大いなる誤解
ほぼ嫌がらせに近い求婚を無視して、私は殿下を着替えさせた。
殿下は私の不機嫌さを楽しむように、機嫌がいい。
「エルフィーネ、兄上を呼んでくれ。たぶん執務室にいると思うから」
「分かりました」
奥宮のロデリック殿下の部屋は、四つの続き部屋である。
一番奥が、今、殿下がいる私室。そこを出ると、応接の間――食事はここで私と食べている――がある。その次が、執務室と、諜報局の上位事務官の控え室と続いている。
因みに私の部屋は、廊下を挟んだ向かいである。まあ、殿下に呼ばれっぱなしなので、ただの衣装部屋と化しているが。
ロベルト殿下は、執務室ではなく事務官部屋の方にいて、彼らと談笑していた。
「あれ? もう終わったのか?」
何を想像していた、脳筋王子! そして赤くなるな、私の顔!
私はなけなしの自制心を総動員して、ロデリック殿下がご足労を願っていますと告げた。
「ご苦労。あ、案内も茶も要らん。悪いがリックと二人だけで話したい」
「では、私はここにおりますので、お帰りの際に一声いただきたく」
「承知した」
ロベルト殿下がいなくなった後、私は手持ちぶさただったので、南宮にいた時のように事務官たちにお茶を入れることにした。
みんな恐縮しながらも嬉しそうだったので、私も自分の仕事に満足した。
その時、私は知らなかった。
一見穏やかな日常の裏側で、大いなる勘違いが広がっていたことを。
「エルフィーネ様って、健気だよな」
「ああ。ロデリック殿下の寵愛を鼻にかけることもなく、俺たちにお茶を入れて下さるなんて」
「ロベルト殿下がおっしゃってたよ。エルフィーネ様は、ロデリック殿下の身のまわりのお世話どころか、看病やお仕事の手伝いまでしてるんだそうだ」
「殿下の仕事って、半端ない量だぞ。寝る暇あるのか?」
「南宮の事務官から聞いたのだが、エルフィーネ様は有能らしい。財務局や外務局の連中は、大絶賛している」
「それ、俺も聞いた。何でも財務長官がただの女官にしておくには惜しいと言ったとか」
「そんな方が、何で部屋付きなんだよ」
「北の国の王女が殿下に横恋慕してるからだろ」
「それに、エルフィーネ様には後ろ楯がないんだよな。ご実家は地方貴族で裕福ではないし」
「待て。俺たちでなんとかできるんじゃないか?」
「殿下」
「何?」
「最近、諜報局の皆様、忙しそうですね」
「そうかな?」
「南宮の外務局の方も徹夜続きのようですよ?」
「うん。交渉事が大詰めらしいね」
「そうなんですか」
世の中には知らない方が幸せな事があると、私が知るのはもう少し後のことだった。