①
世界最大の大陸内陸部、複数の気団に影響を受ける位置に存在する聖王都アルトゥリアは季節によって様々な顔を見せている。
中でも黒黒とした冷たい大地から草木が芽吹き蕾は花開く、色という色が都市を包みこむこの季節は光の都たる所以を世に知らしめていた。
庭師によって整備される王立中央公園はもとより、都市を走る幹線道路、人々の熱気あふれる市場から郊外の住宅街に至るまで、あらゆる場所に存在する街路樹や花壇は人々の心に安らぎと平穏を与えている。
世界一美しき光の都アルトゥリア。
当然その玄関口とも言えるその場所は絢爛豪華の極みを演出していた。
「……ここが聖王都、か」
アルトゥリア中央駅三番ホーム。
この地に降り立った多くの旅人は、アーチ型の天井の至る所にはめ込まれた綺羅びやかなステンドグラスにまず嘆息を漏らし、その天井からの光を鏡のように反射する大理石の床を踏みつけることに躊躇いを覚え二の足踏む。花咲き乱れるこの季節には風によって運ばれてきた花弁が、美しい大理石をさらに際立たせている。
ここに勤務する多くの駅員達はその光景を見、己の職場に誇りを覚えるのだが、
「………」
自身の腰ほどもあるトランクの上に、更に巨大な手提げ鞄を固定した大荷物を引きずり、疲れきった表情を浮かべるこの軍服を着た青年には、そんな駅員の期待に応える余裕はなかった。
この国ではそう多くない黒い髪は短く切り揃えられており、歳の頃は二十代半ばだろうか、すっと通った鼻筋を持ち決して悪くない顔立ちだか、やや吊り気味な目が濃い疲労ゆえさらに細められ、腰に軍剣を挿してることも相まって近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
そんなぱっと見マフィアかギャングにも見えかねない青年の黒い瞳が、客車にはめられた行き先表示板を捉えその足取りがさらに重くなる。
『アシべリ - アルトゥリア』
声に出して読めばたった十字でしかないこの表示板も、彼にしてみればが悪夢の羅列でしかない。
極寒、最果て、永久凍土、聖王都とはまるで正反対の異名で枕を飾る北方の国境都市アシベリ。
直線距離にして三千キロ、補給すること六回、移動期間は倒木や動力機の不調による足止めを含めてまる七日。
やっとの思いで聖王都へと到達した彼に必要なのは感動ではなく休養であった。
「……ふぅ」
長い時間列車に身を任せたとあって、降り立った直後からまるで地面が揺れる様な感覚が彼を襲う。船でもないのに陸酔いか、と倦怠感と戦いつつふと見やればホームに等間隔に並べられた待合用のベンチが、ひい、ふう、みい。彼は体の求めるままにベンチへと座り込んだ。
王国陸軍の特徴的な深い緑色の軍服を身に纏う彼は、やはり暑かったのか、上着を脱ぐとシャツの首元を締めるボタンを二つほど外す。
職業柄か主張の少ない、実用的によく鍛えられた体にホームを吹き抜ける心地よい風が空いた胸元から入り込み彼、ゼノス・エッカートにささやかな癒しを与えた。
「ずいぶん遠くまできたもんだ……」
温暖な気候、豪華なホーム、せわしなく動く人、人、人。
一息ついたことで周りの風景が目に入ってきたゼノスは、ようやく自分が聖王都へとやって来た事を自覚し、
「……さぁて、鬼が出るか蛇が出るか」
疲労の色濃い瞳の中に、静かに闘志の火が灯る。
* * * * *
季節は春を迎えようというのに、未だ最高気温が零下を脱する事のない、花など咲こうものなら咲いたそばからこなごなに砕け散る事うけあいの王都陸軍第三師団アシベリ駐屯地。
その日、師団長室へと呼び出されたゼノスに二枚の辞令書が渡された。
「すまないエッカート中、いや、今は少尉か、本当にすまない」
