1 眠る
寝ているときに、夢を見ているようなものだった。
けれど夢にしてはあまりにも鮮やか。吹いている風を実際に感じられているような気もする。どこまでも広がる野原、翔ぶには気持ちが良さそうな青い空、小川の清流の側の子どもが駆け回る花畑といった明るく綺麗な景色。
反対に、夢にしてはあまりにも酷い。死臭がしそうな焼け野原や、倒れる者がいる暗く、残酷な景色もあった。
そのどれにも浸る隙もなくどれもが、流れを増した川のごとく次々に過ぎていくから、目まぐるしい。かといって夢の中で勝手に物事が進行していくのとは違う。アリアスが普段見る夢と比べると妙だ。
まるで今までの記憶が全部、忘れているものまで隅から隅まで出てきたみたいな量で、それにしても見知らぬ光景が多いので妙であった。
――その、知らない『記憶』の奔流の中。唯一見知った師の姿を見かけた気がして、流れていくそれを追うように振り返った。
*
アリアスが『荒れ果てた地』で意識を失ってから二日目。未だに目を覚まさないアリアスは、塔の部屋に運ばれ昏睡状態にある。
目覚める気配がないことを除けば不自然な点はなく、外傷や熱等見える原因もなく、寝息が整った横たわる姿は単に眠っているだけのように見えるのだ。
カーテンが開けられた窓からは、沈みゆく太陽によって濃い橙に染められる景色が覗いている。
元々の部屋の主であるアリアスが魔法師となり、生活の拠点を宿舎としたことで生活感が取り払われた部屋には、現在ジオ、セウラン――そして、竜の長ともう一つ同じ色彩を持った姿がいた。
光沢のある長い白い髪を持ち、橙の瞳を持つ年齢を推測し難い男性の姿をした竜と、アリアスと同じくらいにみえる女性の姿をした竜。彼らはつい先ほどここへ着いたばかりであった。部屋に通され、アリアスの姿を目にした竜は無言で流れるようにベッドの側にまで行く。
女性の方が、ため息をつく。
「ああ、長、確かにこちらの方ですね。とても、懐かしゅうございます」
「魂に隠れていた力が、言わば剥き出しの状態ゆえだ」
竜の長が淡く光を纏わせた手を、アリアスの顔の上ほどに翳し、徐々に下へと移動させてゆく。
「何があったのか、詳しく教えてもらおう」
要求に応じるは、ジオ。
「サイラス=アイゼンという者がいる。魔族の魂を持った者だ」
「ほう、魔族の魂とな」
「途中までは人間として生きていたようだが問題が生じ、先日魂により魔族に限りなく近い存在になり、『こちら』で生きるには難しい存在となった」
「なるほど。それで、この子はその魔族の性に飲み込まれた者を『こちら』に留めようと力を使うたか」
先を読んだ竜は、「『泉』に異変があったゆえ、何かがあったことは分かっておったが……」と呟き、翳していた手を引く。
「この子は、誠に魔族と縁があることよ」
アリアスの頭を愛しげに撫で、微笑んだ。
ゆったりとした竜の背に向け、ジオは今度は自分から口を開く。
「三つもの魂が本来あるべき場所に巡らず人間に混ざるとは、偶然にしては多すぎる。どれかがきっかけとなったはずだ」
「そのようだ。我も今、話を聞き納得がいった」
魂は、巡る。人間は人間。竜は竜。魔族は魔族で巡る。生きる年数、宿す力、性質が魂から異なるためだ。
時に、環から外れて竜の魂が人の元へ紛れ込むことがある。稀なことだ。しかし今回同じ世に、三つの魂が人の元へ紛れた。魔族の魂、竜の魂。偶然にしては時が同じくして、多すぎた。
偶然がこんなに重なるはずはない。
「五十年余り前、最も大きく管理の難しい境目が開いてしまっておった。そのときに何かが起きていたことは歴然であった。――それが何かは分かってはいなかったが、今話を聞いて腑に落ちたぞ。二つの竜の魂が巡ったことは偶然ではない。その二つの魂が選ばれたことも必然。偶然であったのは、紛れ込んだ魔族の魂が器を探し、人に生まれ落ちたことその一つのみ」
