7 正反対の奇妙な出会い
初めてかもしれないジオ視点。
何十年も昔の話。
ジオは、城の部屋にいた。椅子に座り、机に向かう彼の手元には小さな耳飾りがある。
魔法具作りは、魔法のように生まれながらに習得していたものではない。ジオが人に紛れ過ごすことになってから知り、学び、独自の方法までも生み出して極めたと言っても過言ではないものである。
耳飾りの飾り部分には、とうに魔法石が組み込まれ、周りを囲む模様によってあまり見えない石はまだ透明。一度上に持ち上げ見たそれの、模様の合間に小さく映った自分が、見返してくる。
紫の眼が。
「……俺は、お前に何か返すためにしていたはずだったが……」
呟きかけた言葉を切り、ジオは壁の方に目を向けたが、直ぐに魔法具を机の上に置き直して細かな作業に戻った。
――見た方角には、全てが終わるまで近寄らぬようにしている塔がある。
***
ジオ=グランデ。本来は魔族である彼は名字など持たず、元々の名も現在使用しているものとは少々違った。また、竜と人間との争いの後は例外なく『あちら』にいたはずの存在。
魔族とは、異質に歪んだ魂を持った存在だ。そのため、竜や人とは違った生の終焉がある。本質として争うことが染みついている魔族は、魔族も殺せば死ぬため死因は大抵他殺だ。そうやって死んだ者はまた魂が巡り、生まれる。
だが稀に、実に稀に争いに飽きたりする者がいた。そして本質を欠き、気力の無くなった魔族は寿命云々が来る前に――消滅する。この世界から魂ごと消える。以後、魂が巡り魔族として生まれることはない。
ジオ=グランデ改め、当時ジオネイルという名だった男もその内の一名になる道を感じ取っていた。
起きている時間よりも眠る時間が長くなり、起きていても変わらぬ暗い世界を、争いに巻き込まれないようにさ迷うくらい。
そろそろ起きることさえ止めて、消え時かもしれないと未練も何もなかった。
正確な時は分からないにしても、遠くない時に消える先を容認していた男の途切れた道は、偶然による働きで繋がっていく。
奇妙な形の穴――穴にしては宙を切り裂いたが如く唐突に存在していた。
男が目どころか足を止めたのは、穴から光が射し込んでいたから。その光に誘われるように足を向ける方も変え、近づき、真正面に立って身長ほども開いた長い穴の向こうに見たのは。
「……ここは」
空が、青い。こんなにも鮮やかな色を見たのはいつぶりか。いや、これまでに見たことがあったろうか。
目に染みるような鮮やかさに時を忘れそうな心地に陥り、しばらく目を奪われていたのは事実。
踏み出し、出たところに地面はなく見下ろした眼下に広がるは地上。何度もこの地で繰り返されてきたのだろう争いの名残が空気として漂い、植物も何もなくそこだけを見れば今までいた場所と何ら変わりがなかった。だが、ここには男がいた側には決してないものがあった。
地上に降り、光に照らされただけで荒れた地が異なった風に見えるものだと眺めた。
風に吹かれ、ぼんやりしていられたのは暫く。
長くいればいるほどに、体の異変に気がついた。どうも鈍い。微かに重い。出てきた場所と体の波長が合わないと言うべきか。
ここは自分がいた場所ではないと確信する。
そこで初めて地に意識を集中すると、慣れた魔法力も混ざっているが……違う性質の魔法力を感じた。
振り向き空を見上げると、通ってきた空間の裂け目があり、その先に見慣れた場所が覗いている。
「……なるほど。ここは、嘗て同じ空間にあった場所か」
竜と人のいた地はこのような場所だった気もするが、目を奪われたことなどなかったはずだ。
辺りを見渡すと、上空から遥か臨んだ遠くには緑が見えた。そこに興味があったが、馴染んだ魔法力が僅かに流れ込んでいるらしいここであるなら未だしも、この場を離れていけばおそらく魔法力の割合は異なることは容易に想像できた。
この光景のあるこちら側で消えるのも悪くない。男は考えることを止め、またぼんやりとしていた。
「あなた、何をしているの?」
意識に自然と入ってきたのは、透き通った声。
あなた、と聞こえた。見たところ、この声が届く範囲に自分以外に同族どころか生き物、植物一つなかったはず。地中に生物がいるのであれば話は別だが……と、男は反応鈍く、横の方に目をやる。
男の赤い眼とかち合った橙の瞳が驚きに丸くなった。
「あなたは……魔族?」
女の姿をした存在は、地に届きそうな長さの白い髪が光で色味を増し、空よりももっと澄んだ橙の瞳をしている。
