12 病の流行
また今日も外は雨の幕に覆われている。雨が一旦止んだという話は聞かず、確かに夜も降り続く雨音が耳に響いていたような気がする。
それに、雨粒が大きくなりいきおいも強くなったような気がする。
太陽がちらとも顔を出すことを許さない分厚い雨雲のせいで、時間帯は朝なのに薄暗いので夕方頃のよう。
制服の上に着た、雨避けのマントについたフードをすっぽり頭被ったアリアスはフードの影から上を見ていた。
建物の形により円形に切り取られたように見える空は厚い雲に覆われ、降る雨が頬を濡らす。
竜は雨の中でも来るのだ。
鳥は翼が濡れては翼が重くなっては――種類によるだろうが、飛ぶのに支障が出るようだけれど竜の翼は鳥と同じく空を飛び回るためのそれを「翼」と一口に表すも作りが異なる。
雨降る中、雨が支障となっている様子はなく平気な様子で飛んできた彼らは鱗が濡れているだけで普段と変わらない。
竜は雨の中、どんな生活を送っているのか。以前見た『巣』には雨避けとなりそうなものは見られなかった、と思う。
これまでも雨に降られているはずだから雨に濡れたことが原因で体調を崩さなかったということは、変わらず過ごしているのだろうか。
「……アス、アリアス」
はっとしてアリアスが前を見ると、ディオンが正面に立っていた。
「やっと気がついた」
「す、すみません」
「いい、さっさと済ませよう。ただ、羽ばたきの風で雨が吹きつけるから気をつけて」
「はい」
言ったそばから新たに降りてきた竜の翼により起こされた風で雨粒が降る方向を変える。下手すればここだけ暴風雨になりそう。
顔に吹きつける雨粒を感じ、アリアスは連日の雨により水が捌けていない地面をぱしゃぱしゃと行く。
目的の竜の元へ着く前に離れたところにいるルーウェンがこちらを見ていることに気がついて、アリアスは微笑みを返した。
*
この季節外れの長雨のせいだろうか。ここのところ城の医務室に留まらず騎士団の医務室にも風邪の症状を訴える患者が増えてきた。
何だか多くなってきたな……と思ったときには城中で流行りはじめているようだった。
王都にまで重く感染力の高い流行り病が至ることはそうそうないが、今回広まっているものが単なる風邪であって重い流行り病の類いではないことが救いである。
しかし城で風邪が広がること自体が良くない。もしも王に移ってしまっては大変だからだ。
話は少し変わるが、治療系の魔法では傷を治すことが最もやり易く、日常ではほとんどそのような使い方をすることの方が圧倒的に多い。
同じように病も治すことができるが、こちらは傷のように「病」が目に見えるわけではないので勝手が違う。主に身体の抵抗する力を高める――弱った力を戻し補強するという形となる。簡単な病はすぐに治すことができる。
……が、風邪の兆候を受けた人々全員が医務室に来るわけではない。
よってすべてを防ぎきることは毎年難しく、現在は全員を魔法でとは手が回らない状態だ。元々医務室には魔法師ではない治療士もおり魔法師も魔法ではない治療方法を学んでいるので、すべての傷や病を抱えてくる患者を魔法で対応するわけではなく状況により薬で対応しているので数が増えただけでそんなに慌てることにはなっていない。
少し慌てていたとすれば、例年より風邪の流行りが早くまだその時期に備えて必要となる薬を大量に用意していなかったことか。現在薬を作る部屋でいくらかの魔法師たちが籠って薬を作っていることだろう。
それに今年は特に広まっているようだった。
「もう嫌になるわ」
ため息とともにそんな言葉を吐き出したのは先輩魔法師だった。
ごほごほという咳の満ちた騎士団の医務室の治療室から一端出てきたところで出くわした。鼻から下を覆っていた布を引き下げ、深く息をついたことが見てとれた。
アリアスもイレーナとあと一人と一緒にまさにその部屋に入ろうとしていたところで、布をあげようとしていた。
今日も今日とて騎士団からは訓練の際に怪我をした人もやって来る。に加えて今は風邪の流行りによる患者。
対応に追われている。
先輩といってもいくつも先輩にあたる女性魔法師は眉にシワが寄っていた。
怒っている、のか。
「あなたたち、来なさい」
立ち止まっていたアリアスは明らかに自分達に向かって呼びかけられたもので、イレーナと顔を見合わせた。
顔を戻すと同時に示し会わせたように同じタイミングで足を前に、言われた通り近づく。
と、腰に手をあてた先輩はこう言う。
「各騎士団に連絡。風邪の症状が少しでも出ている者は絶対に来るように、と。絶対よ」
それだけ。
