13 治療団
城の医務室でも騎士団の医務室でも毎朝必ず朝礼があり、決まった心得の他簡単な連絡事項がされる。
ここ最近で例を挙げれば、風邪の流行について。医務室の者が風邪を引いては元も子もないので予防を徹底するように、といったこと。
その風邪も収まりを見せている今も再発しないようにとかいうことが言われ、あとは定型文句で朝礼は締められるかに思えた。
しかし違った。
通して話していた魔法師が朝礼を終える言葉を述べることなく下がり、代わりに一人違う魔法師が進み出る。
その男性魔法師は言う。
「城の中での病の流行は先ほどあったようにほぼ収束し、それ以上重い病は見られなかった。
しかし現在国の南部において重い病が流行している」
それまでも静かだった部屋がもっと静かになった。部屋にいる全員が危機逃さまいとしている。
「すでに広範囲での流行りを見せており、現地の手では追いついていない。このままではより範囲は広まり王都にも到達すると予想されている」
王都の外、国のとある地域で病が広がっているとかなんとかという情報はすでに耳にしていたことだった。ここは王都、城には各地の情報が集められ対応を迫られる場所なのだ。
しかしながら、現地の手で追いついていないというのは元より人手の少ない村や町だったのか、そうでなければ……。
「そのため迅速な人員の補強が必要となり、早急に治療団を編成し現地に赴いてもらうことになった。魔法師、治療士どちらからも人員を集うことになり、城や騎士団も関係ない。誰もが選ばれる可能性があることを頭に置き準備しておくように。
もちろんこちらで適切な数の人員を選ぶが、志願は願ってもいないことだ」
はきはきと通達事項を終えた魔法師が下がり、朝礼を終えるいつもの言葉が聞こえていつもと変わらず解散となった。
そのあとの空気といったら重いものだ。アリアスは流れに沿って部屋の外へ向かいながらひしひしと感じていた。
朝礼が終わった途端に起きる囁き声は耳を澄ませ中身を盗み聞くことなくとも明らか、さきほどの話のこと。
「……選ばれたら……」
「……どうしよう……」
いくら治療専門の魔法師としているとはいえ、どちらかといえば得意で将来が安泰だからという理由でなれるのならばなる人はけっこういる。治療専門の魔法師だからといって全ての人間が人を治す使命感に燃えているわけがない。
重い病、その中心地に行けば自らも病にかかってしまう可能性は大いにあり、死ぬ可能性すら頭に浮かぶだろう。
「こんなこと、あるんだねぇ」
マリーがぽつりと呟いた。その顔にも不安が表れている。
「王都に来るんじゃないかって聞くのも不安なのに、行くとなると……飛び込みたくないよねぇ……」
王都以外にも、魔法師を育てる場所は存在する。魔法を使わず癒しを行う者たち治療士の育成機関もまた王都にあるが、王都の外にも存在する。
学園に限って言うと、学園で学んだ生徒たちはほぼ全員が城に勤務することになる。しかし一部――王都外から来て故郷に戻るという者もおり、また王都以外の育成機関で学んだ者が城に来るということもあるが反対に彼らの大半は各地、国が配置した各所に配属される。
今回のように流行り病などが起きて最初に対処することになるのは彼らとなる。現地にいる治療士がおればその人たちとも協力し、治療にあたる。
ゆえに、よほどのことにならないと城にいる魔法師たちが治療団を編成して向かうということはない。
「二年前に流行った病もすごく感染力が強くて、そのときは大勢亡くなったという話よね」
「そんなことあった? ……あった、戦争がときでしょ? もうあのときは科も決めちゃってた後だったからすごく悩んだ記憶あるある、でも心のどこかで大丈夫って思ってたんだけどなぁ……」
城に勤務すれば、可能性は低い。だから大丈夫だ。
行きたくないと大勢の顔に書かれている。
そうだ。二年ほど前にもこのようなことがあった。戦争の影に隠れてしまって、起こった地域の人の記憶にしかくっきり刻まれていないであろう事態。
考えると、この中には戦地に行った人や治療団の一員として病の収束に努めた人たちがいるのだ。
改めてアリアスが周りを見回すと、中には毅然と、覚悟を決めたように堂々と前を向いている人たちがいる。その数は、少なくない。
