六話 まおうさま おんとし さんさいになる
あれから三年の月日が経った。
私はすくすくと成長した。
水面に映る自分を見て初めて気づいたのだが、私の髪色は黒だった。お母さん曰く、「私のおじい様と同じ色」らしい。隔世遺伝というやつだ。何故か少し悲しそうな顔をしていたのが気にかかったが、気まずい気がして触れなかった。
生まれたころから伸ばしっぱなしでたまに毛先を整えるだけだ。そのためかなり長い。邪魔なので切ることを提案すると、家族三人から
「「「駄目(よ)!」」」
という大ブーイングを受けてしまった。髪は女の命らしい。私は、それほど大事なのかと竦み上がってしまった。
仕方がないので束ねて後ろで縛る、ポニーテールという髪型にしている。首筋がすっとするので涼しくて気持ちいい。
水鏡で見てみればまさしく馬の尻尾であり、上手く言ったものだと感心してしまった。
服装はお姉ちゃんのお古のワンピース。ところどころボロボロになってはいるが、仕上げが丁寧なためか少しの修繕で十分だった。
お母さんが作ったもので褒めると自慢げにしていた。
ハイハイからのつかまり立ちを経て、自分の足で歩けるようになった。やはり、他人に抱きかかえられてしか移動できないというのは不便である。初めて一歩進んだ時の感動は忘れられない。
両親とお姉ちゃんは歓喜の表情で祝ってくれた――何せお父さん以外は私が初めて立った時を見られなかった――が、一番喜んでいたのは何を隠そう私自身である。
数歩しか歩けなかったのも今は昔。三歳になった今ではかなり行動範囲が広がった。村の中ならば大体自分の足で行けるだろう。
――その度、お母さんに心配されてしまうのは困ったものだが。
少しぐらい信頼してくれてもいいだろうと思うが、母親にとっては危なっかしいものらしい。
同じ年ぐらいのお姉ちゃんは出かけていたじゃないかというと――何故かとても驚いた顔をされたが――あれはカインと一緒だから許されていたらしい。
あのガキが? と言いたくなったが、流石に叱られるのは容易に想像できたので口にはしなかった。
肉体的には成長した一方で、魔力に関しては一切成長しなかった。相変わらずすっからかんである。
食事の後など、魔力を体内へ摂取した感覚はあるのだがすぐにどこかへ掻き消えてしまう。本音を言えば、もう諦めている。
さて、私が今どこにいるのかというと、家の裏の小さな広場である。
この村は森に囲まれている。そのため、子供の遊び場といえる場所が少ない。森の中には魔物が出没するのである。お父さんが連日狩りへ向かうのもこのためだ。普通の子供が向かえば餌食となるだけだろう。
私の目の前ではお姉ちゃんが「うぬぬぬ~」と唸っている。
少し前までは日課である木剣の素振りを行っていたのだが、今はそれを地べたに放り出し魔術の訓練中だ。
私は普段巻き割りに使われている切り株に座り、お姉ちゃんを見ていた。普通の子供なら花を摘んだりして遊ぶのだろうが、残念ながら私はそういうものに興味はない。
私が三歳なのだから、当然三つ上のお姉ちゃんは六歳である。
六歳になった彼女は、お父さんから剣術を、お母さんから魔術の指導を受けている。――本来ならば、生活用魔法以外は六歳になるまで教えるつもりはなかったらしい。
しかし、両親からお転婆と評される姉である。カインと一緒に、親に隠れて剣術と魔術の修業を自主的に行っていたのだ。結果、六歳になるまでに下位魔法を自力で習得してしまった。
よって現在は中位魔法を勉強中というわけだ。
これは――相変わらず私の時代基準でだが――恐るべきスピードである。中位魔法とは、凡人であれば二十歳を超えたあたりでようやく習得できるものである。それも、しかるべき教育を受けて。
それを六歳で学ぼうというのだ。その上、お姉ちゃんの下級魔法は独学である。本人が言うには、お母さんの部屋にあった魔術書を盗み見て覚えたらしい。
幼児が識字できることも驚きだが、それ以上に魔術書のレベルに驚愕する。幼児にすら理解が可能なレベルまで噛み砕かれているとは、どれだけ現代の魔術研究は進んでいるのだろうか――。
私も拝見したいものだが、姉の件を受けてお母さんの魔術書の管理が厳重になってしまった。残念ながら盗み見るのは難しいだろう。
「あ~もう! 出来ないよ~!」
何度も何度も魔力を練り上げては霧散するのを繰り返し、お姉ちゃんが弱音を上げた。
お母さんから指導を受けてはいるものの、家事の合間なので指導時間は多くは取れない。結果、一人での自主練となっているわけだ。
お姉ちゃんは癇癪を起こしそうだった。地団駄を踏み、目じりには涙が浮かんでいる。
見かねて、私が声をかける。
「お姉ちゃん。もう一度、やってみせて?」
助け舟を出してやろうという腹だ。
「うう~、妹の前で失敗ばかりなんて、格好悪いよね……」
「そんなことないよ。少し躓いているだけで、きっとうまくいくよ」
宥めながら、内心苦笑する。
――これではどちらが姉なのやら。
お姉ちゃんが魔力を練り始めるのを確認すると、【魔力視】を行う。【魔力視】とは【魔力検知】をより強力にしたもので、くっきりと魔力の流れを視認することが出来る。その分、視野が狭くなり、多くの対象を確認するのは不便なのが難点だ。
お姉ちゃんの前に、リンゴの果実ほどのサイズの小さな袋のようなものが形作られ、魔力が流れ込んでいく。そのまま一杯になるが、供給は止まらない。結果、袋の許容量をオーバーし、破裂した。
