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花咲くとき、騎士は請う  作者: 久浪
『冷たい風が運ぶもの』編
113/246

20 過去の投影



 王都では会議が開かれていた頃。



 ――魔法は万能ではない。

 すること為すことすべてが上手くいき、叶うわけではない。奇跡の力ではない。

 その事実を示す光景がアリアスの前には広がっていた。


 最も厳重に隔離されている重症患者とは、助かる見込みがないほどまでに病が進んでしまったことを意味する。

 薬を飲むことさえできず、かといって魔法では病を消し去ることはできないくらいに病が定着している彼ら。

 治療は続けるが、回復の見込みはほとんどない。毎日出る死人は彼らから出る。

 部屋には最も苦しむ声があり、呻き、うなされている。その荒い息づかいが収まりはじめたときが最も危険だ、苦しむ力さえなくなってきたときが。


「……あ」


 と意図せずに出てしまったような声は小さなかったけれど、アリアスの耳は他とは異なる様子の声を拾い上げた。薄暗い部屋の中に入ったばかりで、近くに項垂れた魔法師の姿があった。

 彼女が両膝をついたその前には横たわる人の姿。何が起こったのかは側に寄らずとも注視せずとも悟った。

 アリアスは止まっていた足を動かし、動きはじめる。魔法師もゆっくりと再び動きを見せて立ち上がり部屋の外へ、というところまでは見えた。知らせるためだろう。

 アリアスは薬を乗せたトレイを持つ手に力を込めて、目で後ろは追わなかった。


 薬の底が見えてきたことで、先輩魔法師たちと治療士たちが心配していた。王都に追加の薬と魔法石をと急遽知らせをやったけれど、それらの物資はいつ届くだろうか。

 ありったけ持ってきたので備蓄がないのかもしれないと、けれどもきっとどうにかして送ってくれるはずだと言って諦める人はいなかった。他の地域に行っている治療団が来てくれる望みもあった。

 おそらく大丈夫だ。その心配はしなくてもいい。


「……」


 でも、薬があっても魔法師がいてももうどうにもならない人々がいる。これで何人目だ。何人、という枠には到底収まらない。

 病が収まる兆しが見える一方で、治らない人たちがいるのは「どうしようもない」こと。

 割りきるしかなく、息つく暇もなくてまた一人……と耳に届いても目の前の患者が大勢いた。

 何度も「また一人……」と聞き、何度も布を被せられた人がまた別の場所へと運ばれていく光景とすれ違い、悲しみの声を耳にした。

 苦しみと悲しみしかない。

 病室は否応なくそうなるが、この部屋は特にそうだ。最も重症な患者の集められたこの部屋は死へ向かう船のようで、アリアスがここに来るたびにまさに目の先で死が積み重なっていく。

 目にするとやりきれない感情がじわりとわき上がる。どうにか収める。それでもどんどん大きくなり侵食してゆく。


 一人の元に行きトレイを置き、アリアスはぐったりと横たわっている人に触れまず具合を確かめ――手が震えていることに気がついた。


 ああ兄弟子に嘘を言ったなと思う。師にも。大丈夫なのかと、耐えられるのかと聞かれた。

 アリアスはそれに対して大丈夫だと覚悟はしていると答えた。

 目の前にすると甘かったのだと知らされたのだけれど。尽くす手がない、と。そのすべを持たないと。


 布で大部分を覆った顔をしかめてしまう。思ったよりも落ち着いている自分がいたし、命を落としてしまった人を運び通りすぎていく光景を目を追わずに前を向けていた。

 覚悟してきたはずだ、こういうことが何度も目の前で起きると。助けられない人は必ずおり、助かる人も確かにいる。

 覚悟してきたから可能な限り救える人を救わなければとそのために動かなければと思って動けた。


 具合を確かめた手をぎこちなく動かしアリアスは薬の入った器を取ろうとする。この人は、そろそろ駄目だ。分かってしまって、直接そうなるのはこの場所にきてはじめてのことだったから少し動揺した。

 命が手から溢れ落ちていく感覚を、同じ感覚を思い出すのだ。


 この部屋は駄目だ。何が駄目か。漂う満ちる空気が何度も出入りするたびに濃くなっていると思う。重ねるたびに飲み込まれそうになって。

 やることをやらなければそれ以外にできることはないと何度も口の中で唱える。そうやってどうにか震えが収まってこの部屋にいる人たちにとっては微かな希望しかない器を手に取り、運ぶ。


