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花咲くとき、騎士は請う  作者: 久浪
『王家の秘密と逃亡者』編
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37 揺らぐ心



 竜の体調が悪くなっていると見られてから、アリアスを含め他の医務室と竜の育成を兼任している魔法師は竜に関わる比重が増えていた。

 前にも増して一時も目を離してはならず、新たな変化も見逃してはならない。ちょっとした変化がそのまま命取りになる可能性がある。それはあってはならないことだ。

 普通の結界魔法を試してみた結果、事態に変化はなかった。


「……」


 竜の周りを取り囲む魔法石を取り替えたことを用紙に記入していると、横から視線を感じた。

 気のせいかと思いつつもちょっと見てみると、ディオンがこちらを見ていたので、アリアスは瞬く。


「ディオンさん……、どうかしましたか……?」

「ううん、特には。ただ、もう大丈夫かと思って」


 抑揚乏しめの声音での言葉に、一瞬心臓が跳ねた。


「……先日は、あの、すみません……」


 最近ディオンには謝るような行動しかしていないような気がする。

 この先輩が言っているのはこの前ゼロが来たときのことだと思い当たった。記憶は朧気ながら、不可解な行動をしていたかもしれない。というより周りの目を全く気に出来ていなかった。ディオンはどう捉えたのだろうか。


「いいよ」


 この先輩魔法師は大抵こうしてすんなり許す言葉をくれるものの表情からは読み取れない。そのまま受けとることしか出来ないわけではあるけれど、と思っていると。


「何があったかは知らないけど、単なる私情だけでああして連れ出す人じゃないからね、彼は」

「……え」

「頼み事をしてくるなんて、珍しすぎて無視をするとどうなるか分からないし……」


 ディオンがぽそりと言うや、目を手元に戻してしまったことで話は切れたので、詳細は定かではなかった。


「キュウ……」


 内心引っかかるところあって首を捻っていると、前方で力ない声が上がった。


「ファーレル?」


 声の主の心当たりは竜しかいないもの。名前を呼ぶと、瞼を持ち上げた竜はもう一度返事するように小さく啼く。

 取り囲む魔法の力を強くしても、子どもの竜は弱々しくなっていくばかり。尾を微妙に動かし目だけで見上げてくる竜の元にアリアスはしゃがみこむ。


「大丈夫だよ」


 撫でられることを期待する猫のように、重そうな瞼を伏せるから、アリアスは手を伸ばす。


「大丈夫」


 自分に言い聞かせるようにではあっても、こう言いながら、アリアスは竜の爪をそっと撫でた。




 *






 ルーウェンは相変わらず必要最低限の、生活感がない部屋に机に向かっていた。この頃はこの部屋と少しだけ騎士団とを行き来している生活をしている状態。

 静寂に、今日も必要な書類製作を続けているペンを走らせる音だけが混ざる部屋に突如ドアが開く音。

 ルーウェンが振り向くと、ノックなしに入ってきたのは師であった。

 実はこの部屋に来ることが初めてのジオは部屋内を見ようとはせずに、最初から視線をルーウェンに定める。


「アリアスには会ったのか」

「……いいえ。会いたいとは思っているのですが、やはり中々……」


 尋ねたジオはそれ以上は掘り下げようとはしなかった。

 立とうとしたルーウェンを目で制し、壁際にあるもう一つの椅子を引きずり寄せ、座った。そこで目線の高さ自体同じになるところ、ジオの視線は椅子ごと向き直ったルーウェンではなく、その後ろに向いているように思われた。

