8 新たな知らせ
「っ、……ルー様」
「ごめんな、驚かせたな」
アリアスが再び、竜の傍らで魔法石を手に鱗に触れること数十分か。
魔法石からの魔法を手を通して流し込むことに意識を集中させていたとき、ぽんと肩に軽く触れられてびくりとする。
ばっ、と振り向くことと見上げることを同時にすると、腰を屈めて立っていたのは兄弟子。
「結構回復してきてるな。頑張ってくれたんだな、アリアス」
「それは、任されたからには……。それよりルー様、どうなさったんですか?」
「ああ、そうだった。これをな、つけにきたんだ」
彼が持っているのはジオが持ってきたあの、鎖がついた大ぶりの魔法石。
どうも、魔法をつめ終わったらしい。
アリアスが一旦手を止めて見つめる先で、ルーウェンは持ったそれを竜の手に巻き付けていく。
竜はつけられるものが悪いものではないと分かっているのだろう、全く抵抗しないでじっとしている。何分か前からか開いていた目もじっと見守っているのみだ。
それにしても。
「ルー様」
「うん?」
「お疲れではないですか?」
ぽうっと一瞬だけ青白い光を発すると共に、ふわっと周りの空気が動いた気がした。竜もその目を細める。ルーウェンの込めた結界魔法が竜を取り囲んだのだ。
それを確認してから、隣でしゃがみこんでいるアリアスはそっと尋ねた。
魔法石への魔法の詰め込み、装着、発動。それらを一セットで行っており、さらには現在ここらの範囲一帯をまだ結界魔法で覆っている兄弟子。
大丈夫なのだろうか。彼といえども、師のような規格外さは持ち合わせていない。少なからず疲弊しているのではないか。
「ちょっとだけな。目一杯魔法込めたからなー」
魔法を解き放ったあと、ルーウェンは振り向いてそう言って笑ってみせた。しかし、案の定隠しきれていない疲れが滲んでいる。それが自分でも分かっているから、疲れていることは誤魔化さなかったのだろうか。
けれども、きっとちょっと、ではない。
「でも大丈夫だぞ?」
「それならいいんですけど……」
半分は本当、半分は安心させるため。
兄弟子の性格のこういう部分を知ってはいるが、アリアスは少しだけ笑ってそう返した。
忘れてはならない。彼は団長である。その立場と責務があるのだから。
「師匠もいらっしゃるしな、この状況を含めてもきっとすぐに解決する」
ルーウェンの青の目はやはり青空のように曇り一点もなかった。
彼は、そうやって安心させることが上手いのだ。
「だいぶ元気になったかな」
温度が下がってきた風を受ける。風の方向からして竜の頭の辺りにいて影に隠れているアリアスには微かにしか当たらない。
竜は途中でその巨大な手を重ねて頭を乗せていた。様子からして、最初を考えるとかなりの違いである。
魔法石から魔法を注ぎ込むことに一区切りつけ、立ち上がる。それでもなお、竜の影に隠れたままになる。
息をゆっくりと息を吐き出す。空気を吸うと澄みきったそれが入ってくる。
開いたままの橙の目が目の前にある。
その不思議な心地のする目を見つめる。
「可哀想か」
いつの間にか、今度は音もなく気配もなく師が近くに立っていた。竜をゆっくりと撫でていたアリアスは突然声をかけられて、内心に留まらず実際に少なからず驚いて息を飲む。
だが、投げられた問いかけはしっかりと聞き取っていた。「可哀想か」確かに師はそう言った。
彼は前を向いていた。ある光景は、さっきアリアスが見ていたものと同じ。竜が存在感を示す光景だ。当てはまるのは、まだ、それでも少し弱っている竜の姿だろうか。
問いの対象は、彼らのことを指していることは間違いない。
「……いいえ、可哀想というよりは哀しかった、です」
翼があるのに、頭上には空があるのに。
それなのに、今日は竜が墜落する姿を見た。そして今は今で動きは出てきたが、時おり目にする空を滑空する姿ではなく地に伏す姿を見ることとなった。
「――そうか」
ジオはただそれだけ、ぽつ、と答えた弟子に相づちを打った。彼の目の紫の色彩は、その色を濃くして来ている陽の影響でか赤みが混ざったようになっていた。
「それにしても中々見れん光景だな」
「師匠……不謹慎ですよ」
急な質問をしてきておいて、次はまるで、珍しい絵画でも見ているような言。
