10 開幕
騎士団の訓練は一般に公開されることはほぼない。その代わりの武術大会でもある。
空はまさに武術大会日和の雲一つない晴天――と言いたいところだが、生憎と微妙な空模様だった。快晴ではないだけで大きな雲が青い空にちりばめられ、雨は降らないだろうが本格的に雲に空が覆われて太陽は隠されなければいいなと思う程度。
今のところ陽光は十分。
闘技場の医務室が一階部分にあるため、アリアスは一階から闘技場内を見られる場所で他の同僚と共に外を覗いていた。
「ずっとこうして見ていられたらいいのにぃ」
マリーが始まる前から非常に惜しそうな様子を全面に出して会場を見ているので、アリアスは宥めようと声をかける。
「マリーも当番は午前だけでしょ?」
「うん」
「午後は見られるから頑張ろう」
「そうだね!」
すっかり闘技場に姿を変えた建造物。普段は竜が降りている広い地面をぐるりと取り囲む観覧席は、隙間を見つける方が難しいくらい多くの人に満ちている。遠目からで一人一人の顔は見えない代わりに、各々の話し声が合わさり賑やかなものとなって楽しそうな雰囲気が伝わってくる。
それら大部分の一般の観覧席とは分けられた観覧席が幾つかあり、その内の一角に大会の主役たる騎士団の団長全員がすでに並び座していた。
魔法師騎士団が三名、普通の騎士団はその倍の数の団長とその上の地位の総団長。団長が揃った光景はいっそ壮観である。
また国の重臣や最高位の魔法師が観覧できる席も設けられており、予想通りにしろ師の姿はなかった。
それらに挟まれる形となった観覧席の複数の席はまとめて空。
あの席が埋まれば、武術大会は始まることになる。
銅鑼が鳴り響く。
音が空気を震わせるや会場の賑わいがすっと引き、一般の観客から団長重臣全員がその場に立ち上がった。会場中の視線が集まるのは特別観覧席、王族の席であり、今この国で最も貴い身分の方々が姿を現し椅子に座る。
――武を競う大会が開幕した
武術大会は一日がかり。予定通りに進行すれば午前は個人戦、午後から団体戦。個人戦は普通の騎士団から。必要に応じて準備の時間と、午前と午後の間に長めの休憩を挟みながら行われる。
試合後はちょっとした怪我や違和感でも来てもらうことなっているので、医務室には早速個人戦一戦目から人が来た。
「しばらく冷やしておいてください」
使う獲物は模造剣ではなく、危険の伴う真剣だ。選ばれている者たちは両方とも実力者で酷い怪我人が出ることはないが、ときに流血することはある。
医務室は開け放された扉の外から通路で個人戦真っ只中の会場と繋がっているとはいえ、壁を幾つか隔てているため、観客の歓声が届いてくるのは遠くから。
その都度拍手が聞こえるのは、試合の勝敗がついた証拠。試合を行った両者を讃える音。
まだ余裕のある状態なので、全く様子の見えない医務室は歓声が一際大きくなると、外を気にするのは無理もないこと。
「意外と忙しくないねぇ」
「そうだね」
こうしてのんびり言葉を交わせており、アリアスたちの他にも手持ちぶさたな人員が多い。
やることがないのはいいことにしても、予想以上に医務室の中はお喋りをしたりと和気あいあいとしている。手当てが終わった団員がそのまま話していたり、怪我人ではなくてやって来た団員が恋人だろうか、通路で話していたりする。
もしもの事態に備える意味合いが強いのだろうか。
「何言ってるの、忙しくなるのはこれから先なのよ」
「一人目の優勝者が決まるから、もうそろそろ」
アリアスが補佐に入っている先輩とマリーが補佐に入っている先輩が首を振った。
「これからって、なんでですか?」
マリーが不思議そうにする。
「今の個人戦は一対一の剣術のみの試合でしょう? それが終わったら?」
「魔法師騎士団の個人戦、です」
「魔法師の団員同士の個人戦になると魔法の使用が始まって、例年の傾向では怪我人が増えるわね。そのあとは団体戦で大勢が入り乱れるでしょ? 怪我の可能性が高くなって、下手をすれば担ぎ込まれる人が出るわね」
「午後の当番は大変よ。……まだ午前で良かった」
アリアスは事前に聞いていた、進むにつれて忙しくなるという言葉を思い出していた。そういうことか。
イレーナは午後担当だから、大丈夫だろうか。
「個人戦の前半が終了しました」
「来たようね」
二つある出入口の内一つから、軍服姿の男性が進行具合を報告。医務室内の雰囲気がわずかに変わる。
「休憩を挟んで次から魔法師騎士団の個人戦に入ります」
「分かりました」
「……ちょっと忙しくなるわよー」
のんびりと椅子に座っていた先輩が呟き立った。
合間に聞いたことによると、普通の騎士団の個人戦の優勝者は第三騎士団の隊長の一人であったそうだ。名前も聞いたが、知らない名前で時間が経つと忘れてしまっていた。
先輩の言葉通り、医務室は徐々にのんびりとする余裕はなくなり、新たに魔法による多少の怪我を負った団員が現れはじめた。
中には折れた剣を持っていた人がいて、優勝候補と当たってそうなったらしい。どんな試合をしたというのか。
剣が折れるとその時点で失格なので、悔しがっていた。
「規則的には魔法の強さも決まっているけれど、それって曖昧なのよね。相手の力量によって上限は高くしないと長々と続くし……。結局当事者が相手を見ての判断でと審判が危険な場合は止めることになるくらいだと激しくもなるわ」
また、医務室が担当するのは何も騎士団だけではない。
武術大会の治療係。