ああ、おそらくアリアスは不安な顔に目を引き寄せられたのだ。自分も不安だから。
気がついて見れば、不安さを隠しきれていないのは新人魔法師がほとんど。
しかし次に気がついてしまうのは、もっと不安そうな表情をしている人。あの話の向こうに何があるのか知っていてその上で、だからこそ不安そうな顔をしている。
「安心なさい」
そのとき、横で誰かが言った。
アリアスはそちらを見た。いたのは前を向きながらもちらりと一度だけこちらに目を向ける、新人教育の際に今もよく監督につくなどしてお世話になっている先輩。
「一年目の新人は人手が本当に足りなくて連れて行かざるを得ないときじゃないと連れて行かれるなんてことはないから」
「そうなのですか?」
「現地で教育している暇なんてないでしょう?」
厳しい言葉に聞こえるが、この不安な空気漂う中向けられた微かな笑みは圧倒的に安心を与えてきびきびと去っていった。
「かっこいい……」
「そこなの? でもさすがね……先輩、志願して行きそうなくらい」
「志願……」
廊下に出て、ふと窓の外を見るとまたかという気も起こらないくらい慣れた雨。ガラスにアリアスの顔が映る。すぐに通り過ぎて消える。
アリアスは自分でもよく分からない顔をしていた。
「治療団は、いつ出発するんだろう」
「どうかしら。今日この話が出たばかりだけれど、すでに状況が厳しいようだと……数日以内には発つのかもしれないわね」
「そっか」
「でもこの雨の中……この雨がせめて止めばいいのに」
そうだね、とアリアスは相づちをうった。
治療団。予想で出発は数日以内。
おそらくすでにあらかたの人員は選び終えていると考えた方がいいか。一年目の新人は足手まといの可能性を考慮され外される可能性が高い。アリアスもまた。
二年前、広がった病は少なくない人々の命を奪い、そして収束した。そのときと比べてどう重度が異なるかは不明だが、きっと二年前の功績を考えるに治療団が向かえば病はやがて収束するのだろう。
王都に来ないうちに。
アリアスがここにいて不安を覚えながらも日常を過ごしているうちに収まり、本当の日常に戻るだろう。
二年前もまず戦争に行った大切な人たちの無事を祈りながら王都に、学園にいた。病もきっと収まる、自分がやるべきことは学園で勉強することなのだと。
だが今、アリアスはもう学園の一生徒ではない。
南部。重い流行り病。
なぜ治療専門の魔法師になったのか。
魔法師になったのは魔法の素質があったから。
それでは館に勤務する、事務に徹する魔法師になったっていいのに治療専門の魔法師になろうと思ったのはなぜか。
これもまたその素質があったからか。
――違う
素質あってこそでの、その理由も欠かせないが大きな理由は違う。ずっと昔にこの力があればよかったと思ったことが何度もある。
足手まといにならない自信はあるかと言われれば分からないと答えるしかない。でも、もう待つことが役目の術を持たない子どもではなく、小さいながらも力を持った魔法師。『待つ資格』がある、けれども今アリアスは『行く資格』も手にしているのだ。
「アリアス、アリアス」
「……、え、ご、ごめんイレーナ。どうしたの?」
「謝らなくていいわ。ただ下を向いて気がつくとずっと黙っていたから、具合でも悪いのかと思ったの」
「ううん、そんなことないよ。ありがとう」
ふっと失せていた音が戻ってきたように呼びかけを自覚すると、覗き込んでいたイレーナがいて、城の中での風邪の漫然がありあの話題のあとでは致し方ない考えに慌てて首を振ると「そう?」と傾げていた首を直してイレーナは結わいた髪を後ろにやった。
「アリアス、あまり考えこまない方がいいわ」
「……え?」
「あなたすごく難しい顔をしているから」
手を顔に当ててしまう。どんな顔だ。
「アリアス悩み事でもあるの?」
マリーがひょこりとイレーナの向こうから出てきた。
「いや、そんなことないけど……」
「人には悩み事と秘密がつきものだから無理には聞かないけれど」
どこか悟ったようなことをイレーナが言い、こちらを見た。
「この前のことで思ったの」
「……この前のこと?」
「人には秘密がつきものよね?」