アリアスはそのことに大しては気にはしなかったが、その言葉に、もたげられた竜の頭……は手が届かないので顔を撫でる。心なしか、開けられた目は師を睨んでいる感じがしないでもない。さっきの彼の言葉のせいかもしれない。
加えて、ぼふっと大きな鼻の穴から空気だけでなく炎がごくわずかに噴出されて揺らいだ。
「元気そうじゃないか」
「師匠の言ったことに怒ってるんじゃないんですか?」
「これだから冗談の通じん竜は」
「そんなこと求めないでください。そもそも師匠は冗談言う方でしたか?」
「それもそうだったか」
言われて気がつくものなのか、それは。
ときに惚けたようなことを言う師を他所に竜を撫でる手は止めていなかった。
その際、遠くを見ていたジオがその手にか目を落とす。
「腕輪はどうした」
「え? あぁ……竜に溶かされてしまいました。すごいですね、魔法石まで溶かしてしまうんですね」
「竜にか」
尋ねられて、腕輪があるべき手首を少し上げながら見下ろす。腕輪自体はあるけれど、鈴は溶けてしまっている。
思い出しながらしみじみと答えると、聞いてきたくせにそれも大して気にはならなかったようで師はそれだけ呟いた。
「戻ったらまた会議か」
そして、異なることを口に出した。嫌だなぁみたいな雰囲気が出た一言だった。
「師匠」
不謹慎だ。
竜がこうなっていることが問題にならないはずはない。それゆえに会議が開かれるとアリアスでも簡単に想像はつく。それをいつものように面倒がっている師。いかがなものか。咎めずにはいられないだろう。
「不可抗力だ。口に出た」
「結局思ってるんじゃないですか」
「会議は好かんからな」
「好き嫌いじゃないでしょう……」
「向き不向きがある」
「そろそろそういう基準で考えるのは止めたほうがいいと思います」
アリアスは心の底から言った。
子どもみたいな部分は何十年経っても不変のことなのか。
こういうときに毎回思うが、何年……いや何十年か、その地位にいるのか。会議なんてそれこそ数えきれないほどしただろう。その内何割を無断欠席したかはアリアスには知る術はない。
それより、この師はこの状況をどのような目で見ているのだろうか。
問題の状況下にあるのにこんな会話をすることもいかがなものか。とついでに聞いてみることとした。
彼は一人原因を探ると言っていたはずだ。直接的に聞いていいことかは今の段階では図れないので気になることを。
「師匠、竜が回復してもまたこんなことにならないでしょうか?」
「心配か」
「それは、これを見てしまったら……、良くなったとしてもと思いますよ」
「ならその心配をするな」
返ってきたのは揺るぎない声。
「もう起こらん」
断言される。
ゼロにしてもルーウェンにしてもジオにしてもどうしてこうも全く不安を感じさせないのだろうか。
三度目の不安を一蹴する言葉にアリアスは何だか不安が一欠片もなくなって笑みを浮かべてしまいそうになる。
その前に、はたと気がつく。師は原因を探っていた。この、体調を崩すことさえ稀だという、竜が全て地に伏すという不可解な現象の。
ということは、原因が判明したということなのか。思わず、尋ねるべくアリアスが口を開きかけたとき、声が出る前にジオが目を横の方に向けた。
アリアスも見ていた彼の視線をとっさに追った。
それからしばらくして、茶色混じりの長い金髪の男性が現れた。これを感じていたのか、いくらなんでも鋭すぎないかと思わないでもないが師ならばその事実を容易に受けとることが出来る。
ところで現れた男性は騎士団の服を着用していた。しかし何だか、困りはてていると思う表情も相まって似合わないと感じたのが第一印象だ。
「一大事ですよ」
その人はすぐ側にジオがいることを認識してから、彼に告げた。
どうも、この場に用があるというよりはジオに用があるようだ。
それから、あまり人に聞かれてはいけない内容なのかジオにかなり近寄り、ぼそぼそと何かを言う。
アリアスにはもちろん聞き取れない大きさ。
「……何か厄介なことになってきそうなタイミングだな」
何事かを耳打ちされたジオは彼にしては大層顔を大きく変化させた。それはもう、会議かとぼやいたときより、厄介だという風に。
アリアスは一欠片もなくなってしまったはずの不安が戻ってきたことをどこかで感じた。