「……っ」


 目が合った。この部屋にいる人たちはほとんど目を開いていない。開いていたとしても焦点は合っていなくて、アリアスは目が合ったことはない。

 それなのにその一瞬、死にたくないと目が言った。死を悟った目が最後の最後に開いて。

 すぐに閉じられた。


 同じ目を思い出す。ここに来てからは幸運にもアリアスは鉢合わせなかったその目は死に際の目だ。

 力が元々抜けている身体から、力が完全に抜ける直前が分かるのだ。

 ガシャン、と何かが音を立てた。アリアスの手が両方共伸びた。

 ――待って

 死なせたくないとアリアスは思って恐れて離しかけたその手を握り直して、愚かにももう無理だと分かっていて魔法石からではなく自分の魔法の力を引き出した。あらんかぎり、祈るような気持ちで――白い光が発されて自分で出したのに目を閉じた。

 乗り越えたいと思って同じ事を目の前にして後悔したくないと思ったけれど、結局それは過去を現実に重ねて同じようにはなりたくないとやり直す自己満足だったのではないだろうか。

 そう、思った。




 ***




 季節は重ならず春になりはじめていたときだった。そのはずだった。冬の名残とばかりの寒さは残っていても雪は降っていなかった。

 その代わり、冷たい冷たい雨が降っていた。


 季節外れの雨はよくないものをもたらした。

 いつまでたっても止む気配のない長雨に人々が空を見上げて困ったと思いながらも、そのうち止んで春が来るだろうと思っていたときには「よくないもの」は忍び寄っていたに違いない。

 少し前に広まった風邪がこの冷たい雨にうたれたことでぶり返したのだと誰もが思っていた。咳をしながらも治ると思っていた。


 だから、気がついたときには遅かったのだろう。

 一人、最初は一人だったのかもしれない。風邪にしてはおかしい症状、喉の奥に何か引っ掛かっているみたいな咳、頭痛、長引く熱、嘔吐し、終いに皮膚に出る染みのようなもの。最初に死んだのは誰だったかもう覚えていない。


 病は瞬く間に小さな町中に広まり人々を侵した。気がつき対策を講じようとしていたときにはまだ無事だった人々は次々と倒れていった。

 すでにその身に病は入り込み、また病人の看病をしているうちに移っていったのだ。動ける人々がまだいるうちに病人は一ヶ所へと集められた。

 小さな町だった。ほとんど村みたいなものだった。ほとんどの者が畑をしているのどかなところだった。

 狭い小さな世間で皆が顔見知りという関係だったからこそ、誰もが皆を助けようとした。


 けれど最後には、一人の小さな少女と一人の男だけが病に倒れていないだけとなっていた。


 町は小さい。

 薬は尽きた。

 外は豪雨が降ることもう一ヶ月になるのではないか。

 その町は他の町とは山ひとつ越えなければならないほどに離れていた。山の中の道には雨の中通るには危険すぎる場所があった。そのため激しい雨が止まない限り新たに薬を手にいれることはできない。誰も来ない。

 山の道が、埋まっているのかもしれない。と言ったのはまだ十人くらい無事だったとき。一人の大人がぽつりと口にした。

 その大人はもう横たわって並べられた列に加わっていた。

 少女の目の前には大人や子どもがいっぱいで、その誰もの顔を知っていたが、皆苦しそうな顔をしていた。人手がなく一生懸命手伝っていたはずのなけなしの薬を皆に飲ませていく仕事はもうなくて、汗を拭くための布だけを持って苦しそうな人々の額に乗せていた。風邪を引いたときや、熱が出て顔が熱いときにしてもらっていたことがあったから。水を飲む手伝いもして、その二つのことを繰り返していた。


 合間合間に何度も窓を見た。大人たちが一日に何度もそこから外を見ていたから。

 窓の外、空から打ち付ける雨は止んでいなかった。少女はぐっと何か込み上げてきそうなものをこらえるために唇を噛むことを覚えていた。


 新たに息をすることなく、汗をかくこともなく、苦しい顔がそのままで固まってしまった人が増えたとき。「もう、おしまいかもしれない」とこの小さな町の長をしている男がその人を違う場所に移動させて横たわらせてから、ほぼ口の中で呟いた。