第三師団にその人ありと謳われる、北神ドルザック・スヴォーロフ。半世紀を超えてなお北の大地を守り続ける神の如き老兵、生きた伝説の口から溢れたのはそんな思いがけない謝罪の言葉であった。
「いえ、正直物理的にクビか飛ぶものと覚悟おりました。階位が一つ下がっただけで済んだのも閣下の温情の賜物です」
つい数日前の事、中央からやって来たさる公爵家のバカ息子を殴り飛ばしたゼノスは、言葉通り死をも覚悟の上であった。しかしそれを是としない第三師団の仲間による必死の掛け合いとドルザックの口添えによって、中尉から少尉への降格という破格の処分が下されたのだ。
閣下の温情の賜物、常套句としてではなく心の底からそう思うゼノスだが、
「いや、エッカート少尉、私は結局部下を守りきれなかったとそう言っているんだ」
降格辞令の影に隠れた二枚目の辞令に、ドルザックの心は穏やかではなかった。
ゼノス・エッカート
本辞令の到着をもって、第三師団の任を解き、同日付けをもってアルトゥリア中央区役所への出向を命ず。
北方の僻地から王都へ、不気味な程に条件の良すぎる左遷辞令。
「なにを言っているんです閣下、王都へ栄転ですよ? まぁ、まさか役人になるとは思いませんでしたが」
「……ッ!!」
明らかなる罠を前にして軽口を叩く部下に、ドルザックの老いてなお力強い拳が震える。
「では、ゼノス・エッカート、王都への出向謹んでお受け致します」
自分にここまで良くしてくれたドルザックに、軍学校を出てすぐに配属された古巣へ、ゼノスは別れの意を込めて敬礼する。
「……エッカート、もしもの時は迷わずここへ来い。アシべリは俺の土地だ、お前一人匿うくらい訳はない」
軍人としてではなく、一人の人間として語りかけるアイザック。ゼノスはその申し出に破顔した。
「北神ともあろう方が何を甘い事をおっしゃいますか。閣下、自分は王国軍人である前に栄えある第三師団の人間です。敵前逃亡は銃殺刑、逃げ帰るなんてできませんよ」
「……エッカートッ!!」
前途有望な若者を死地へと送る無念を押し殺し、ドルザックはゼノスへ答礼した。
* * * * *
そんな感動的な別れを終えたのは十日程前の事。
待ち受けるは光の都アルトゥリアの影に隠れし深き闇。
ゼノスは両手で頬を貼りベンチから立ち上がると、ホームに響く頬の音に驚く他の客を無視して再び重い荷物を引きずりホームを出た。
おいでませ光の都アルトゥリア!
歓迎! ゼノス・エッカート少尉!!
しかしそこに現れたのは可愛いらしい丸文字で書かれたフリップボードに、ゼノス闘志やら惜別やらと言った想いがガラガラと音を立てて崩れるような錯覚を覚えた。
「あ、ゼノス・エッカート少尉ですか!?」
軍服だったからなのか、フリップボードを前に石化していたからなのか、鈴の鳴るような明るく弾む声に名前を呼ばれたゼノスは、視線をフリップボードからそれを掲げる頭一つ程小柄な人物へと視線を落とす。
そこには長い金髪を後ろに束ねた、黒いスーツに黒いタイトスカートを履いたフォーマルな格好をしているも、まだ十代特有のあどけなさの残る少女がいた。
「……あ、ああ確かに自分はゼノス・エッカートだが、君は?」
「はい! 私はエリス・ベイカーと申します!」
深く青い瞳の彼女、エリス・ベイカーは、頰をほんのりさくらんぼ色に色づかせ、野原を意味もなく跳ね回る仔犬のような笑顔を放つ。
「いや、うん、丁寧にありがとう、それで何故ベイカーさんは自分の名を?」
「ああ、私中央区役所の人間でして、今日はエッダさんにゼノスさん寮まで案内するよう言われまして」
人を疑う事を知らないとでもいいそうな明るい声色で、はきはきと目的を告げるエリスにゼノスは混乱する。
確かに書類には到着したら寮へと行くよう指示があるが、迎えがあるとはどこにも書いてはいない……これは新手のハニートラップなのか?
