17 絡まる事件
殺伐とした夜を終え、牢にブルーノ=コイズを入れ直したあと。無様に泣きわめく男を見たあとの朝は何とも後味が悪かった。
ゼロは顔をしかめる直前のような表情をして城の通路を歩いていた。
一睡もせずに会議だからとかいう話では当然、ない。
妻が。子どもが。と。絶望にうちひしがれた姿を目にした。
二年前、ブルーノ=コイズが出奔した際、彼の家族の所在が一番に調べられた。その結果、彼の妻子は隣国に行ったっきりだということが判明した。ブルーノ本人も生まれ自体は隣国で、さらにどうも妻の出身が隣国であったのだ。国交は少なくとも数年前までは良好――少なくとも表向きは――だったので人の行き交いも当然あった。不自然ではない。だが、妻子が隣国へ親に会いに行くと言ったのはその何ヵ月も前。事前に逃亡させていたのか。と思われていたが……。
かつてゼロの上司であった男は喚いた。妻が殺される。子どもが殺される。
錯乱状態と呼べる状態だった。
それは、見たこともないほど、かつてを知っているからこそ直視し難い哀れな姿であった。
「どうなってんだ……」
ブルーノ=コイズは一人の団長である前に、一人の男で夫で父親だった。そして、国よりもそうであることを選んだ。家族の命を乞うために国を裏切り、追っ手を殺した。
正常ではない状態での言葉を鵜呑みにするのかと言われればそれまでだ。しかし、確かにブルーノ=コイズが裏切るとは誰も誰も思っていなかったのだ。部下はもちろん、最高位の魔法師たちも。
かつてのゼロであれば、そんな男を何と愚かなとただ冷ややかに見ていただろう。馬鹿か、と。
だが、冷ややかな目を向けていたとき、彼の頭にふと浮かんだのは一人の少女だった。
もし彼女が――と考えかけたとき。
本当に守れるだろうか。という考えが過った。つい昨日の痛ましい姿が甦る。毒なんて。側にいなかった、仕方がないと言えばその通りなのだろう。だが、彼女の傷ついた姿など一片たりとも見たくないと思うのは勝手だろうか。
そう思う彼女がもしも盾に取られたとき、自分はどう行動するのだろうか。
「考えてもこれこそ仕方ねえか」
とりあえずそんな事が起こったとすればぶっ潰すことは確実だな。とは思ってゼロはそれらを頭から振り払って、らしくない負の考えに苦笑いしたくなる。
「あれは……」
通路の角をふいと曲がると、曲がった先の通路の向こうにいる、誰と瞬時に分かった姿。
今まさにとてつもなく顔を見たかった少女の姿があった。これからより忙しくなりそうな予感がしていたから当分会うことも出来ないかと思っていたが、どうも意味が不明なことばかり続くと良いことがあるらしい。
「医務室行ったとこか?」
この辺りにあるとすれば『医務室』。喉の調子はどうなのか。と昨日のことも思いながらゼロは口許をわずかに緩めて迷わず進路を変えた。
彼女は足を止めているようなので、距離にして約百メートル。見えるのは若干斜めではあるがほぼ後ろ姿。
足音は考え事をしているときから無意識に消していて、その延長でそっと近づいたら驚くだろうかなどととちょっとしたいたずら心のごときものが芽生える。
しかし、そこで少しだけ露になった顔を目撃して表情を引き締める。
様子がおかしい。顔が強ばっている。混じっているのは焦りと、怯えか。
普段ではない表情にゼロはすぐさま原因はなんだと少女だけに向けていた目をその側に向ける。誰かが側に立っていることは遠目でも分かっていた。
少女が向き合っているのは男だった。
その時点で、やけに距離が近くないかとゼロは眉を寄せる。腰の剣を引き抜きそうになって、思いとどまる。さすがにまずいだろう。
