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花咲くとき、騎士は請う  作者: 久浪
『竜の異変と怪しい影』編
43/246

16 不審者

 次の日、朝になるとアリアスは約束した通りに『医務室』に行った。朝早くに来たわけであるが、クレアが普通に出迎えてくれた。


「声は出るみたいだけれど、何か違和感はない?」

「ないです。ありがとうございます、クレア様」

「それなら良かった」


 クレアにお礼を言うと彼女はアリアスの頭をそっと撫でた。アリアスは何だかくすぐったい思いがして笑みを自然に溢した。

 首からは包帯で固定されていた魔法石はとれ、時間的には一日も経っていないのに意識する必要もなく声は出るようになっていた。一重に治療してくれたクレアのお陰だろう。


「でも、少しでも違和感が出てきたら来て」

「はい」

「必ず」

「クレア様、もう平気ですよ。でも、もしも何かあればお世話になってもいいですか?」

「当たり前」


 抑揚のない声音ではあるが内容は思いやりに満ちたもので、これにもアリアスはくすぐったい思いがする。クレアは滅多に浮かべない笑顔を普通は分からないくらいに口に表した。


「それにしても彼の心配ぶりは相変わらず」

「ルー様ですか? ルー様は私のことをまだ子どもだと思ってるからではないでしょうか?」

「それは、そうかもしれない。それは私も分かるから」

「クレア様まで私を子ども扱いですか?」

「仕方ない。幼いときから知っているから」


 ベッドの並んでいる場所の横のスペース、椅子に座ってクレアと向き合っているアリアスは兄弟子だけではなく……と発覚した事実に少し複雑な気分だ。

 でも、クレアの方が兄弟子よりも年上だからこちらの方が納得できるにはできる、かもしれない。それに心配されるようなことになってしまったのは自分であるし、とアリアスが悶々と考えている前では、役目を終えた小ぶりの魔法石を机の上の瓶の中に入れたクレアが普段通りの表情に戻ってぽそりと言った。


「そういえば、私はルーウェン団長にしか連絡をしなかったけれど、ジオ様は知っている?」

「あ、はい。昨日あのあと師匠の元へ行ったので……」


 昨日、アリアスが一旦ルーウェンに連れられてジオの元へ行ったときのこと。

 「普通に口だけ動かして話せ。分かる」と師に言われたときにはこの人もかと思ったものだ、というのは別の話として、状況を聞かれ様に何だかじっと見回されたのだが結局なんだったのだろう。