熱狂しすぎたのか観客の具合が悪くなった際にも医務室に人が呼びに来て、観覧席まで行くか連れて来てもらうかする。
これも含めて『進むにつれて』忙しくなるなのかとアリアスは意味を理解したようになった。
「実力者同士の魔法戦凄そう……見たいなぁ」
「一試合だけなら、見てきてもいいわよ」
「えっ」
口癖のように無意識に溢したマリーが目を丸くした。
「本当ですか!?」
「一度も見たことがないのは可哀想だから。でも見るのはこの階からよ。見えにくいでしょうけど、仕事中だから」
「はい!」
「アリアス、試合が終わったらマリーを必ず連れ戻してちょうだい」
「え、はい」
ずっと楽しみにしていたマリーだから良かったなと流れを見守っていたら自分もかと驚き、早くも出ていったマリーの後を追う。
「アリアス早く! ちょうど始まるよ!」
「見失うかと思った……」
足の速いマリーを追いかけ着いたのは、観覧席の下の部分に伸びる通路の少しよく見える位置の窓。ガラスは嵌まっていないぽっかりと空いた空間から見た先には、対戦者が中央で向かい合っている。襟章の色は遠くてよく見えないので不明。どちらともが簡易的な防具のみで、腰には剣を下げている。
魔法師騎士団の個人戦は前半の個人戦より審判も増え、中央に一人、隅に二人審判がいる。
中央で審判を勤める――なぜにアリアスが知っている元団長が審判をしているのか気になったが置いておき――男性が対戦者に近づいているのは、前以て伝えられている詳しい注意事項の重要な点を今一度伝え、念を押しているのだとか。例えば殺傷能力の高すぎる威力の攻撃は禁止、とか。
「これ何回戦だっけ?」
「えっと、さっき医務室に二回戦の人が来てたから……まだ二回戦かな」
「そっか!」
会話の間も輝くマリーの目は前に釘付け。
アリアスも魔法戦は改めて見てみたかった気持ちはあるので、許してもらえたなら見ていこうと窓の外を覗きこむ。
審判が後ろへ下がり手のひらを左右に動かすと、中央に集まっていた対戦者が互いの間の距離を開いていく。
審判の二度目の合図で足を止める。これまでの個人戦であればここで両者剣を抜くところ、どちらも剣を抜かないまま、三度目の合図で――始まった。
「うわっいきなり!?」
開始の合図とほとんど同時か。両者が魔法を放ち、中央でぶつかり相殺し合った。
攻撃魔法あるいは攻撃魔法を防ぐ結界魔法の白い光。
魔法師同士の個人戦は魔法が飛ぶ。
武術大会は『基本的』に剣術での戦いである。しかし、魔法師騎士団の個人戦だけは剣術の戦いとは言い難い。むしろそうではない場合の方が多く、観客も剣術のみではないことを期待している部分がある。
開始直後の魔法以後は絶え間なく白い光が散るほどではないが、一拍置くごとに交互に攻撃魔法が飛んでいて、互いに威嚇し合っている印象だ。
稀に魔法だけで決着が着くこともあると耳に挟んだが、それはどれほどの魔法が飛ぶことになったのか気になるところだ。
試合が動いたのは、片方が急に魔法の数を増やしたとき。意表を突いて視界を奪った魔法の合間に相手に接近した上で、もう一度魔法を放つ。
試合を見守っている観客からあっと声を上がった。
対戦者の距離は最早剣が届く距離。素早く距離を詰めた方がいつの間に剣を抜いていたのか、魔法で注意を逸らした相手に一歩踏み出しその刃を振る。会場の息が潜まり、早くも決着がつくと直感させられた一瞬。
しかし、死角を突くようにして振るわれた剣はそれでも受けられた音が鳴った。
「うわぁ……」
マリーが息と一緒にそんな声をもらした。息を吐いた気配は同じタイミングで会場全体にあった。
魔法具である剣は普通の剣がぶつかるのとは異なる音を立てて競り合っている。どちらの刃にも魔法の光が走り、通常の刃以上の力が籠っていることだろう。
ふいに片方の剣が上に弾き飛ばされた。相手の魔法力が勝った結果だ。
ここで相手が降参するか剣を突きつけるかで試合は終わるが、剣を飛ばした方がそうするより、飛ばされた方が後ろに飛びすさり規定により近い距離で許された範囲の弱い魔法を目眩ましにする方が早かった。
さらに飛ばされた剣は地に落ちることなく見事に受け止められ、目眩ましの向こうから迫ってきた相手の剣を受け、そこからは空気がびりびりするような打ち合いがはじまった。
さすが隊長かそれに匹敵する者同士の試合だった。
見ている者にも息をつかせぬ攻防は人々を飲み込み、人々の目は二人が移動すると移動し、動きを追いかけ続けた。
ここで勝負が決まるのではないかと思われる時は二度ほどあり、そのときには観客の声が洩れても、それ以外では観覧席は静寂に近い空気。
観覧席に囲まれた舞台で戦う者たちが起こす音しか他にはなかった。
形勢は一転二転し、最終的には隙を縫って飛び込んだ魔法で軽く吹き飛んだことがきっかけとなり、この試合は決着に至った。途端にどっと歓声が起こった。
「すごかったね!」
「うん」
互いに握手する二人に観覧席から戦いを称賛する拍手がおくられ、アリアスもマリーと一緒に片隅ながら夢中になって拍手した。
本当に凄かった。
一度見始めると目が離せない試合で、魔法が絡む分普通の騎士団より激しい戦いになり、実際に見てはそれは怪我人が出るわけだと腑に落ちる試合でもあった。
「じゃあ、戻ろっか」
「うん!」
アリアスの当番は午後中。まだ途中のはずだから、あともう少し仕事をしなければならないと言われた通り医務室に戻る。