彼女はどうも城に長くいるからか思わぬところに知り合いがいる。その類いかもしれない。だが、男だ。近すぎないか。目測で確実に身体は触れている距離。少女の兄弟子で自らの友人と同じだと処理できるはずはない。
それに、とさっき見たが今は窺えない彼女の表情を思い出す。知り合いを相手にして普通あんな顔をするだろうか。違和感が生まれてくる。
直感で離したばかりだった剣の柄を探る。
刹那、少女に触れんばかり近くにちらついた鈍い輝きを見逃さず見てとって地を蹴った。
***
「それで、侍女の方はどうだったって? 奇妙な点でもあったってのか?」
「毒はただの毒だ」
「ああ」
「侍女は脅されたと言っていた」
「だろうな」
「ずっと視線と気配がまとわりついているようで恐ろしかったのだと言っていた」
「なんだそれ」
ブルーノ=コイズを牢に入れ朝日が顔を出し始めた頃、一旦二人は牢の外に出ていた。
騒ぎ暴れているのが少し収まることを待つ間に話をするためだった。
朝日に照らされない建物の影で立ち止まる。
ルーウェンの明かした侍女の証言にゼロは心底はあ? という顔になった。
「そんなもん思い込みだろ。それとも実際に部屋の中に脅した張本人が見張りに一緒にいたっていうわけか?」
「そうじゃないゼロ、もし、侍女に本当にずっと視線がついて回っていたとすればどうなる?」
「どうなるって」
「全部繋がらないか?」
「……確かに巣の地中に埋め込まれていた魔法石はジオ様が回収した。陛下だけの病も不自然で魔法石が見つかった。そこ繋げんのは分かる。けどよ、毒は侍女の手によるものだろ。大体、ずっと『本当に』視線がついて回るなんてこと腕持った魔法師でも出来ね……ああそうか、繋がるってそういうことか」
「ああ。腕のある魔法師でも出来ない。それなら、魔法の力を持ちすぎているものだったら」
ゼロは壁に背を預けて額に拳をつけた。
「脅すなんて面倒な手使ったのはわざとか」
「おそらくな。それに、ブルーノ=コイズもこれを所持していた、もうこれも含めて一連のことを繋げざるを得ないだろ?」
その前でルーウェンが「これ」と指したのは取り出した黒い石だ。
『巣』の地中に黒い魔法石。王の部屋にも黒い魔法石。再度牢にぶちこんだばかりのブルーノ=コイズが握りしめていたものも同じ代物。
もし、ありふれた色のものであったとしてもこの状況では全てを繋げただろう。ましてや今回見つかっているのは世にも稀な黒の魔法石。出所が異なるとは考えにくい。
「さっきまではそう確信してたんだけどよ、今それ入れるとややこしいってんだ。あいつは隣国――レドウィガ国に出奔した。あの国に匿われてるはずだっただろうが。なのに、本人は今まで口閉じてたかと思えば、さっき捕まったら人質が取られてるなんて喚く。それを信じたとして、なんで奴がその魔法石を持ってる。隣国で採れるってのか? あの国はこの国に比べりゃそれ関係の資源が乏しいだろ。それに関連しねえとしても、あんな魔力の詰まっている代物がある方がおかしい」
「落ち着けゼロ」
「隣国は一体どうなってる。ブルーノ=コイズを脅した奴は、そこはどう繋がってる」
ゼロは最後まで言葉を吐き出して苛立たしげに壁を足裏で蹴った。
「分かってんだ、ルー。牢を開けたのだって腕持った魔法師でも出来るか分からねえもんだった。『そう』考えれば全部繋がる。だが、そもそも繋げたとして、なんでこんなことする? どの件でも、結局それが分からねえ」
「それは……」
「団長! 大人しくなりました! 尋問可能な状態だと思われます!」
「――とにかく今日も会議は決定だな」
「今行く。……また会議かよ。仕方ねえけどよ」
「話はまた後でな」
「おう」
団員が呼びに来て、ゼロは牢へ行くべく壁から背を離して息を吐いた。
*
自然と瞼が開いたとき、ゼロの目に入ったのは側にいて守りたい少女だった。