「そうなの、それにあの方は最高位の魔法師で話も入るから、どのみちそうね。――ああそうだ、アリアス。ひとつ聞きたいことがある」

「何ですか?」


 今度は包帯をくるくると綺麗に巻き取りながらの彼女にアリアスは思考を止めてから首を傾げる。前置きするとは何だろう。


「ゼロ団長とはどういう関係」

「え?」


 変わらぬ声音で思いもしなかった質問がなされた。

 手早く包帯を巻き取り終えたクレアは引き出しの中に小さくなった包帯を入れて、アリアスに向き直る。真剣そのものの顔である。

 アリアスは目をぱちぱち瞬く。


「ゼロ=スレイ。昨日、来ていたでしょう? どこから聞き付けて来たかは知らないけれど、初めて会ったようには到底見えなかったから」

「あー」

「ルーウェン団長繋がり? でも彼が会わせようとするとは思えない」

「えっとですね」

「それに嫌に馴れ馴れしかった」


 質問の内容を頭の中で噛み砕き、何か話そうとする前にクレアはどんどんと言葉を重ねる。

 いつも言葉簡潔な彼女らしくひとつひとつは簡潔なのだが、どうも変だ。まるで、兄弟子のような……。

 おまけにどこか不満げな雰囲気が目に宿っている。


「困っているのなら私に言うといい。ちゃんと追い払ってあげる」

「あ、あのクレア様?」


 それから、どうもひとつの方向に理解が片寄っているようだ。


「困っているとかは、」

「絡まれているわけではないの?」


 ゼロは一体どういう見方をされているのだろうか。

 何から説明したものか、とアリアスはとりあえずは曖昧に笑い返しながら考えた。





 「身体のことだけじゃなくて、何かあったら、来て。絶対」という声音は通常なのにどこか気圧されるほどのそれにこくこくと頷いてアリアスは『医務室』をあとにしていた。

最近師の部屋は散らかる頻度が減ったものだが、ここのところよくある会議の影響だろうなと思う。

 今朝はまだ行っていないのだが、ソファに寝そべっているだろうか、ちゃんと寝室に行って寝ているだろうか、それとも会議に行っているだろうか。


「どれにしても、部屋が散らかってたらそれを片付けて掃除の続きをやろう……」


 アリアスはぶつぶつとこれからやるべきことを呟きながら通路を歩く。

 朝は早いけれど、もう城も館も人が働き始めている時間だ。

 でも、アリアスのいる通路は静けさが勝る、が、自らの足音より小さな声……ほぼ口の中で呟いているため声は響かない。

 静かだ、と思う。

 場所によれば人の声飛び交う騒々しい空間になっているところもあるだろうし、例えば館もいつも書類が飛び交ったり――忙しすぎるときは本当に魔法で飛び交う――しているし声はさておき雑務にあたる部屋なんかは物音は溢れている。

 しかし、今。

 そういう意味ではなく、アリアスの目には入らない耳には届かないところではかなりの騒ぎになっているのではないだろうか。

 竜の具合が悪くなった。これだけでも対応は必要だ。

 陛下が流行り病で倒れた。これ以上の一大事はない。

 王子に毒が盛られた。これもゆゆしきことだ。

 今、この城ではいくつのことが起こっているのだろう。連続する師の会議への出席。これだけがアリアスに分かる範囲のことだった。


「ああ、もう……」


 『巣』に行った日からある不安は考えれば考えるたびに増幅しているような気がしてならなかった。


「大丈夫」


 だってアリアスの周りはまだいつも通りだ。師の行動はその地位上仕方ないけど、自分が普段赴く場所には別段変化はないように思える。情報規制がなされていることは確実だろうが、ここまでとはすごい。

 でも、解決する方が先だろうか。侍女はなぜあのようなことをしなければならなかったのだろうか。ずっとそのことを考えてしまっている部分がある。

 嫌な考えを吐き出すみたいにため息をつく。

 どうせ何を考えたって何かなるわけではない。自分はさっさと自分のやることをやるのだ、とアリアスは息を吸って下がり気味だった目を意識して上げる。


「おっと」

「あ……」


 途端、脇から出てきた誰かとぶつかりそうになってアリアスは反射的に足を止めた。相手の方も足を止めたようで、声を上げたが両者が実際にぶつかることはなかった。

 ただ、コン、という硬質なものが落ちた音がした。アリアスはその音に反応して下を見る。そこには丸いものが落ちていて……何かはさておき、割れなかったようだがヒビは入らなかったろうか、と音と一見して割れ物みたいに見えたので今まで考えていたことをふっとばして不安に思う。

 すぐにぶつかりそうになった相手を見上げて――見上げるほどに背は高かった――そしてぺこりと頭を下げて謝る。

 さっきまでのことを思うと、恥ずかしながら前をよく見ていなかったのは明らかだった。


「あの、すみませんよく見ていなくて……」

「いやいや、こちらこそごめんなお嬢さん」


 相手は男性であった。

 さっきまでどんな表情を浮かべていたかは一瞬で覚えていないけれど、その表情はアリアスが見上げてから変化したように思えた。

 『へらり』という形容の合う笑みを浮かべた男は軽い口調でそう言った。軽い、と思ったのは「お嬢さん」という言い方をされたからかもしれない。

 気にするな、という仕草をした男を前にアリアスは身を屈めて落ちている丸いものを拾い上げる。それを渡そうとして、拾ったものを手にしたことによって濡れた感触を感じて立ち上がりながら見る。見て、つるりと石が手から離れて地に向かう。

 コン、という音が再びした。

 立ち上がった状態で固まってしまったアリアスを尻目に身を屈めゆっくりと落ちたものに手を伸ばす男の髪は黄土色で、後ろ髪はひとつにまとめられていてぴょこんと跳ねている様子が映る。

