18 封じと結界
地下通路から出て向かったのは城のジオの部屋だった。
ここ最近はほぼ塔でばかり生活していたアリアスが懸念していた、ジオの城の方の部屋の散らかり度合いは意外にもなかった。こんなときにも拍子抜けしつつもジオがソファーに座るのに続きルーウェンと同じソファーに隣同士で座ると、話ははじまった。
アリアスがそわそわしていたからかもしれない。
「城の結界は何のために張られているか知っているか」
一言目がこれだったので少々戸惑うことにはなった。
しかし、師と兄弟子が少し前の時間に結界の話をしていた気がするので、アリアスはなぜにか自分に目が向けられているため答えてみる。
「『悪いもの』を通さないように……?」
「そう言われているな。俺はそれが最初不思議でならなかったがな。魔法具により城に張られている結界はそれほど強力なものではない、本当に『悪いもの』を入れたくなければ強力な魔法にすべきだ」
確かにそうだ。『悪いもの』を入れないことに重きを置くならば、極端に言えば最も悪きものを弾くとされる王族の血脈に受け継がれる独特の結界魔法にでもするべきだ。
現に思い返してみるに『悪いもの』を体現したような『魔族』と呼ばれる存在が人間の身体を借りていた状態だったとはいえ城の中にいたことがあった。あれは、もしも王族の血筋特有の結界魔法を張っていたならば弾けたのだろうか。
「ゆえに、俺とて城に張られている結界は単なる風習のようなものだと思っていた」
「違ったんですか?」
『思っていた』という言葉が耳に引っ掛かった。
肘をついてだらしない感じでソファーに斜めに座るジオは僅かに頷く。
「下にあったあれは見た通り境目だ」
頷いたくせして、話が変わった。こんなことは今にはじまったことではないことと、聞きたかったことを聞く機会がやって来たので特には指摘せずにアリアスは疑問を口に出す。
「……その、境目がどうしてこんなところにあるんですか?」
境目というものは北の荒れ果てた地に、最も相応しそうな場所にあったではないか。どうしてこのようなところに、あるのか。
とても驚き、約二年前に見たそれが鮮明に甦り、同じものが今目の前に近くにあることが受け入れ難かった。
「そもそも境目というのは遥か昔に『こちら』と『あちら』を無理矢理隔てたことで生じた空間の歪み、名残とでも言うべきか。さらに別の言い方をすれば『あちら』と『こちら』が繋がっている出入口のようなものだ。元は同じ空間にあったからな、完全に別々にすることは元の作りからして叶わないどころか繋がる場所が残ってしまったというわけだ。それが一つである方がおかしいのかもしれん」
師もここにある境目は知らなかったという。
けれどもあんなものが複数もあっては困るのではないか、何しろ『あちら』にいるのはかつて『悪しきもの』として追い払われた存在。出入口のような境目がいくつもあって、どこで綻びているのかも分からないということにでもなると……。
「心配はするな。一つである方もおかしいかもしれんが、多くあるのもおかしい。当時のことを俺は知るはずがないが、『こちら』にいた竜なりが手を尽くしただろうからな。境目がいくつかあっても奴らが管理している可能性は大いにある。
が、ここにあるあの境目を封じているのは明らかに人間だ。結界魔法で封じられている」
「……それも、おそらく昔の王族の手によるものですね」
ずっと黙っていた隣のルーウェンが呟いた。見ると、ルーウェンは会話に加わったものの考え込むように視線が下がり、ジオではなく机に注がれていた。
その兄弟子の言葉を聞いて、地下を照らす青白い光、清らかな光を思い出したアリアスはどこかで同じ色を、と考え、分かった。なぜあの場ですぐにこれはそうだと思い至らなかったのか不思議なほどしっくりくる光の正体は――この国の王族の血脈に受け継がれる独特の結界魔法。ルーウェンも扱う魔法の色。
でもどうして「昔」なのか。
「王族だけの秘密にされているのなら違うことになりますが、境目があるという事実は普通なら後生に伝わってもいいはずのもののはずです。知らされていなかったより地下にある通路の存在といい……」
「王族だけに伝えられていた可能性も捨てきれないだろうが、少なくとも今の封じを施したのは何十年、下手をすれば百年以上遡ることになるかもしれん。ギルバートに確かめればすぐに分かることだが、可能性は低いだろうな」
ジオが脚を組んだ。
「城の結界はそれ自体が主体的な役割を担っているのではなかった」
話が、結界に戻ってきた。
「あの薄っぺらい結界はただの補助。一番重要な役割を果たし補助されていたのがおそらく地下の結界魔法だ」
青白い光を放つ、氷柱のような中にあった境目。結界魔法によるものだと思われる、それ。
「全ては境目を封じるため。境目に問題があれば城に張り巡らされた魔法が補助をし、普段も何らかの補助をしているのかもしれないな。今回異変が起きたのは単に境目を封じている魔法の期限切れか、いつからかその事実が伝わらなくなったことで薄っぺらになっていった補助の結界のせいか――不可解な魔法の力が混じったせいか、全てが要因となった可能性もある」
