逃げるが勝ち
「フィーネ? エルフィーネったら!」
同僚のシャルロッテの声に、私はボウッとした頭を上げた。
結局、昨日はよく眠れなかったのだ。
「昨日の夜会の時、どこにいたの? ぜんぜん見かけなかったけど」
私はギクッとした。
「なあに、その反応。誰かいい人見つけて逢い引きしてたんじゃないのぉ?」
いいえ。誰だか知らない悪い人に出くわして、合挽き肉になりかけました。
昨夜の王宮夜会は、私たちのような貴族階級出身の女官も出席を許されていた。パーティー好きのシャルロッテは中央で踊ったり、おしゃべりしたりと忙しかったらしい。
「えっと、お料理が美味しかったから、部屋の端っこでひたすら食べてた」
そして、部屋に帰って寝ようと思ったのが早すぎた。さらに、近道しようとして、人気の無くなった執務棟を横切ったのがまずかった。
「相変わらず地味ねぇ」
うん、地味サイコー。
昨夜は暗かったしね。こうしてお仕着せの女官服を着ていれば、誰も私があの時のゲロリーヌだとは気づかないでしょ。
私の実家は、伯爵家とは名ばかりの貧乏な地方貴族だ。
仕事をクビになったら、実家に仕送りもできなくなるし、何より、後見人をして下さってる騎士団所属の叔父様にも迷惑がかる。
「昨夜は大捕物もあったらしいわよ」
別の同僚がカラトリーを調えながら言った。
「なんでも有力貴族のご子息が、スパイ行為に手を染めていたらしいわ」
ああ、昨日の間抜けね。
「たまたま、ロデリック殿下が見つけて取り押さえられたとか」
あれ? たまたまって感じじゃなかったけどなぁ。
「ええっ! ロデリック殿下ってそんな事、できたの? 病気がちで、めったに人前にも出て来ないのに?」
ああ、そうなんだ。いいこと聞いた。
体の弱い第三王子って、あの人のことだったんた。
私のお勤め先は王宮の南側、いわゆる執務区域だ。
官僚のお偉いさんに昼食やお茶を出したり、来客の取次なんかをするのがお仕事。
国王陛下や王子様たちの執務室もあるけれど、そっちはもっとベテランのお姉様たちが担当だし、王族の私室がある奥宮への使いっ走りさえ避ければ、あの王子に二度と会うことはない。やったー!
「誰かお付きの騎士が取り押さえたんでしょうね」
ううん。通りすがりの女官が取り押さえたんだよ。ふっふっふー 私だけの秘密だよ。
「ちょっと、フィーネ、何にやけてんのよ」
シャルロッテが脇腹をつついた。
「仕事よ、仕事。彼氏のことは今は忘れなさい」
「はーい」
そうそう。仕事、仕事――今日もバリバリ働いて稼ぐぞ!
そして、一週間後――
「ロデリック殿下、今日も南宮におでましだって」
同僚たちの噂話に耳をそばだてる。
「本当? うわぁ、目の保養だわぁ」
私にとっては心臓に悪いんだけど。
まさか――まさかと思うけど、私を探してるとかじゃないよね?
「フィーネはもう見た?」
シャルロッテが私に訊いた。
「な、何を?」
「ロデリック殿下に決まってるじゃない」
「あ……ああ、まだなの」
「ええっ! すっごい美形なのよ。見なきゃ損よ」
幻の珍獣扱いだね。
「ちょっと、ルイーゼ! フィーネにロデリック殿下のスケジュールを教えてやって!」
同僚のルイーゼの姉はロデリック王子の執務室担当なのだという。
「あの……そんな簡単に殿下のスケジュールを教えていいの?」
「何言ってんのよ。公式発表よ。予定が分からなきゃ、誰も面会できないじゃない」
あ、そっか。
ん? 待てよ。スケジュールが決まってるってことは、その時間、他の場所にはいないってことだ。
いいぞ、私。頭いい。
その日から、私は王子の動向を事細かに調べるのが日課になった。
同僚たちの、『可哀想な子……』という生暖かい視線に気づくこともなく。