 アリアスは自らの手から目を弾けたように離して、男が長い腕を伸ばすその先を目で追いかける。

 やはりあの丸いものを目にする。アリアスの拳ほどはあるのではないか、という玉。

 何秒かそれを見ていたアリアスは突如無意識に一歩下がってしまう。

 球体を拾った手をぎゅっと握りしめる。


「あ、あの」


 けれど、目は離せない。男から。通路に落ちている漆黒の魔法石から。それから、何かのこびりついた靴と、下の衣服についている斑点から。

 気がついた。男の異様さに。

 ベースとなる服装は城で働く者の中でも忙しなく走り回る雑用に近い人々の簡素なもの。だが、その服装をしている者はここら、つまり魔法師しか行き交わないエリアにはまず見かけることはない。ここが一点おかしいところ。

 その服装の上には不自然な点はない上着。気になったのはその下だった。目立つ、大きさの異なる点。模様ではない。そんなきれいなものではない。なにか、飛び散った感じ。その色はほぼ黒く見えるけれど……。上着が、それを隠そうとしているように見えた。

 同じ色は男の茶色の靴にもついている。伸ばした手にも。手から、一滴、垂れる。

 それから、男の体格が無闇にがっしりしているのではなく、騎士団の団長をしている兄弟子のような体つきであること。

 つまり、身につける衣服が、気がついてしまえばあまりにも似合っていないことに気がついたのだ。

 なぜ、それらに気がつくに至ったか。男はベルトの腰に血濡れた短剣を持っていたから。

 そして、アリアスの手にもべったりと渇ききらないそれがついていた。

 そこが、二点目。


「――本当に、すみませんでした。私、失礼させて頂きます」


 目は離せないながらも、口が勝手に動いて意外とスムーズに言葉は出てくれた。

 それよりも、一番目を引かれたのは、漆黒の魔法石。そう、男が落としたものは魔法石だった。

 さっきちらりと見たときは魔法石だとはまさか判断できなかった。魔法石としては見慣れない色だったからだ。

 だが、最近どこかで同じものを見なかったか。

 滅多にない色のそれは記憶に残っていた。同じような色の髪を持つ師と一緒に甦ってきた。彼が、持っていたのだ。


「まァ待てよ、お嬢さん」

「……っ」


 反射的に手をさっと後ろにやって再度ぺこりと頭を下げて、視線を切りその場を後にしようとした。目指す先は一人掃除だと呟いていたときと変わらず師の部屋だ。いや、さっきよりも早く行こうと思った。