純粋そうな少女を使って油断を誘う、色気を主に使うそれとはまた違った方向の罠の可能性にゼノスの警戒心が警鐘を鳴らす。
「あのぉ、私なにかしました?」
「いや、すまない、なにぶん男所帯のアシベリから来たもので、こうも愛らしい女性に出迎えられたとあって、少々驚いているだけです」
「え、ええ!? 愛らしい女性だなんてもうっ」
持っていたフラップで顔を隠し、ゼノスから顔を背けるエリス。
こうして見ると本当にただの少女にしか見えないエリスに、早くもゼノスの警戒心が緩みそうになる。
「……では、ベイカーさん、自分はどうすればいいのだろうか?」
「っは!? す、すいません、まずは寮に案内しますね! お荷物お運びしましょうか!?」
「いや、結構、こんな重いものを女性に持たせては男児の沽券に関わるので」
「そんな、麗しい女性だなんてっ」
そこまでは言っていないんだが、と心の中で呟くゼノスを他所に、身悶えるエリスはゼノスを先導し駅の出口へ向かう。
「エッカート少尉は王都は初めてですか?」
「学生時代に一度」
「ご旅行ですか?」
「いや、卒業試験で中央司令部に」
「え!? 卒業試験ってそんな所でやってるんですか?」
そんなとりとめのない話をしながら歩く二人は順調に歩を進める。
聖王都の名に相応しい美しいレンガ道で舗装された歩道、馬車や自動車の往来する窪みひとつない整地されたアスファルト、これらが中央だけでなく都市の隅々まで整備されている事実はそれだけでこの国の国力の高さが伺える。
美しいのは何も道路だけではない、幹線道路に並び立つ建物のどれもが他の都市とは一線を画す第一級の建築物であり機能美あふれる芸術品であった。
これら建築物や都市の配置構造は全て初代国王の所業であり、二百余年前より拡大した部分が今だ都市全体の二十%に満たない事を鑑みるに、都市の存在事態が初代の英雄たる所以を語る英雄譚と化していた。
「ベイカーさん、一つ聞いてもいいだろうか?」
「はい、なんでしょう?」
その都市の中心部で、ゼノスはレンガ道の各所に置かれた街灯の前で止まり、その街灯に刻まれた円形の刻印をなぞりながらエリスに問いかける。
「これは魔法陣だと思われるのですが……」
「はい」
魔法陣とは、そこに魔力を注ぐだけで魔法を行使することのできる図形のことである。
「あの先ほどから度々見かけるもので、まさか都市全体に?」
「はい、この手の魔方陣ならだいたい全ての街灯についてますし、王都の建物には設置義務がありますから、おそらく王都でこの魔方陣を見ない事はないと思いますよ?」
ゼノスはエリスのその言葉に絶句する。
どんな人間も大なり小なり持っている魔力、その魔力を目に見える形で行使するのが魔法であり、非常に安易に使用する事を可能としたのが魔法陣である。
しかし魔法は決して一般的な存在ではない。
現状、魔法の使用は一子相伝の秘術であり、それをいとも簡単に行うことのできる魔法陣などそうそうお目にかかれるものではないのだ。
人々の生活を、経済を、軍事を支えるのはあくまで電気や蒸気機関によって動く機械が主役である。
その秘術がこうも開示され、人々の生活レベルまで落とし込まれている事実、ゼノスは王都の生活レベルの高さに驚きを禁じ得ない。
「あ、もしかして王都は魔法陣の使用が一般的だと思ってます?」
まさに図星を突かれたゼノスに、エリスは苦笑する。
「す、すいません。この魔法陣は王都で管理してまして、普通はどんなに魔力を注ぎ込んでも発動しないんです」
「魔力を注ぎ込んでも発動しない? 」
