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花咲くとき、騎士は請う  作者: 久浪
『竜の異変と怪しい影』編
30/246

3 空から落ちてきた

 若き騎士団団長たちと別れたアリアスは城の敷地内の庭のひとつに寄り道していた。実は戻る途中で庭師に会って、今咲いている花ももう枯れてしまうのでその前に作業をすると聞いたからだ。

 その庭師とは一旦別れて、一足先に聞いた庭に来たアリアスは萎れてしまっている花を目にする。しゃがみこんで、まだ辛うじて咲いてはいるが下を向いてしまっている花に指先で触れる。『春の宴』のときに盛りであった花々。だが、長持ちしたほうであろう。そう思っていても、元気がないのではなくもう咲き誇ることのない花を見るのは少し悲しいものがある。

 ぼんやりと自分の影の下となって薄く暗くなった花を見ている視界に、ふと腕輪が映った。

 そういえば、師が王都を出ると言っていたな、と思い出す。あの師はそう言えばする性格であるので、きっと近い内に現実となるだろう。出るとして、いつ出るのだろう。レルルカにバレるのではないか。いや、その辺りは完璧にしそうだ。普段は全くもって読書だ睡眠だとやる気が見られないのに……。


「まぁ、冬に出るとか言われるよりはいいかな」


 春の暖かな気候の中、外を歩くのはいいものだ。人混みが嫌いなジオであるので、きっと緑の多い、人の比較的少ない場所に行くのだろう。

 アリアスとしては、ついていくことが決定しているようなので別段それに関しては考えない。それに、ジオ一人で行かせるといつ帰ってくるか不明である、ということになりかねない。実際去年は中々戻ろうとしなかったのだ。

 呟きながら、暖かな光を提供している太陽の輝く空を見上げる。

 見上げた空は、春特有の水色をしていた。雲が薄くかかっている。何の鳥だろうか、一羽優雅に翼を伸ばして旋回しているのが見てとれる。


「ん?」


 しかし、のんびりとしていたアリアスの目が捉えたのはそれよりももっと向こう。一つ、点が。空の中に一つ、やけに目立つ。鳥ではない。鳥であるなら、こんなにも気になるはずはない。

 その点が異なる形のものであると理解できる頃になって鳥が不自然に揺れ、さっきとはうってかわってばさばさと翼を動かしたことが地上からでも分かった。アリアスの視界からは鳥が消えた。


「近づいて来てる……?」


 目線を固定したアリアスが思わず呟いたことは、もちろん空で起こっていた。

 点であったものが、見ている内に急激にその形を変えていた。否、元々の形がそれがどんどんと近づいてきたことによって明らかになってきていた。

 あれは……。アリアスは目を細めて正体を知ろうとする。見える範囲が、何十センチかの差なんて近くなろうともこの距離であればあてにならないが、思わず立ち上がる。


「鳥……?」


 翼のような部分がある。鳥がそうするように羽ばたいている。けれど、憶測の域は出ずに、どうしても首を傾げてしまう。

 だが、そうしていられたのもそのときまでだった。

 アリアスが目を凝らしている内にも、それは明らかに鳥ではないスピードで進んできていたのだ。そして、それが何なのかようやく分かった。

――ドラゴン

 遥か遠くにいた時点で鳥の大きさを越えていた物体の正体は竜だった。巨大な身体を持ち、巨大な翼をはためかせて飛んでいる竜が一体いた。


「今から騎士団の訓練場に行くのかな」


 正体が分かったアリアスは目を凝らしたまま呟く。

 少しだけ近くで見たことのある竜はいずれも騎士団の訓練場で見たのだ。屋根がなく、だだっ広い空間の広がる建物。屋根がないのは、竜が空から出入りできるようにされたものであるのだ。この方向だと、きっとそうだろう。

 笑顔で空の、姿がはっきりしてくる竜を見上げていたアリアスはそこで疑問に思う。なぜ、一体だけなのだろう、と。空に見えるのはただ一つの巨大な身体。他にはどこを見ても、空の彼方にさえ同じような影は見当たらない。彼らを見かけるときは、大抵数体で飛んでいるものだが。

 思った瞬間に空の竜に変化が起きた。傾いだ、と見えた。それから、落ち始めたとも……。


「え?」


 アリアスは呆けた声を出した。加えて、表情が動かなくなった。

 予想もしなかったことに目は追い付いてはいたが、頭は追い付いていかなかったのだ。だから、足も動いていなかった。

 竜が彼女のいる庭に向かって落ちてきているというのに。


「うそだ!」


 ようやくまずい、と脳に警鐘が鳴ったときには変わらぬ猛スピードで巨体が安心できない距離の空にまで迫っていた。

 そして、そのわずか数秒後。

 風を切る酷い音。吹き付ける突風。腹の奥どころか全身に響くほどの轟音。同時に足をつけているはずの地面の感触が消えるくらいの揺れ。

 一気に襲ってきたあらゆるものによって立っていられなくて、座り込むこととなる。

 その間、アリアスの頭の中は軽く混乱し、真っ白だった。


「げほっ」


 一つも状況を飲み込めない内に、今度は辺りが窺えないくらい舞い上がった土埃で咳き込むことになる。それは落ちてきたものの衝撃の大きさゆえか中々収まらない。当然アリアスも、一度吸ってしまって咳き込んだものは止まらないので咳き込み続ける。