それと同時に魔力が霧散し、お姉ちゃんは大きく肩を落とす。
「ね? 全然上手くいかないの。魔力が足りないのかなあ……」
ふむ。
決して魔力不足ではない。
基本的に魔術というのは魔力を使って発動するものだ。だが、その前に外部へ放出する必要がある。
そして放出されたマナに何らかの方法で指向性を与え、炎や雷へと変換する。
お姉ちゃんの前に現れた袋というのは、指向性を与えるまでの間、魔力を保管するためのもの。これも魔力によって作り上げられた不可視の存在である。私は『プール』と呼んでいる。
残念ながら、私以外に見える人に出会ったことがないので、頭の中で情報を整理する時にしか使わないが……。
さておき、何故お姉ちゃんの魔術が失敗するのか。
それについて説明してあげようと思う。
とその前に
「あ、くれるの? ありがとう」
私はお姉ちゃんに赤いフーセンの木の実と手渡した。
フーセンの実は背の低い木になるため、私の背丈でも十分手が届く。甘味よりも酸味の強い果実で、水分を多量に含んでいる。普段はジャムやソースにして食べるのだが、運動後の渇きを癒すには適当である。
――実のところ、用があるのはフーセンの木の実を包んでいる皮なのだが。
まあ、フーセンの味は嫌いではないので口の中に放り込んでおく。もう少しすれば昼食の時間になるのだが別腹だ。
私は十分に味わい、咀嚼する姉へと声をかけた。
「お姉ちゃん、見ててね」
私はフーセンの皮を軽く握ると、大きく息を吹き込んだ。
みるみるうちに膨らんでいき、パンパンに張りつめた。
フーセンは中々特徴的な木々である。
果実自体は平凡なのだが、それを包んでいる皮は非常に柔らかく伸縮性に富んでいる。実が成長するうちに垂れていき、最終的に自重で地面へと落下し種子を飛ばすためらしい。
脆いのが欠点ではあるが、防腐加工を施せば素材としての価値も高い。遭難した旅人が簡易的な水袋として使用することもあるようだ。
子供の遊び道具としても使われることも多い。空気で膨らませるとよく弾むからだ。
蹴ったりすれば当然破裂してしまうが、手でぽんぽんと弾く分には問題ない。
「ん~、アリシアが自力で膨らませられるようになったのはすごいけど、それより魔法だよぉ」
むむむ、どうやらふざけていると思われてしまったらしい。
心外である。
「違うよ。これが、魔法を使うときに大切なことなの」
「大切なこと?」
頬を膨らませる私に仕草で謝りつつ、お姉ちゃんが聞き返す。
「そう。魔法を使うときに、まず魔力を一か所に集めるでしょ? イメージして。このフーセンが魔力を集める場所、そして今吹き込んだ空気が」
「魔力、ってこと?」
正解である。
身びいきかもしれないが、我が姉は中々聡明だと思う。
「うん。で、今までお姉ちゃんがやってたのは――」
ここで言葉を切って、大きく息を吸い込む。
そしてフーセンの皮にもう一度口をつけ、精一杯吹き込んだ。
更に膨らみ続け、許容量を超えたフーセンは「パン!」と大きな音を立てて破裂した。
「ふぁぁっ」
それは耳元では予想以上に大音量で、つい間抜けな声が出てしまった。
少し頬が熱を持っているのを無視して、小さく咳払いをする。
「ごほん、これがさっきまでのお姉ちゃんの魔術。中に入ってた空気は全部どこかに行っちゃったでしょ?」
「うん……、なんとなくわかった。最初に魔力を集める場所を、もっと大きくしなきゃダメってことだよね?」
今回の場合は正解である。
もちろん解法はこれだけではないが、他の方法は難易度が高く暴発の危険性もある。お姉ちゃんにはまだ早いだろう。
とはいえ、上達スピードの速さを鑑みると、そう遠くないうちに試すことになると私は感じていた。
「じゃあ、やってみる!」
お姉ちゃんは、ほっぺたをぱちんと叩いてから集中し始めた。
「最初は大きく……最初は大きく……」
ぶつぶつと呟きながら魔力を練りこんでいく。
私も【魔力視】を使い、流れを見守ることにした。
「大きく……大きく――」
「って、ええ!?」
軽いトランス状態に陥っているお姉ちゃんには、私の素っ頓狂な声は届かなかったらしい。
集中力は素晴らしいのだが……プールが巨大すぎる。
私のイメージとしては、せいぜい鉄鍋ほどの大きさだった。
事実、それだけあれば中位魔法を発動させるには十分である。むしろ余裕があるほどだ。
しかし、姉の作り上げているプールはどうだろう。単位にして9メル――直径が私ほどあるのだ。
「ちょっと、大きすぎると思うけど!」
静止の叫びは届かない。
中位魔法を発動するにはもう十分な魔力量が注がれているのだが、それを超えて現在のプールが一杯になるまで加えられていく。
限界ギリギリまで魔力が蓄えられたとき、閉じられていたお姉ちゃんの眼が開き――
「清廉なる水よ、弾丸となり、我が敵を打ち払え! 【水流破弾】!」
魔力全てが水へと変換され、圧縮される。攻撃の指向を与えられた水流は、命じられるまま円錐へと変形し、加速した。
広場に破壊音が響く。
私が目を向ければ、そこにあったのは、根本だけを残した元フーセンの木だ。大きく穿たれたそれは、破壊に耐え切れず、跡形もなく消し飛んでしまっていた。
「……お姉ちゃんのバカー!」
少し風通しのよくなった広場に、私の罵声が木霊した。
ちなみに人間界には現実世界同様雀とか林檎とかあります。
二つの世界が混ざった結果、カオスなことになってますが。
1メル=0,1メートルぐらいを想定してる架空の単位です。