 少女は振り向いて首を振った。言葉が示すところの意味は分からなかったけれど良くないとわかって、怖かった。

 例外なく知っているはずの男の顔はやつれていて、目が何も映していなかった様を目にしたのだ。


 そして、とうとう少女以外に立っていた最後の一人が倒れた。立て続けに病人のいる部屋から人が移動した日だった。


 幼い子は外に飛び出した。





 外には視界を遮る雨が過り、顔にうちつけ冷たかったが止まることはなかった。一目散に町から出られる方へ走った。

 転んだ。地面に張っていた水がばしゃりと膝に腕に顔にかかるが、立ち上がる。


 父が死んだ。母が死んだ。親しい人たちが死んだ。死んでいく。


 頭の中にはそれだけだった。

 このままでは皆皆死んでしまうと待っていては駄目だと。助けを呼ばなくては。大人たちだって無理だと言っていたけれど、もしかすると行けるかもしれない。

 根拠のない自信……自信などではなかった。そう信じて行くしかなかったのだ。子どもの足では、天気が良くとも一週間以上はかかる場所が目的地だとしても。


 でも、でも。


 ――もしも帰れたとして、皆はまだそこにいるだろうか。


 ぬかるんだ地面に足をとられ、転倒する。すでに何十回目になるか。

 雨のせいで建物を出たときから全身ずぶ濡れで、さらに転んだことにより泥だらけでそれでも子どもは立ち上がる。足に靴はなかった。脱げやすい靴だったから脱げたのだろう。

 足が痛い。

 走り出す。

 転ぶ。

 足がうまく動かない。冷たい雨でかじかんでいるのは足だけでなく手にもとうに感覚はなかった。それでも立ち上がる。


 それまでは、立ち上がっていた。

 けれども足が動かなくて地面についた手が張りついたように動かなくて、顔を前に向けられなかった。


 ――戻って、どんな光景が待っているのだろうか。


 考えが光景が頭に巡る。瞼の裏に映る。


「――ぅ、うああああああぁ」


 ばしゃっ、と小さな拳で地面を打ち子どもは意味もなく叫んだ。幼いながらに無力を知った。絶望さえ、すでにしていたことを認めざるを得なかった。

 もう、立ち上がる気力はなかった。

 顔もびしょびしょで、でも異なるものが絶えず目から流れ混ざっていた。どうしようもなかった。

 すでに、諦めている自分がいたのだ。

 自分以外が倒れ、一人立っていられても何もすることができないあの場を飛び出したときにはすでに。諦めていた。逃げてきた。


 ――自分に皆を助けることができたなら

 ――そんな力があれば良かったのに


 そんなことを、そんなことばかり思う。目の前で身体から命というものが消える瞬間を目にし、触れた身体から命の証が消えていくあの変化は――掴むことも許されない水のようで、怖かった。

 どんなに願っても願うだけでは何にもならず精一杯できることをやっても奇跡は起きない。目の前で一人一人いなくなってしまう。

 最後に一人になるのかもしれないと思った。視界に横たわる人たちが動かなくなった光景が頭の中に表れた。


 少女はますます下を向き、うずまるような形になる。額に水が触れる。天から降ってきた水だ。

 この雨が止めばいいのに。大切な人を皆皆奪っていったこの憎い雨が。そうすればこんなことにはならなかったはずなのだと、空から降り触れんばかりに見下ろす地面に落ちている雨。手を浸してくるほどになっているそれを握ろうとするのに、握れない。

 この雨が。

 思えば思うほど、身体の中心が熱くなってなにかが内側から溢れ出んとしているようだった。


 風が強く、周りの木々の葉が千切れ飛ぶ。

 周りの惨状に小さな少女は気がついていなかった。


 帰ってもまた誰かが死んでいる。いなくなっている。置いていかれて見ることしかできなくて、それが怖かった。

 怖くて怖くて、だからといってどうしようもなくてどうすればいいのかが分からない。前に進むか戻るかどころか立ち上がることもできない。こうしている内にも誰かがいなくなっているかもしれないのに。

 何で自分だけが残ったのだろうと思う、一人にするのなら病で倒れた方がましだった。そうすれば一人にはならないから――



 風が、止まった。

 止められた、というべきか。


「餓鬼が一人でこんなところで何をしている」


 聞きようによれば雨よりも冷たい声。


 アリアスは水と地面ばかりの視界に入った何かに、声に、耳で聞いてからゆっくりと顔を上げた。

 目の前に立っていたのは黒い黒い人だった。



 *



「揺さぶられるかもしれんとは思ったが……やはり不安定だな」


 聞きなれて冷たいのではないと分かった声が聞こえた。


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