「……騎士団の団員が滅多に引かないからと自然に治るのを待っているからこうなるのよ。自然に収まるのを待っていては今年は早めにきたから長引くかもしれない。ここでどうにかして止めなくては……」
ぶつぶつと騎士団に対しての不満のあと、「分かった?」と聞かれたので呼び寄せられた三人で「はい」と返事。
「じゃあさっそく行ってきて」
「あ、あの……」
解散とされた直後、アリアスとイレーナではない一人がおずおずと手を挙げた。
「騎士団全体に、言い回るのですか?」
「……馬鹿ね、団長に言いなさい。何のために三人引き留めたと思っているの。そうね、あなたは黄の騎士団、あなたは白の騎士団」
「は、はい」
「はい」
次にアリアスに指が差される。
「あなたは青の騎士団」
各騎士団が訓練をしている訓練場に行ってみたけれど団長の姿はなく、誰かに言っておけばいいかと考えるも確実に伝えるために騎士団の事務関係の仕事を行う建物に行ってみた。
団員に尋ねると会議中だと言われ、上の階の会議室に向かった。
「あり得ねえ、何でこんなに風邪蔓延してんだよ。……鍛え方が足りなかったみてえだな」
「い、いやそんなことないっす――へ、へっくしっ」
「おいお前も風邪かよレックス」
「くしゃみだけっす! 鍛えられてるんで! ……そういえば団長が風邪引いたところ見たことないっすね……」
「俺が引いてどうすんだ。つーか騎士団が風邪引いてどうする」
「引くときは引くっすから……」
聞きなれた声が聞こえたが、アリアスが階段を昇り終えたときにはその姿はなかった。廊下の向こうに行ったか、片方はゼロの声だったから……イレーナが探しているとすれば会うだろうか。
「あ、ルーさ……」
廊下の先を見ている内に会議室から人が出てきた、探しているルーウェンだったので呼びかけかけたが、後ろからまた人が出てきたことでとっさに口をつぐむ。
「アリアス。……先に行っておいてくれ」
「はい」
後ろから出てきたのはたしか、青の騎士団副団長の男性でルーウェンが言うと廊下の向こうに歩いて行った。
「どうしたんだ?」
「はい、実は今騎士団にも風邪が流行ってきていることで」
「うん、問題になってるな。あー……もしかして医務室からその件で?」
「はい」
先輩に言われたことを伝えると、ルーウェンは「確かにそういう節はあるな」と苦笑いした。
「確かに伝えておこう」
用件はそれだけだと分かったのだろう、ルーウェンにそれとなく促されてアリアスは歩き始める。
「今こう言うと医務室に怒られそうだが、きっとすぐに収まるだろう」
毎年風邪は少しであれ引いている者がいるから。それはアリアスも知っていたので頷いた。
結果的に言うと、城に広まっていた風邪はそれ以上ひどいことにはならずに収まりを見せた。マリーも復活し、気のせいか前に増して元気になっておりアリアスはその様子に微笑んだ。
しかし、城よりずっと外でも同じような流れになっていた。むしろ、国で最も気をつけられ環境が整っている城の中でそれほどになっていたのに外でとなるとどうなるか。
*
「城で広まりかけていた軽い病はほぼ収まりましたわ。……しかし、国の南部で重い病が流行りすでにかなりの地域に及んでいるとの報告が」
城で広がりを見せていた風邪は収束の兆しが見えていた。医務室の対応が早かったことによるものだ。
しかし、会議でその報告をしたレルルカは城の外――王都の外で起こっている深刻な事態を口にした。
国内、南部においての病の急激な、爆発的な広がり。
こちらもまた今回の風邪の事態同様に毎年少なからず頭を出す問題であるが、比べると早い。
「どう致しますか? すでに死者も多数出ており、その地でのみの対応は不可能となっていることと思われます」
形だけの問いは主に、円卓の最奥で目を閉じてじっと報告に耳を傾けていたアーノルドに向けられたもの。レルルカの問いが消え、部屋は静寂包まれる。
やがて口を開くのは、目を開いたアーノルドだった。
「この時期の長雨はいいものをもたらさんのぉ」
そう呟き、長い大きな窓に目を向ける。外にはずっと降り続き、止むことのない雨。この雨は王都だけでなく国のあちこちにも降っているらしく、とある地域の川が氾濫したという報告もある。
「これ以上広がれば国中に、王都に来ることも十分考えられる。何としても今の状態より悪くすることは避けねばならぬのぉ」
「治療団の編成を致しますか?」
「おぬしに任せるわい、レルルカ」
「はい」
提案はすでに決定事項であり、許可を得るだけだったことあり話が素早くまとまり議題が移る傍ら、卓の上の資料を捲ることなくじっとしていたルーウェンはすっと顔を上げた。その先でジオと目が合った。




