11 どんな人?
アリアスは、一人の女性の魔法師にドア際に追い詰められていた。
「そ、ソフィアさん、どうしたんですか?」
「アリアス、ちょーっと聞きたいことがかるのよ」
そこは館にある空き部屋の一つだった。
館の廊下を歩いていると急に後ろから呼びかけられ、振り向いたと同時には、腕をとられて手近な部屋に押し込められていた。
アリアスが目を白黒させている目の前にいたのは、ミルクティーのような色合いの髪を持つ若い女性、ソフィアである。
「最近ゼロ団長と一緒にいるのってあなたよね?」
「……人違いじゃないですか?」
「いいーえ。私だって聞いたときには見間違いじゃないかって思ったわよ? だってジオ様の弟子であるあなたがちょくちょく手伝いに来ているここで結構顔が知られているって言っても、国民の大半は茶色系の髪じゃない? 容姿を聞いたって分かりはしないわよ」
「そうですよ、人違……」
「聞いてちょうだい?」
「はい」
最近のことをぐるりと頭の中で回しながら、その馴染み深くなってきたその名前の人物に心当たりが少しはある。
しかしとりあえずはしらばっくれるも、ソフィアは逃してくれなかった。普段着のドレスに腰を当てて、語り始める。そんな問答はいいわ、といわんばかりだ。
「私が見たのよ、一昨日」
「一昨日……」
一昨日、確かに一昨日にゼロに会った。
どこでだったか、あぁ館でだ。道理でほとんどの時間館にいるソフィアに……。それならそれは自分かもしれない、と思い始める。
けれどもそのときルーウェンも一緒だったのだけれど、もしかすると壁で見えなかったのかもしれない。
「それは私かもしれないですね」
「そうね。ルーウェン団長も一緒だったわね。あなたとルーウェン団長の組み合わせはよく見たものだけれど、ゼロ団長が一緒にいるところははじめて見たわ。ねえアリアス、あなたこの前私に相談したこと覚えているかしら?」
「この前?」
どうも兄弟子の姿も目撃していたらしいソフィアの言いたいことはそこには関係がないようだ。
急に話題が変わったようにアリアスは思った。相談……すぐには思い当たることがなく、首を傾いでしまう。すると、ソフィアがため息をついた。
「初対面の人に告白されたって言ってたじゃない」
「……あー、そんなことがあったようななかったような……」
思い出したのは、ゼロと初めて会ってから三日後のことだ。
手伝いの最中に、ソフィアに頭の中に抱えていたものを相談したことだった。「初対面で好きだって言われるってどういうことでしょうか」と。
当のそのことで色々ありすぎて忘れていた。それに最近はソフィアに会うこともなかったのだ。
「あのときあなた、相手は灰色の髪に眼帯をしている人だって言っていたわよね」
それから、相談したときには、特徴も言っていた。
「それってゼロ団長のことよね?」
「ソフィアさん、知っていたんですか?」
目の前で、ソフィアが呆れたような顔をした。
「知っていたっていうより、城でその特徴に当てはまる人なんてあの方くらいしかいないんじゃないかしら。それに騎士団の団長様だもの」
まさかとは思っていたけれど、実際に見るとねえ。とか呟いている。
確かに眼帯をしている人なんて滅多にいない。アリアスは言われてみて変に納得しながらも、笑って見せる。
「そのことなんですけど、もういいんです」
「どういうことよ」
立ったままではなんだから、とソフィアに促されて室内の奥の木の箱に腰かける。椅子はないからだ。
そうしながらの問いかけに、アリアスは側のカーテンを引っ張って部屋の中に光を取り入れながら口を開く。
「それから色々ありまして……」
そこでアリアスはん? と今度は心の中で心を傾ぐ。結局あれは何だったのだろう。
『ルーウェンの友人』『白の騎士団団長』としてゼロを再認識したはいいが、再認識しすぎてそのことを頭の隅へやっていた。
……のは何らかの防衛手段だろうか。止めよう、考えては頭がもたない気がする。せっかく一人無闇に悩むこともなくなった。
それに何度か顔を合わせているゼロは全くもってそんな最初の素振りもないのだから。
――それは一重にルーウェンの言葉をゼロが守っているためなのだが、アリアスが知るよしはない。
「色々って?」
「色々は色々なんですけど……何だか改めてルー様に紹介されて会うと、そんな人ではなかったんですよね」
もはや現実ではなかったのではないかと認識しつつもある。
そうすると、横に座るソフィアはがっかりというような顔になる。どうやら何かを期待していたようだ。けれども、すぐに一転し、納得の顔になる。
「まあゼロ団長がそんなことするわけないわよね」
実際にはあったことなのだが、それを見ていないソフィアはアリアスの言った特徴の件もどこへやら別人認定をしたらしい。
そうよねえと言いながら膝に肘をついたソフィアを見て、アリアスは思った。どうやら、自分は今まで知らなかったが、やはり団長なだけあってゼロは顔が知られているらしい、と。
けれども自分はどうしたことか、会ったことはなかったはずだ。そんな、話題に上げられているゼロに最近顔を合わせることが何度かあったので、聞いてみる。
「ゼロ団長ってどんな方なんですか?」
「あら、アリアス知らない?」
「知らないです」
「そうよね。名前も知らなかったくらいだったものね」
「有名な方なんですか?」