「はい、詳しくは私も知らないんですが、非常時のみに発動する特殊陣で、この王都以外でいくらこれと同じ魔法陣を描いても使う事は出来ないんです」
「なるほど、だからこんなに無造作に配置できるわけだ」
「じゃないとあっちこっちで魔法が発動しちゃって、役所に苦情が殺到しちゃいますよ」
そう言ってころころ笑うエリス。ゼノスはそんな彼女を見て安堵すると共に、それでも魔法陣の一括管理や行使など王都の魔法技術の高さに驚かざるを得ない。
「すいません、もう一つ」
「はい、なんでしょう?」
「それだけの数の魔法陣、一体何のために?」
そして浮かび上がる当然の疑問にエリスは変わらぬ笑顔で応える。
「この魔法陣は対二ビル仕様の結界陣なんです」
虚無より現れし怪物、ニビル。
黒い影をまるで立体にしたような人型の怪物。ニビルは人と見れば老若男女を問わず襲いかかる非常に好戦的な化物であり、魔力の通った攻撃以外、通常の兵器による攻撃がほとんど通用しない。わかっている事はニビルの出現率と脅威度は人口に比例する事、討伐を行わなければその個体の脅威度は上がってゆくと言う二点だけ。
「……ニビル」
その法則は第三師団約五万人と一般的市民約五千人、計六万弱の人口を持つアシベリにも当てはまり、実際ゼノスも幾度となくその討伐を行った事がある。
一匹あたり五人から十人の人間が、ライフルで牽制し剣や槍に魔力を通わせて止めを刺すといった、決して少なくない戦力で臨まねばならない怪物。
恐ろしい怪物に抗ずる手段として、人類はなるべく弱い内にニビルを倒さなければならないのだ。故にどの国の都市も、人類がニビルを相手取るのに優位なラインである十万人を超える事のないよう人口を分散している。
「この都市は人口百万を超える百万都市ですから、出てくるニビルも三メートルを超えるのもざらで、なかなか大変なんですよ」
ここ聖王都アルトゥリアを除いて。
「三メートル、って、そんな……」
確かにゼノスはニビルとの戦闘経験がある、しかし大きさが違う。
ゼノスが相手をしてきた二ビルは犬や猫、大きくても人間の腰程でしかない。
その怪物がこの都市では三メートルが基準だと何の気なしに目の前を歩く少女は言うのだから、ゼノスは絶句する他ない。
しかし、どうしてそんな怪物が闊歩する町に人が住めるのか、聖ブルドスタイン王国には公然の秘密が存在する。
「対ニビル……トライアンフ……神鉄の巨人」
「あ、ご存知でしたか? まぁ有名ですもんね」
王国直轄対ニビル戦特殊部隊トライアンフ。
かつて数々の偉業を残した英雄が、王都をニビルから救う為に作った秘密部隊が二百年経った今も王都を守護している。
曰く、その姿は巨大な鎧であると
曰く、その足は鳥の如く空を駆けると
曰く、その力は天をも穿つとも
噂と憶測の果てに、都市伝説とも言えるその存在は同じ国に属するゼノスですら懐疑的であった。
「本当、だったんですね」
「はい、トライアンフはいつも都民の味方です」
その噂が、エリスの言葉と共に現実味を帯びてくる。
「さ、そんなこんなで着きました!」
先導するエリスの足が止まる。
彼女の前には、鉄製の格子門と歩道と同じレンガ作りの塀で囲まれた、二階までがレンガ造で上部を漆喰によって作られた建造物、アンスライム三号寮があった。
「では改めまして」
エリスはそう言ってゼノスの前に立つと、フリップを掲げる。
「アルトゥリアへようこそ!」
アルトゥリアの闇、罠、ニビルの脅威。
「……ありがとう」
春に咲き誇る花の如く、眩しい笑顔にこの時ばかりは不穏な言葉が影を薄めたのだった。