 何度も、それはもう喉が痛み、生理的な涙が滲んでくるまでに至った。


「何が……」


 土埃が落ち着き、乾いた地面に尻をつけたままのアリアスはようやく一息つける。そこで、心からの言葉をぼやいた。

 何がなんだか。短時間で酷使された喉をさすりながら自らが背を向けはじめていたはずの方を向く。


 巨大な顔があった。


 息を飲む。けれども、さっきから咳き込んでいて少しデリケートになっていた喉に空気が変なところに入ったらしい。


「けほっ」


 また咳き込む。ここでアリアスはもう嫌だと呻いた。喉の痛みに顔をしかめて、慎重に息を吸って吐く。

 そうして、そろり、とゆっくりもう一度さっき見た方に目を向ける。

 身体中ではあるが鱗に覆われた顔。閉じられた大きな口からはこれもまた大きな牙がはみ出ている。その上、瞳孔が細く、特徴的な橙色の目があった。

 竜だ。紛れもなく、竜である。

 手を伸ばせば……というほど近くにいるわけではないが、何分なにぶん相手が巨大すぎてそんなに距離を置こうとも存在感は変わらない。

 竜特有の夕暮れの如き目と目どころか顔を合わせたままアリアスは固まる。

 頭を整理する。

 元々空を見上げた先に竜が一体だけ飛んでいたはずだ。しかし、なぜか突然傾き落ち始めた。その、落ちてきた先が、こっち。

 整理することはそこまで難しいことではなかった。見ていたからだ。だが、眼前にかつてないくらいに近くに竜がいたとしても、状況を理解できるわけではない。

 今、どういう状況なんだとアリアスは思った。言わずとも、橙色の色彩を前にしたまま。

 落ちた。落ちた?


「と、とりあえず誰かに」


 竜が落ちることなんてあるのか。それともこれは着地なのか。うんともすんとも言わない動かない竜をよしとして立ち上がり始める。何となく、静かに。目を離さずに、徐々に腰を上げていく。


「騎士団に……」


 腰を上げるとすぐに方向を変える。

 とにかく自分ではどうすることも出来ないし、何をするべきかも分からない。騎士団に知らせるのが筋だろう。頭の中で判断は的確に出しながら足を踏み出した。はずだった――


「!?」


 ガクンと膝が折れた。力が抜けたわけではない。何かの力が加わった。

 またも突然の出来事に為す術なく、アリアスは地面に逆戻りすることになった。地面で思いっきり打った下半身に痛みが走る。特に尻を強く打った。

 今度は何が、と原因は後ろに違いないので振り向く。するとそこには、それでも驚く光景があった。

 離れたところにいる竜が、その長く大きな腕をこちらに伸ばし、鋭い爪の生えた手でアリアスの身につけたスカートを器用に押さえつけていた。加えて、どうやら力も弱いものであるらしくスカートに穴が空いた様子はない。単純に、押さえられている。予想外のことに、アリアスは無言でぐいぐいとスカートを引っ張る。取れない。当然か。


「…………」


 スカートが破れてはなんなのでを引っ張ることを止める。黙って竜を見るが、あちらも無言でこちらを見返してくる。

 どうしろというのだ。もはやこの状況にため息をつきそうになる。

 とにかく、誰かに知らせなくては。誰かに。庭は広いのに、誰一人、彼女の他にいなかった。


「あ」


 アリアスはぴんと来て手首を持ち上げる。そこにあるのは腕輪。鈴がついたもので、普段は単に振っても音が鳴らないが対の鈴に魔法の力を込めると対となっているこちらが鳴るのだ。そして、この腕輪についた鈴の対はジオが持っている。

 それを見ながら思案する。これまで、こちらから鳴らしたことはないが鳴らせるは鳴らせるだろうか。うん、きっと鳴らせるだろう。

 そこでの問題は、


「けど、これ鳴らしても師匠が気づくかなぁ」


 気がついてもなぜ鳴っているのか、くらいにしか思わなさそうだ。けれど、鳴らさないよりはましだろうか。

 最終手段だな、と何も出来ていない内にアリアスは頷いてさっそく魔法の力を腕輪に込める。前、竜が動いた気配がしてとっさに目を上げる。

 感じ取った気配は当たっていた。巨大な生き物は身体に比例して巨大な口をぱかりと少しだけ開けていた。それでも、大きい。ぞろりと並んだ牙が覗く。それから、ちらりと揺らいだのは舌か、違う。


「え、ええぇ熱っ…………くない?」


 ぶわっと口から出てきたのは確かに炎。

 太陽の光とは違った照らし方をされ、目を瞑る。

 しかしながら、炎がそこに迫ってきた、と思ってアリアスは目を瞑ったのに熱さは一向に彼女を襲うことはなかった。恐る恐る目を薄く開くと、竜はその口を再び閉じていた。

 何が起こったのだろう。と疑問が頭の中を埋め尽くしながらぱぱっと身の回りを見渡すと一ヶ所だけ異変があった。

 手首につけていた腕輪。鈴がついている魔法具の一種であるそれが溶けていた。というよりは、鈴の部分だけが跡形もなくなっている。さっきの炎でそこだけ溶かしたとでもいうのか。

 綺麗に鈴だけがなくなった腕輪をしげしげと眺めていたアリアスであったが、重要なことに気がつく。


「……どうすればいいんだろう」


 連絡手段なし。

 少女は地面にぺたりと座り込んだまま、途方に暮れることとなった。

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