「騎士団の団長様だしね。まあ、それだけじゃなくって」
そこでソフィアはなぜか十分近くにいるアリアスを手招きした。アリアスはその意を正しく汲み取って顔を寄せる。
「ゼロ団長ってね……」
ゼロ団長って。
「……んーやっぱり止めるわ。忘れてちょうだい」
「ええぇ、そこで止められると気になるんですけど」
「気になるのならルーウェン団長に聞けばいいと思うわ。仲が良さそうでいらっしゃるから、誰よりもゼロ団長に詳しいのではないかしら」
「そうですけど」
そう言われるが、何だか友人であるというルーウェンに聞くことは躊躇してまう。
加えて、兄弟子とはいえルーウェンとは元々ジオのように彼には毎日会うわけではないし、おまけに帰って来てから忙しそうだ。『春の宴』のせいだろうか。
「まあいいです」
そこまで知りたい、というわけではない。それに実際に会う機会があるのだから。
「あら、そういえば、アリアスの話のお相手は結局誰なのかしら?」
*
塔のジオの部屋は城の彼の部屋よりは一回り小さいもので、天井もあちらが高すぎるくらいでこちらは普通の高さだ。
本棚はもちろん壁際一面に置いてあり、いずれもぎっしり……では今はなかった。
本棚の規模が小さくなると散らかる頻度はましになるかと思いきや、この師はどこからか本を引っ張ってくる。塔と繋がる館の図書室だろうか。それとも所々に大衆小説が混ざっているところから、街で買ってきたものだろうか。
とにかく、いくらか片付けてから残った本の一山の量と本棚の空いているスペースが明らかに合わない。どうしたものか。
「師匠、本増えましたか?」
「ああ、増やした、気がするな」
そうだろう。聞く前に分かっている。
今から会議であるという師は先ほどから動き始めた。部屋の中での軽い服装の白いシャツのみの上にベスト、上着と着ていく。
それを右手の方向に、アリアスは尋ね、ジオは予想通りの答えを返してきた。
いつ増やしたのだろうか、とアリアスは足元の本を見下ろす。それから師をちらりと横目で見る。きっと師のことだから、本が隅に山になっていようと気にはしないだろう。何しろ床が埋まっていても頓着しない。
「本棚を一つ空にしてもいいですか?」
一つの結論を出す。
本棚を一つ空にすればいい。というものだ。
本が何十冊かなくなっても大丈夫だろう。お気に入りの本とかはないはずだ。ただ本がそこにあればいい。退屈しのぎと趣味だから。
それにすぐにまた一杯になるだろう。そこで、今から部屋を出ていく師にまた尋ねた。
「いいぞ。というよりも、それごと飛ばすか」
「止めてください」
すぐに返されたのも、予想通りの返答。けれども、ぱっと提案されたことはとんでもない。
こうやってすぐに魔法を使おうとする。確かに城とは異なり、魔法師だけしか出入りしないと言っても過言ではない塔ではあるが、それでも比べると緩いくらいのものに過ぎない。
すぐさまアリアスは拒否の言葉を発した。
「大体、どこに飛ばすつもりですか」
「どこに飛ばすべきだ」
「……館か城の図書施設へでしょうか。あ、いや飛ばさないでくださいよ」
選択肢は多くない。でも城だったら魔法を使うことは止めさせなければ。と思っていたところで、以前はどこに移動させたかを思い出す。
「あ、この塔の空き部屋に、以前移動させた本棚に空きがあったような気がするので、そこに移動させますか?」
「飛ばした方が早くないか」
「決まりました。移動させておきます。あ、師匠、もしかして、この中には城と館の蔵書とか混ざってますか」
「混ざっているような気がしないでもないな」
「混ざってるんですね。分かりました」
そう、塔のジオの部屋がある階はほとんどが物置……保管場になっている。ジオのこの部屋も元々は物置であったらしいが、人が少なく静かな場所を求めた結果こうなった模様だ。何年前のことかは定かではない。
それはそうと、ジオの隣の部屋は本棚とそれに隙間なく並べてある本でいっぱいだ。今回のようなことがあるときに、時おりそっちに移動させているからだ。
つまりはそちらに本だけを移動させればいい。幸いにも館などの蔵書を除けたときにがらりと隙間の空いた本棚が一つあったはずだ。
今から整理しようとしている本棚の本の内にも、元々は城や館で管理されている本があるはずだから、それらを退ければいくらか減るだろう。
師の曖昧すぎる答えにも予想をつけて、アリアスは一人頷く。それで決まりだ。
「じゃあ師匠は会議ですよね。行ってらっしゃい」
「いやまだ時間はあるから……」
「そうやって遅刻していくんですよ。レルルカ様に『春の宴』に一枚噛まされますよ」
以前ぼやいていたことを引き合いに出せば、ジオは口を閉じた。それは嫌であるようだ。
「行ってくる」
「はい」
ジオはくるりと黒衣の裾を翻してドアに向かう。かと思えば、
「あ、師匠! 魔法は……あーもう」
ふっ、と姿が光がほとばしると共に、その漆黒の長い後ろ髪が揺れて最後に消える。ドアが開くこともなく、ジオはその姿を消していた。
あっという間に部屋の中にはアリアスが一人いるばかり。
後ろで師の背中を見ていたアリアスはといえば、声を上げるも、もう仕方がない。ジオは空間移動の魔法で自身を城へ移動させたのだ。
「レルルカ様にでも見つかればいいのに」
見つかってもけろりとしているだろうが。
ドアの方をまた一度見てから、アリアスは本棚の一つに向き直った。




