南宮の灰かぶり姫
自分の知らないうちに噂が一人歩きしたり、奇妙なあだ名がついたり、なんてことはよくある話だけれど。
私の場合は――『南宮の灰かぶり姫』
「それ? 知ってたよ」
ロデリック殿下は書類に目を通しながら、『今更?』とばかりに言った。
今日の殿下は朝方に熱が出たため、ベッドの上に起き上がってお仕事中だ。
「どうしてそんなあだ名がついてるんでしょうね」
私はむすっとした顔で、ロデリック殿下を睨んだ。
「そこはほら、君は南宮の女官だったし、出会ったのは夜会だから」
「夜会の会場ではありませんでしたよね」
「細かいことを言えばね。で、君は灰かぶり姫のように王子である僕から逃げて行き、僕は君の落とした髪飾りを手に『これの持ち主が我が恋人だ』と告げたんだ。お伽噺と一緒だよね?」
「全然違います。私が残したのはゲ……」
「ゲ?」
「……ゲのつくヤバいモノで、ヘアピンは落としていません。どこぞの悪賢い王子が似た物を偽造して私を追い詰めたんです」
「そうだったかなぁ?」
ふん。全部折り込み済みのくせに。
奥宮で暮らすようになって一ヶ月。
ロデリック殿下のことも、だんだんと分かってきた。
たとえば、体力がなくて時々熱を出すけれど、病弱というほどではないこととか。諜報局のお仕事をしていて、国内外のあらゆる情報が全てロデリック殿下の元に集められるため、お妃は外国の方ではまずいとか――
「それにしても、二回目に会った時、私の身元を調べ上げていたくせにどうして名前を教えてくれなんて言ったんですか?」
ずっと思っていた疑問をぶつけると、殿下はキョトンとした表情を浮かべた。
「エルフィーネと知り合いたかったからだよ。名前や住んでいる所を調べて知ったとしても、他人のままだろ?」
「まあ、そうですね」
「本当はもっと……こう、ロマンチックな感じで自己紹介し合いたかったんだけど、君は逃げるし」
「あの出会い方で、そんな乙女なことを求められていたとは思いもしませんよ」
「えっ? どうして? 運命的だったじゃないか。君がテオドールを一瞬のうちに床に叩きつけた姿は本当に美しかった」
そこ、すでに残念。
「その後、君と目が合って、『この人だ』と思ったんだ。あの髪は似合ってなかったけど」
今すぐ表に出ろや!
「知っての通り、今すぐには結婚できない状況だろ? 悩んだけれど、エルフィーネと一緒にいたい気持ちは押さえられなかったんだよ」
「殿下……そこなんですけど」
「何?」
「私は、結婚なんて考えていませんが」
「うん、知ってる」
知っているのか。ならば、殿下の言葉の端々に感じるこの違和感は何だ?
「エルフィーネ、水をくれる?」
水差しからグラスに水を注いで、殿下に渡す。
ロデリック殿下はグラスを受け取ってから、自分の横をポンポンと叩いた。
座れって?
私は、ベッドの端に腰かけた。
殿下は半分ほど水を飲み干すと、グラスを
私に戻した。
「君の髪はキレイだね。栗色でツヤツヤしてて」
殿下は私の髪をすくい取り、弄んだ。
「くすぐったいです」
「そう? じゃ、これは?」
首に何かが触れた。そして、生暖かいモノがねっとりと首筋を這っていく。
「ギャアァ――――――ッ! 何するんですか?!」
慌てて飛び退いて振り返ると、水を滴らせたロデリック殿下が、笑いながら私を見上げていた。
うわっ! しまった!
「ごめんなさい。でも、殿下が悪いんですからね」
「うん、分かってる」
「悪戯が過ぎますよ。ああもう、また熱を出したらどうしましょう。お着替えを。それ、脱いで下さい」
濡れた服を脱がせている途中で、ノックの音がして、ドアが開いた。
「リック、聞きたい事が――」
部屋に入ってきたのは、ロベルト殿下だった。
「――すまん、出直すわ」
ドアがパタンと閉まった。
「どうかされたんでしょうか?」
「取り込み中だと思ったんだろうな」
はあっ?
「エルフィーネが僕の服を剥ぎ取ってるように見えたよ。きっと。責任とって結婚してね?」
乙女な台詞を口にして、ロデリック殿下は悪魔のような微笑みを浮かべた。