 それなのに、腕を掴まれた。


「――すみません、私、急いでいてですね……」

「急ぐことはないだろ。これが気になるんだろ?」 


 と男は元の通りに立って手にした漆黒の石を振りながらなおもへらりと笑って言った。

 それが、逆に今のアリアスには薄気味悪かった。


「教えてあげようか、どうせ今さら聞いてもらっても構わないさ」


 ひょいひょいと石を軽く投げては赤い手のひらで受け止める男を前に、


「あァそうだ、この際手伝ってもらうのもいいなァ。あの侍女みたいに」


 アリアスははっと逸らしていた視線を向けた。聞き捨てならない言葉が、独特な口調となった喋りで聞こえてきたからだ。


「……侍女?」

「おや、ご存じだろう? 毒を飲んだお嬢さん?」


 男の目は深緑で、弧を描き面白そうにこちらを見ていた。


「どこかで見たかと思ったら昨日だ。王子様への毒を飲んじゃァいけないだろ。おまけに、ピンピンしてる」

「王子への、毒……」


 この男は何を言っているのだ、さっきから。

 今も視界にちらつく漆黒の魔法石とそれを持つ手の赤さに目がいっていて、すぐに理解できない。でも、自由な手を首にやっていることを自覚して頭を巡らせる。

 王子への毒。それを盛った侍女。

 そうだ、今朝だってついさっきまで考えていたことではないか。


「まさか、」

「お気づきかな?」

「あの侍女の方に紅茶に毒を入れさせたのは、あなたですか……?」


 尋ねずにはいられなかった。


「そうさ、さっきから言ってるだろ」


 瞬間、ぱちんという音、光が発生した。

 目眩まし。

 アリアスがとっさの判断で魔法を使ったのだ。全てはここから、この男から離れるために。

 指を鳴らしてすぐにアリアスは掴まれている左腕をぐいっと思いっきり引く。引いた。でも、ほどけない。

 このままでは無理だと悟る。

 どうする、次の魔法を……とアリアスは目をぎゅっと閉じ顔を逸らしたものの、自らも至近距離の魔法で起こした光で若干ちかちかする視界で考える。

 魔法の準備をする。


「見かけによらず肝の座ったお嬢さんだなァ」


 ああどうしよう。アリアスは焦る。

 この男は自分が最初思っていた以上に危ない。のんきに失礼しますなんて言っている場合ではなかった。

 人工的な光が失せ、アリアスが魔法を放つ前に喉元に針の先が皮膚を破る直前まで押し付けられているみたいな、身体が反射的に凍りつく感触。

 男が持ち、突きつける短剣の刃にはところどころ赤黒いものがついていた。後ろのベルトに刺していたあれだ。身のこなしは武人のそれ。


「さっき協力願った侍女さんに会いに行ってきたからなァ、汚れてるのは勘弁してくれよ。魔法で殺すなんて一辺倒は頭悪いから仕方なかったんだよなァ」

「……そんな、」

「喋ると刺さるぞ?」


 暗に言われた裏側をさっと理解して絶句する。普通に、まるで普通に言われた。

 なんとも軽い口調だった。


「どうして、そんな」


 酷いことが、酷いことを。ちくりとした痛みで口を閉じるが、口の中で続きを叫ぶ。

 一方男は短剣を持った手をちらとも動かさずに「どうするかなァ」と思案した声を出す。


「お嬢さんには責任をとって王子様に魔法でもかけてきてもらおうか。どうも魔法の才はあるらしいしなァ」

「何を……、そんなことするわけがないでしょう……!」


 やがて発された言葉にアリアスは即座に言い返す。馬鹿な、と。

 同時に前のめりになってしまって二度目のちくりとした痛みと皮膚の破れる感覚。顔をしかめる。


「刺さるって言ってるのによォ。まったく、どうも面倒なお嬢さんにちょっかいかけたみたいだ」


 王子殺害未遂を犯したと言っても過言でない男は呆れたような表情を滲ませた。

 嫌味な男だという感想を抱いている場合ではない。この男はきっとこちらの喉を裂くことを厭わない、とアリアスは直感する。

 だからと言って、どうするべきなのか。この男はきっと逃がしてはならない――


「ほーらさっさと出ていけばよかったのに。君は欲張りだ」


 そのとき、すぐ近くから聞こえる声が増えた。男の声ではないけど、男と同じくらいの距離感。


「完璧主義者と言ってくれよ。完璧に勝利するには必要なことがある」

「完璧主義者ってこうやって見つかっている時点で破綻してるよね」

「大体、すまないがあまり出てこないでくれるかァ? キツい」

「あっは、ごめんね。僕も快適ではないから痛み分けだ」


 確かに異なる声。ひとつは目の前の男のもの。けれど、もうひとつは?

 男の仲間か、と目を巡らせるが男の他は誰にもいない。でも、声は男の側から。

 おまけにその男はといえばこちらが視線をさ迷わせている様子に笑う。そうしながら、声と会話している。

 不気味だった。何と会話しているというのだ。


「それに、君に手を貸してやってるんだから我慢しなよ」


 けらけらとした、子どもみたいな笑い声がどこからともなく響く。

 何だか怖すぎる。

 しかしながら、笑い声と一緒に震えるものがさ迷わせた視界の端に映った。影。男の影。男が動いているわけでもない。そもそも影のする動きではない。()()身を震わせている。

 その様にさらに恐怖が倍増する。

 加えられた異なる恐怖に何が起こり始めたのかと、とっくに理解がいっぱいいっぱいだったアリアスが頭の中がパニックしている内にも不気味なやり取りは続く。


「というかそれなんだけど、何か懐かしい気配纏ってる。何だろう、まさかこんな居づらい場所にいるはずないのに」

「何のことだァ」

「うん、ちょっと連れて帰ろっか、君ももうさすがに用はないんでしょ? ついでにそろそろ帰ればいいじゃん」

「はァ? 連れて帰るって……手間かかるだけだろ」

「いいから、僕にとっては興味深い拾い物なんだよ。ほら、遅いなあ行くよ」


 魔性の瞳、という言葉が過った。男はなぜか顔をしかめ、目が赤みを帯びたのだ。

 同時にもはやひとつの生き物のように男の影が動いてアリアスの真下に来た。やはりこの影はただの影ではなかったのだ。

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