考えが一致していたため、ジオは何も言わなかった。
「嘗て魔族と戦った竜の魂が巡ったのは、魔族の魂に引き寄せられたため。魔族を滅するべきと刻んだ本能によるものだろう」
「ゼロのことだな」
「そうとも。そして、この子も竜の魂が今一度荒ぶったときのために引き寄せられ、巡ったのであろう。魔族の魂ために巡ったかどうかは、互いに別った存在ゆえ分からぬ」
温かな眼差しを眠る者に向ける竜は、そこで一つ小さな息をつく。
「……まったく、一例と比べるとあまりに無茶なことをする。存在が揺らいでおる」
「……長、……大丈夫なのです?」
小さな子どもの声に、竜の長は振り向いた。後ろに来て、女性の隣にいる少年の姿の竜は表情が曇り、大層不安げな様子でアリアスのことを窺っていた。
「セウラン、そのように責任を感じる必要はない。どのみちこの子の力は必要であり、その先はこの子が決めたこと」
「ぼくは、止めるべきかどうか、とても迷ったです。方法はなく、ですが、長はこの方が大きな力を使えば、存在が危うくなると仰っていましたです」
「その通りだ。しかしそれは魔族の魂が巡っていたとは知らなかったときのこと。この子の運命だったのだ、気に病むでない。それに、心配せずとも良い」
自責の念に駆られているセウランを、長たる竜は撫でて、優しく声をかけた。セウランは泣かないようにと堪え、涙を溜めた大きな瞳で長を見つめる。
「人の国で育たず我らの元に引き取っていたならば、竜に寄り、とうに存在は不確かになっていたやもしれぬ。預け先は完全に信用するには難しかったが、心配は不要だったようだ」
見た先は、ドアの方。決して近づかず、壁に寄りかかっているジオ。竜の言葉が聞こえなかったように話す。
「心配しなくともいいとは、最悪の事態にはならないと取っても問題はないということか」
最悪の事態、にセウランの体がビクッと跳ねる。
「魔族よ、我が息子を怯えさせるようなことを言うてくれるな」
「必要な確認だ」
全く悪気もなさそうだが反省もない返答に、竜の嘆息が一息。
キィ、とドアが開いた。開けたのは廊下側から。竜達の視線とジオの視線がほぼ同時にその方へ。
一歩入ってきたルーウェンは中にいる姿を目にして、動きを止めたのは数秒。出直すべく、即座に「失礼しました」と述べ開けたばかりのドアを閉めようとする。
「待て、ルー」
「良い。この子のことが心配で来たのだろう」
止めたのは正反対の性質を持つ二つの存在。
ルーウェンの手が止まり上がった顔を見ていたのは、その場の誰よりも澄みきった一対の橙の眼。
「おまえは、最も古き我らが友の血を継いでいる子か」
銀の髪、青の瞳は魔法師の走りと言われる、竜と共に暮らし魔法を身につけた人間が持っていた色彩。今では王族だと表す色ともなっている。
まさに懐かしい友を見るような眼差しでルーウェンを見た竜の長は、ふとベッドのアリアスを見てからルーウェンを見て会得したように頷く。
「そうか、おまえはこの子の家族なのだな」
止められたものの、入るまでには至っていなかったルーウェンは驚きに目を瞠り、直後何かを堪えるように眉を寄せると、瞳の青い色が揺らぐ水面のようになる。
「アリアスは……目を、覚ましますか」
否定も肯定もせず、消え入りそうな微かな声で彼は問いかけた。
「心配せずとも良い。我に任せよ。少し混乱しているだけのこと。元通りにしてやれば直に目覚める」
竜の長は柔らかく微笑みを深めた。
「この子は人の身に生まれ、良い家族を得たようだ。喜ばしい」