秘密。ルーウェンとの関係のことやイレーナが実はレルルカの姪っ子であったという話をしたことを思い出す。
強調され、これで合っているのだろうかと頷いておく。
「アリアスとは学園からの付き合いでも他の人よりは短い期間の付き合いだわ」
「うん」
「それに関係なく、いくら一緒に学園生活を送っていてもすべてを知っていることってないわ。わたしは初めてこの間マリーがきょうだいで一番上だって知ったことだってあるし」
「あたしは初めて知られたっていうことにびっくりした!」
「知らなくても生活って成り立つものね」
イレーナの話がマリーによってずれていく。
その合間に下を向いていたらしく、顔を上げてからはじめて周りを見たアリアスははっとする。
仕事に向かっていたはずの人波が消え、人がまばらだ。
皆一ヶ所を目指しているわけではないのでこういうことになるが、それでも少なすぎる。
「ごめんもしかして私に合わせて歩いてくれてた?」
歩く早さが遅くなっていたのだろうか。
「え? あたしは普通に歩いてただけだけど何で? ……え!? 皆いない!?」
と思ったら周りをぐるりと見たマリーが驚愕の声をあげた。
「やばい! 仕事に遅れちゃう早く行こう!」
「マリー先に行っていて、わたし朝礼の部屋で鍵落としたみたいなの。悪いんだけど、アリアス付き合ってくれる?」
「了解! うまく言っておくね!」
焦ったマリーはすぐに走っていってしまった。いや、まだ前には人がいるから大丈夫だとは思ったアリアスは瞬いて、イレーナを見た。
「マリーならすごく口実作るの上手だから大丈夫よ」
「……そうだね。それより鍵探しに行こう。部屋の鍵?」
「いいえ、落としていないわ」
え? どういうことかとアリアスの回りかけていた身体が止まる。
「仕事にも遅れないわ」
「どういうこと?」
「ごめんなさい、今のうちに話しておきたくて」
「さっきの話?」
「そう」
わざと止めたということで、アリアスは理由が図れず戸惑う。
「……わたしが言いたいのは、アリアスってとても謎に包まれていたのよ。思い出してみるとあまり自分のことは話さなかったし」
「う、うん」
「兄弟子さんのこととかはいいのよ。でね、」
「イレーナ」
いつもはっきりした物言いのイレーナがとても遠回しに何かを聞こうとしていることがアリアスには分かった。
学園と現在まで数年だ。でも、寮で学園で生活を共にしていたからそれくらい分かる。
今度はアリアスが尋ね、促す番だった。
「聞きたいこと聞いて。答えられないことなら、イレーナは聞いたあといいって言ってくれるでしょ?」
出会ったときからそうだったから。それもあってアリアスはこの友人といるようになったことが、気にかかることもなくむしろ好ましかったのだと思う。
彼女はそういう人。
すると、イレーナはわずかに視線を一度下げ、上げた。アリアスは頷く。
「アリアスあなたさっきね、すごく思い詰めた顔していたわよ。朝礼のあとからずっと」
そうだったのか。イレーナには思い詰めたと見えていたのか、申し訳ないことをした。そう言うとそういうことではないと言われるだろう。
「とても聞きにくいけど、聞くわ。もしかして南部の方に知っている方でもいる?」
朝礼での重大事項。
それが原因であるとイレーナは推理したのだ。他は数日前から変わらないことだけだったから。
イレーナは真剣な顔で少し不安そうな顔も混ぜてこちらを窺っている。
アリアスは少し考えて、それほどかからずに答えを用意できて口を開く。
「いないよ」
と端的に答えた。事実を。
「……そう? それならいいのだけれど。ごめんなさい、突然」
「ううん、気にかけてくれてありがとう」
迷ったろうに。この先悶々とさせることはなくなり、良かったと思う。
けれど「思い詰めた顔」の原因は分からず仕舞いなわけなので、それにも答えておくことにする。
「私が考えていたことは……」
「アリアス」
途中で声を重ねたのはイレーナではない。彼女は口を開いていない。
アリアスは横を見た。イレーナと向き合い話していたから左右に伸びる廊下の内、向かう方ではなく来た方。
そこにいるはずのない、と思ってしまった姿にアリアスは目を見開いた。




