運ばれ消えていく。
風が強い。髪が強くあおられ、視界を一瞬遮る。
周りは、もう完全に外だった。
ぼんやりとして感覚を狂わせる空間はいつの間にどこに消えたのか、はたまたアリアスたちが抜けたのか。
それに戸惑う時間はなかった。
「変わり者だった。僕も人のことは言えないけどさ、さすがにここにいるほど変わり者だとはね」
独りごちている声音だが、アリアスをじっと見ている。
まるで空に立っている状態に、足を動かせば落ちてしまう気がして動けない。力を持つ目から離すこともできない。
「二百年くらいかな、姿を見ないのは。でもその間にこっちに来てるとはね、会うなんて思うわけなかったからかなり驚いたよ」
声が頭を通り、過ぎてゆく。
誰のことを言っているのか。頭のどこかでは分かっている。
腕輪を壊された。前も、腕輪に引っかかっていた。その腕輪に染み付いている魔法力はひとつ、作ったのは一人。
「どうしているべき場所にいないのか。
よりにもよってこの地に、中心部にさえいたのか。
目の色が変わっているのか。
魔法族の本質が曲がってしまっているからだ。
あのときなぜ追ってやって来たのか。そして、庇うように魔法を放ったのか。その魔法も質が変わっちゃってたね。庇うなんて笑っちゃうよ、魔族が。
何を、追って。何を庇ったのか。僕を何から離そうとしたのか。
ねえ、君じゃないの?」
漆黒の髪を持つ師はこの存在と同じではない。
「君は何なのかな。
君はそんなにいい退屈しのぎなのかな。それともただの愛玩用かい?」
息を吸う。張り付いて動かない気さえした喉をどうにか動かす。
「――あの人に拾われた、ただの弟子ですよ」
「弟子、デシ。君と僕が互いに言っている像が合っているなら、ほんと、変なことしてるなあ、人間ごっこ? それにしてはあの目と魔法は冗談が過ぎる」
アリアスには答えられるものがひとつもない。
声を振り絞る。せめてもの抵抗でもあった。
知らない、と。
「それは師匠に、聞いてください」
「うん、そのつもりだよ」
あっさりとした声。
押されはしなかった。
不気味な空気を運ぶ、風が吹いた。
「僕がこの地への誘導に協力したのはね、こっちでならここが一番戦いやすいからなんだよ。君が落ちたことに、気がつくかな? そもそも君は『正解』なのかな? 勘違いでも構わないけどね、君は落ちて死ぬ。僕はどのみち彼を引き出す。意味を見いだしてほしいなら、そうだな……僕らの戦いの合図だよ」
もはやこちらを見ない真紅の双眸と、口が嗤う。
「ジオネイル、戦おうか。魔法族の本質を忘れちゃったなら、思い出させてあげるよ」
愉しいことを前にした魔族は、子どものように、だが邪気にまみれた笑みを浮かべる。