 後ろにあるものといえば、二つに別れた製作済みの書類とまだ白紙の紙と、窓。窓の外は先日から引き続き広がる雪が降る光景。


「お前が以前俺に弟子にしろと迫った時」


 ペンを置いたことから立てられる音が無くなっていたところに、師が何事かを話しはじめた。


「俺に何と言った」


 紫の目がルーウェンに戻された。


 初めはこんな風に目を向けられることもなく、話しかけられることはおろか言葉を返されなかったと思い出したのは、師が急に昔のことを持ち出してきたからだろう。

 現在魔法師が弟子をとる時代ではない。魔法学校という効率的に人材を育てられる場があるからだ。

 魔法師の方も進んで弟子をとろうとする者はいないと言っても過言ではない。

 ジオが弟子をとろうとする性格でないばかりか発想がなかっただろうことは容易に想像される。それにも関わらず、ルーウェンは彼への弟子入りを望んだ。


 視線が合った先の目が昔と重なって見え、ルーウェンの脳裏には当時の事が甦ってきていた。


 ――「なぜ俺を師に望む」


 教えを乞うたときのこと、押し掛けてどれほどの日にちが経った後のことだったか、尋ね返された。今でも忘れない。

 初めて聞いた声は今よりもっと感情の反映されない声だった。


「『俺に出来ることを。することを許されることを目一杯してやりたいからです』……でしたか」


 公爵家を継ぐわけにはいかない。

 家を出るために、具体的に何をするべきかと考えたとき、魔法師にとの考えが出たことは自然な流れ。幸いにも十分すぎるほどの素養があることはすでに明らかで、後の問題はそれ以上になること。『普通の魔法師』であってはならない。

 そのとき、以前夜会の場で見た色彩的に鮮やかなはずがないのに、鮮烈だった漆黒の髪を思い出した。

 ジオ=グランデ、国一の魔法師と名高い存在を。

 そして、今目の前にいる師の元へ押しかけた。

 結果が現在だ。ゼロに言われた通り、現在の場所が間違いだとは思っていない。ただ――


「今、俺はどうすればいいのか分かりません」

「昔お前が思っていたこととは異なるからか」

「いいえ。大枠は変わりませんよ。俺が魔法師を志した当時にはなかった、一番守りたい存在は出来ましたが……だからこそ、分からなくなっているのだと思います」


 途方に暮れた声ではなかった。苦しそうな声でルーウェンは呟くように言った。


「確かに守りたい、その一方でまだ死にたくはないという思いが出てこずにはいられない。きっと俺が自分が生きられる強固な足場を手に入れたからです。……困りました」


 一番に守りたいものがある。そのためなら何でも出来る気がするのは、不思議なことだ。

 結界が綻び、境目が出てきて、良くない魔法が広がるその先に何があるだろうか。良くないことは考えるまでもないこと。

 そんな世界で生きさせたくはない。辛くない世界を見せてあげたいと思う。

 確かに、行き過ぎなのかもしれない。

 そもそもルーウェンにとってアリアスに周りの誰かがいなくなるということは、二度体験させたくないことだ。他ならぬルーウェンがそうなることは、持っての他。けれど大切な存在の安寧を自分の手でしか守れないのだとしたら、一も二もないものだ。自分の手で、自分にしか出来ないのだから躊躇することがあるだろうか。

 側にいたいと思いがあり、かつてそんな約束をした覚えもある。


 それでも今回抗いようのない状況なので覚悟はしておくべきで、した。

 それなのに。


「……子どものとき、全てを知ったときは消えることができればいいとさえ思ったのに。俺は、今、こんなときになって……」

「生きたいと、今お前はそう思うか」

「思って、しまいますね」


 ――「だったら尚更生きろよ!」

 この部屋にゼロが来たとき言われたことを、思い出した。

 ――「大体お前な、俺が泣かせたら理由が何だとしても怒るくせにお前が泣かせるような真似してどうすんだよ。お前の意地とか昔の人間の意地とか知らねえ、このまま行くんなら俺が竜に頼む。――黙って死ねるなんて思うなよ」