嘗て敵対した――もしくは今もそうである存在だ。
「そうお前達に呼ばれた存在であることは否定せん」
これこそどれくらい振りかに目にした存在にはそれほど感情による反応は起こらなかった。細かい思考を放棄し、ぼんやりとしていることもあり、ぼんやりと質問に対する答えを返しておいた。
竜の娘は、微妙に開けられた距離を縮めようとせず、また問うてくる。
「ここで、何をしているの?」
「見慣れない裂け目があったから通って来てみれば、着いた。何をしているのかと問われると、単に眺めている」
「どうして、ここに?」
「見慣れない裂け目があったから通って来たと言っただろう」
「そうじゃなくて、魔族のあなたは何をしに来たの。また地を荒らしに来たの?」
完全に眺めているだけの姿勢のはずが怪しまれ、男が怪訝に思い注意して観察すると、竜の娘は警戒露な目と表情をしていた。距離もそのためか。
――思い出した
『魔族』はその昔、竜と人間の土地を侵さんとし、戦い、命を奪った。
相手の警戒の理由を見つけたが、それにしては魔族に対するには、距離は不用心だ。今度はいくらか注意して娘を見たところ、昔魔族を手こずらせた攻撃に特化したかのような竜の気配ではない。
「荒らしに来たように見えるか」
「……分からないわ」
「そうか。一応もう一度言っておく。俺は単に景色を眺めているだけだ。信じるか信じないかはお前に任せる」
それから、と付け加えておく。
「荒らす気もなければ戦う気力もない。たとえお前が攻撃してきてもやり返すかどうかも自信がない」
「自信がない……?」
「ああ。何百年も戦いからは遠ざかり、寝てばかりいたからな。気力が無いことも重なり、鈍っているかもしれん」
男が本気で真面目に言っていることが徐々に伝わってきたのか、今度は竜の方が怪訝そうにする。
「……魔族なのに?」
「何事にも例外は存在する。魔族の中にも戦わなくなる者もいる。戦いにも血にも興味がなくなり、むしろ挑まれても煩わしくなり、争いの場から離れていく。だがどうも魔族というものの根本には争いが本質として刻まれている。俺も薄れてきてから分かったが、本能そのものであり、本能で生きている。それが薄れるということは存在の概念の有無にも繋がることになり、――つまり俺はそのせいで消えることを待つ身だ。出来ればぼんやりして過ごしたい。竜とややこしいことになるのは御免だからな、戻れと言うのなら戻ろう」
こういう身の上だと説明すると、沈黙が生まれ、続いた。
「…………あなた、変わっているのね」
「よく言われる」
どうして戦わないのかと言われても、そんな気が起こらないと言うしかない。戦い続ける他の者にも、景色にもうんざりしていた。
最後までしつこかった同族を振り払ったのは何百年前のことか。あれと戦い殺されるのは御免だったし、魔族とは気に入った戦い相手が見つかると殺さず戦い続けるものだ。面倒だった。
「ごめんなさい。私、勝手に思い込んでしまって……」
「構わん。俺が魔族であることに変わりはない」
むしろいきなり攻撃されても驚かない。
大抵、魔族は戦いに憎しみ等理由はなくただ戦うが、竜と魔族が戦ったとき最後に出てきた竜は複雑な感情に燃えた目をして向かってきた。その中に「憎しみ」が入っていたことは間違いない。
竜の娘が申し訳なさそうな反応をすることの方が奇妙に映った。
とりあえずこれで理解は得られたかと思っていると、竜は開いていた距離も、向こうから歩み寄って無くして来てしまう。
「名前は? 私はベリルシア。かつてはあなたたちと同じ魔法族と呼ばれる存在であったけれど、竜という名を選んだ存在」
「俺は……ジオネイルと言う」
「ジオネイル……じゃあジオね。私のことはシアと呼んで」
竜の娘は屈託なく笑った。
男は若干の戸惑いを覚えた。要因はもちろん、少し前との態度とは正反対の友好的すぎる態度に変わったこと。まるで、同族に対するかのよう。
「あなたがこちらで過ごす間、私といましょうよ。色々話を聞きたいわ」
「お前は、あれをどうにかしに来たのではないのか」
男がいた空間とこの場所とは竜と人間によって隔たれていた。出入口と呼ぶべきものも存在しなかったはず。こちら側から空間の繋ぎ目を塞いでいたのだろうと考えた結果の推測を言うと、それは当たった。
「そう、本当は今すぐ塞がなければならないの。あの境目は一番大きく、放置するとこちらに最も影響を与えてしまうものだから。だけど予定変更。少しだけ、ね」