ただし封印も永遠ではなく一時しのぎに過ぎない、と師は続ける。
「封じが解けはじめている」
「解けたら、どうなるんですか」
「境目が開く」
さっき見た限りではまだ小さいとの印象を受けた切れ目が、以前北の寒い地で見たもののように大きな亀裂となるというのだろうか。
「……どうするんですか……?」
大丈夫なのか、と不安を覚えずにはいられない。アリアスが心配げに尋ねると、
「あれだけ用意されて封じてあるのなら決まった方法があるはずだからな、それを探すまでだ」
まさに、『そうくるならば、こうするだけ』という口ぶりで師は言った。
「この話は終わりだ。アリアス、お前は余計な心配をするな」
*
その日の夕刻。
「城の結界が揺れた」
珍しくも会議の始めに口火を切ることになっていたのはジオだった。議題は城の結界のこと、及び地下の地下の通路にあったもののこと。
「原因はすでに?」
位の高い魔法師が集まり会議をするための部屋、円卓についているのは怪我を療養中のベネットとサイラスの身柄を捕縛しに行き城にはいないゼロ以外の者たち。
城の結界が揺れ、急ぎ魔法具を取り替えることとなったらしいということは耳にはすれど詳細はこの場にきて初めて把握することになる。
「魔法具に不可解な魔法の力が混ざっていた。それで徐々に結界に異常が生まれはじめていた可能性がある」
「不可解な魔法とは」
「聞けばここのところ城の結界の魔法具を手掛けていたのは出奔した者らしいな」
出奔した者、にジオの隣から付け加えが入る。
「サイラスじゃな」
「そういう名前だったな。それで、だ。その餓鬼には何らかの形で魔族の関与がある疑いがあるとは言ったと思うが、ここまで来てはどうも疑わしいの段階は越えた。何しろ魔法具にまとわりついていたのは害のない魔法力ではなく、結界に害を及ぼした魔法力だ。不可解極まりない、魔法力」
過去の記憶と擦り合わせるような、最後の呟きをジオがする。
「無論、断言は出来ん。元より北の境目と同じように『あちら』から開けることは不可能である限り、単に自然に綻んでいた事態と合わさったからかもしれんからな、何にしろその辺りの詳しいことは連れ戻された者を調べればいい」
「魔法具は取り換えれば済む話のようじゃ。すでに手配はしておる。問題は別のところにあってのお、今日の本題はそこじゃ」
城の結界に異常があったというだけで問題であるのに、それが本題ではなかったことにその場にいる内、半分ほどの魔法師が怪訝そうにする。
すでにアーノルドにはある程度の詳細を話しているとはいえ、発見と話を持っていったのがジオで一番の適任であるためアーノルドに先を進めるよう目を向けられる。
「ジオは結界が揺れたことを受けてその原因を探り、地下通路に行ったそうじゃ」
「地下通路には、城の結界が封じようとしていたものがあった」
地下通路のまた一つ地下だったがな、とそれはどうでもいいとの判断か、雑に付け加えがされる。
「正確に言えば城に張られている結界の真の役割は地下の結界魔法の補助だ。そして、地下に別の結界魔法で封じようとされているものがこの地の境目――『あちら』と『こちら』の繋ぎ目」
「……それは――」
想像もしていなかったものの存在に息を飲み、言葉を洩らしたのはレルルカだったか。
「間違いは、ないのですか?」
「間違いない。実際に見たいのであれば見に行けばいいが、とにかく結界を修復もしくは張り直さなければならない。このままでは封じが完全に解け、境目が開く」
いくら最高位の魔法師といえど実際に目にしてもいない突飛な事実をすぐに飲み込むことは不可能。それでもジオは早急に取りかかるべきことを示し、促した。
「念のためじゃが、方法は知っとるのか?」
「俺は知らん」
「北にあったもののように一旦おぬしが塞ぐことは可能ではないのか?」
「あの地とは条件が違いすぎる。あの地が汚れた魔法力が留まる地であるとするならば、この地は特に清められた地であり、今も働いている封じはそれそのものだ。それ以外の魔法力で下手に手を出せばその瞬間から封じがどうなるかが読めん。この地にはこの地のやり方があるはずだ。問題は、その正確な術が伝わっているかどうかにある」
「困ったのお」
「紐解くことがなくなった文献が山ほどあるだろう。これほどのことを後の時代に伝えようとしなかったはずはない、どこかに方法が記されているはずだ」
大昔のことから国のことを記した貴重な資料。歴史書のようなものであり、時代が経つにつれて当然量が増えに増えていつからか保管してある場所の扉が開かれるのは管理のためにだけ。
それを今、紐解くべきだと、ただ一つの方法をジオは示した。
その量を――正確な冊数は別として――知っている魔法師たちは途方もない作業になることを予感した。
些細なお知らせ。今回の章は少々長めです。