 言われたことを受けたとき、嬉しかった気がする。


 生きたいという、願わくば死なずに共に生きられることが心の底にある望みだ。

 そんな選択肢があるのなら。

 困った、と思う。

 それゆえにアリアスには会えなかった。こんな状態で会ってしまえば生きたいと思い、表情に出してしまう。最低限の接触を絶った部屋にでも籠っていれば、心の整理が出来て、アリアスに会うことも出来るだろうと思っていたのだ。


「本当に、不思議です。以前の俺なら、死に恐怖を覚えながらも自分の立ち位置が不明瞭だと感じていたままの世界から消えることに安堵さえ覚えていたでしょう。それが、これですから」


 ルーウェンは苦笑した。

 現在からでは昔、王都から遠く離れた地で小さかった少女に出会い、ルーウェンの立ち位置は明確な方向を定めたと言ってもよいのだから。それほどまでに大きな存在。

 ルーウェンが自分の内面を考え、溢し、苦笑とはいえ自然と笑うことができているのは、師がいつもと変わらない様子であるため。


「餓鬼はいつまで経とうと餓鬼だな」

「師匠から見られれば、俺はいつまでもそうなのでしょう」

「自覚があるようで何よりだ。ただお前は賢明になってきていたとは思っていたのだがな、間違いだったようだ。――こちら側にいる存在は愚かなほどに自分を犠牲にし過ぎる、その節が変わらない」


 師はやはりいつもの表情と声音で言った。

 しかし続けて、このようなことを言う。


「ルーウェン=ハッター。お前がまだ俺を師と呼んでいるのなら俺は久方ぶりにそれらしいところを見せるべきだろう」

「……?」

「お前が命を尽くさなくても良い方法があるかもしれん」


 師の話に唐突さが混じるのは普段からのことにしろ、今ばかりはあまりに予想外のことでルーウェンは瞠目した。


「まさか」

「俺が考えていたのは最初からその方法だ。どのような仕組みで封じがされているのかを知り、その上で穴を探そうと考えていた」


 かなりの量の文献に目を通していた師。

 だからと言って――


「俺は魔族だ。『こちら』と『あちら』が隔てられてからつい最近まではずっと『あちら』にいたからな、『こちら』で人間が境目を封じている細かな方法を知るはずもない。久しぶりだ、これだけ振り回されたのは。……おかげで俺は徹夜だ」


 ジオはぼやいた。

 その様子にルーウェンは信じられない思いで見続けていると、ジオが気がつき呆れたようになる。


「馬鹿正直に大昔に記された方法に従ってどうする。大昔の者が置かれていた状況と今お前がいる状況が全く同じだと思うか。少なくとも条件は全く違う」

「条件、ですか」

「そうだ。――ルー、その命を捧げるのではなく、賭ける覚悟はあるか」


 命を失う、と一つの道しかなかったはずのところに「失わない」という細いながらももう一つの道があらわれた。

 賭けるというからには絶対的ではないようだが、ルーウェンにはそれで十分だった。


「あります」

「……お前は大概だな」


 即答すると、本気で呆れたように師に見られたことは、何やら心外だ。


「とりあえず詳しいことは連日長時間の会議でまた会議は気が進まんが仕方ない。会議だ。二度同じことを説明するのは怠い」


 これもまた実に怠そうに、ジオはルーウェンを外へ促すように立ち上がる。


「俺があの書類を無駄にしてやろう」


 背を向けた師の言葉に、続いて立ち上がっていたルーウェンは背後を見やる。

 机の上の今日の成果。それからすでに他の場所に移動させた完成した書類を思う。

 あれだけの書類がただの屑と化して喜べるようなことは早々ない。そうなればいい。


「師匠」

「何だ」

「ありがとうございます」

「……方法を聞かずによく言う」


 前に向き直って礼を言うと、背中はまた呆れていた。


「複数の要素がある今だから可能性がある方法だ。お前は運がいい」


 思わぬ話を持ってきた師が言い残し魔法で消えた後、


「……その方法を思いつく師匠がいるから、俺は運がいいのだと思います」


 ルーウェンは呟いた。








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