「俺をさっさと戻さなくてもいいのか」
「戻りたいように見えないのだけれど」
「わざわざ戻りたいとは思わないのは事実だ」
「そうでしょ?」
笑う竜の真意は読み取れなかった。
――結果的には三日間だけだった。竜の娘と彼が出会い、過ごした時間は、三日。
話したことは実に様々。
ほらこっちだと手招きされて、その地をそんなに離れない程度に、荒れた地をぐるりと散歩するようにゆっくり歩く。
最初は竜の方が後ろを振り向きたくさん喋り、何やら訳が分からないジオは頷いたり、時には振られた会話に返していた。ジオは辺りをじっくり見ているために実に遅い足取りで歩いていたから、そのような位置関係が出来上がった。
夜、休憩は必要はないが、抵抗する理由もないもので、言われるままに腰を下ろした。
大きな月があまりに輝いているので星の輝きは控えめで、地上に竜が灯した焚き火の色は、竜の瞳の色味のようであった。
「元々どんな色彩を持っていたのか、覚えている?」
話を始めるのは、必ず彼女の方だった。ゆらゆらと不規則に揺れる火をじっと見つめ、昼間とは打って変わって大人しい、静かな声。
炎の橙に淡くも染められる白い髪を持つ竜。
炎の橙に染められない漆黒の髪を持つ魔族。
温かな火のような橙の瞳を持つ竜。
血のような深い赤の瞳を持つ魔族。
元は、同じ存在であったときがある。『魔法族』という同じくくり。そのとき、ジオは自らと同じく、この竜の娘もそのときから生き続ける者と知った。
「覚えていない」
「私も覚えていないわ。……とても昔、皆が一つの場所にいて争いは一つもなかったときの、とても懐かしい話だから無理もないかもしれない。もう、誰も覚えていない。シーヴァーなら覚えているかもしれないけれど」
シーヴァーという名前に聞き覚えはなかった。元々名前を覚えるのは億劫だ。
しつこく顔を合わせて覚えた名前もあるが。
「はじめは確かに同じ色を持っていたのよね。髪も目も。でも、次第に……私達が二つに道を違えた頃にはすでにそれぞれが持つ性質によって色を違えていた」
「魔法族――大きな魔法力を宿し同じ形をしていたからといって、元々異なる性質を持つのに同じくくりにしていたのが間違いだったのだろう」
別れてしまえば、あんなにも違った。片方は安寧を望み、もう片方は争いに喜びを見出だした。正反対だ。
「『あちら』――あなたがいた空間は今どのようになっているの?」
「景色のことか、そこにいる者のことか」
「どちらも」
「景色は察しがつくだろう。争う前、こちら側の領域に広がっていた景色を見なかったわけではないはずだ」
「そうね」
「この地はよく似ている。だがお前達が言う『魔族』だけとなった空間は……ここに来て思うと酷いものだ。争い、それだけを続け、繰り返し、魔法が染みついた地には二度と植物は根付かないどころかもうどこにも植物はなく、生まれない。そしてここと最も異なることはずっと暗いことだ。今日ここに来るまで忘れていた。朝も昼も夜も『あちら』には関係ない。ずっと夜のようなものか……寝るには最適だがな」
「あなたは、争わなかったのね」
「初めは争っていた。そうでなければ俺は魔族ではなかったはずだ。飽きたのか、意味を見いだせないことに気がついたのか……消えてもいいと思えるくらいにはなったな」
火の温かさを感じながら、この時間は久しぶりに悪くないものだと感じていた。
『あちら』にこんなにもゆっくりとした空気がなかったからだろうか。そうだとすれば自分は本格的に『あちら』では異端であり、しかし『こちら』では満足に生きられそうにない。中々に面倒だ。いや、どちらにいてもどうせ消える身だから関係ないか。
「ねえ、ジオ。こちらのこと色々見たくない?」
「そうだな、ここから離れた場所を見てみたい気はする。『こちら』は――酷く鮮やかだ」
言うと、なぜか竜の娘が笑顔にしては暗い表情になった。古い記憶を掘り起こして推測するに、悲しむそれのような。
「何だ」
「何が?」
「お前が妙な表情をしたからだ」
「あぁ……ううん。ジオがね、こちらのことを鮮やかだと言ったから」
「事実だろう」
「『あちら』と比べて言ったでしょう」
「直近の何百年もの記憶の景色はそればかりだからな」
「そんな場所で過ごしていたのねって思って。『こちら』で過ごせるのなら、過ごしたい?」
「そうだな」
「そっか」
一転して何が嬉しいのか、嬉しそうに笑った。




