四十五話 まおうさまと だいまじゅつ
船上には大量の氷像が乱立していた。
まるで生きているかのように精巧なそれ――茶番はやめよう。これはかつての生者、そして数瞬前までの不死者である。
私は水の魔術を使い、一定の高さに触れた者全てを凍てつかせる霧を発生させた。
それが不死者を凍らせたのだ。
最初は炎の魔法を使おうと思ったのは秘密。もしそんなことをしていれば、引火し大惨事になっていたかもしれない。
幸いなことに、雨水のおかげで発動は容易だった。
わざわざ水を生み出す手間を省けたのはありがたい。
「な、なにしやがんだ!」
情けない声を上げたのはピトー。
直前まで憎まれ口を叩いていた彼だが、明らかに異常な雰囲気を感じたらしく、凄まじい勢いでしゃがみ込んでいた。
私としてはあのまま巻き込まれてくれても良かったのだが。
彼とその兄を含む少数の生存者は、頭を抱え震えている。寒さのためか、眼前に迫った死の恐怖のためか。
どちらともかもしれない。
一方、私は焼けるように熱い右手を抑え込む。
いつぞやと同じ現象である。
確か、レミングは手の甲に痣のようなものが浮かんでいるとか言っていたな。
恐る恐る確認すれば、剣を象った痣が確かに存在している。
――が、すぐに消滅。
それと同時に痛みは引いていった。
――なんだそれは。意味が分からん。
兎も角、折角不死者を駆逐したのにまた増えられても敵わない。
「とっとと下がれ! ここにいられても邪魔だ!」
痣のことは捨て置くことにした。私は一括し、彼らに退却を促す。
しかし
「ふざけんな! 不死者が消えたんだ! こんどはあのふざけた『霊竜』をぶっ殺してやらぁ!」
「この状況、逃げるって選択はあたしたちにないの。……なんで魔法が使えるのかはわからないけど、それは後で聞くわ」
だそうで。
先ほどまでの怯えはどこへ消えたのか、ピトーは剣を振り上げ吠えた。
一方、ゴルトーは渋々といった様子。
……不死者に追い詰められておいて、どうやってその上位者である『霊竜』とやらに立ち向かうつもりなんだ? 時間があれば問いただしたいところ。
まあ、露払いと弾除け程度にはなるか。
本人たちも本望だろう。
「俺もついていく」
リゼルグの決意は固いようだ。
もし嫌がっても連れて行くが。こいつだけはいてもらわないと困る。
「……」
グドンは……正直沈んだらもう二度と戻ってこれなさそうだし、大人しくしてて欲しい。
だが戦斧を構え、猛烈にアピールしてくる。
――再び大きな衝撃が船体を襲った。
恐らく『霊竜』だろう。
問答している時間はなさそうだ。
「仕方ない。行くか」
私たちはセイレーン号右舷の方向へ向かうことにした。
◆
「あれが『霊竜』……」
下半身を海面に浸したその魔物は、竜というには歪すぎる形状だった。
細長い長方形からいくつもの管が生えていて、そこからは禍々しい煙が排出され続けている。これが瘴気というものなのだろう。
恐らく魔力と同じ性質を持っていて、死者の魂を侵し不死者へと作り変える。
唯一竜らしいといえるのは、申し訳程度に長方形の先端から生えた首。
まるで子供だましの細工のような竜の頭である。
元より期待はしていなかったものの、『霊竜』の姿は完全に見覚えのないものだった。
「――!」
『霊竜』の眼差しが私を捉えた。
と同時に、甲高い嘶きが響き、一斉に管がこちらへと襲いかかる。
「ハァ――!」
それを薙ぎ払ったのはグドンの戦斧。
重鎧を身に着けているというのに、驚くべき跳躍力で打ち払っていく。
しかし、私にとってはそんなことより衝撃があった。
「グドン、お前喋れたのか……」
「そんなことを言っている場合か!」
リゼルグに叱咤されてしまう。
掛け声とはいえ彼が私の前で声を発したのは初めてだというのに。
が、反論の時間はない。再び管の第二陣が私たちを襲ったのだ。
「炎よ! 立ち塞がるものを、滅却しろ!」
リゼルグの低い声が響く。
更に長々とした詠唱が続く――が、それに反して集まる魔力量は小さい。
「――【炎弾】!」
……下位の炎魔法だった。
あっさりと管に攻撃は弾かれ、虚空へと消えていく。
「俺に任せなぁ!」
「リゼルグは次元魔法以外駄目なんだから……」
ピトーは下卑た笑い声をあげると突貫し、ゴルトーが追随する。
殆ど片づけたのはピトーだが、第二陣も問題なく打ち払われた。
――では、そろそろ行こうか。
魔封じの腕輪に貯めこんだ魔力、全てを解放し、私は高らかに呪文を紡ぐ。
「唸れ雷、叫べ稲妻、鉄槌の前にひれ伏せ!」
私の腕のあたりでパリンと何かが砕ける音がした。恐らく、腕輪の宝玉だろう。
急激な魔力の流動の前に、腕輪は耐えられなかったらしい。
が、それに構っている暇はない。
詠唱を続ければ、雨雲が『霊竜』の頭上に集まっていき、重低音が轟く。
「――【雷神】!」
風の最上級魔術である。
雨雲から幾重もの雷撃が現れ、『霊竜』をも超えるほどの金槌を形作っていく。
それがセイレーン号を超えるほどの大きさになったところで、私は振り下ろした。
――極光。
――それから少し遅れての轟音。
視覚と聴覚。
その全てを塗りつぶす一撃。
海面の爆ぜる音が聞こえてくる。
恐らく、残滓が通電したのだろう。
残念ながら、腕輪に遺された魔力では完全な最上級魔術は発動できなかった。
それほどまでにあれは魔力を喰う。
そのため、私は【氷霧】同様、地形を利用することにしたのだ。
若干の減衰はあったはずだが、威力は十二分。
少なくともグドンたちの戦いを見たところ、この『霊竜』、大した戦闘力はない。
推測だが、一部の能力に特化したタイプなのだろう。
だからこの一撃で十分。
――そのはずだった。
「――!」
視界の回復した直後。
響いたのは最初に聞いた嘶きだった。
「なっ……」
眼前にいたのは、体躯の九割以上を失い、頭だけになりつつも未だ蠢き続ける『霊竜』の姿。
周囲の瘴気を吸い込むと、傷が再生し始める。
「……なるほど。塵も残してはいけない相手だったか」
私は腕輪を失い軽くなった右手を振るうと、薄く笑う。
再び右手が熱を持ち始めている。だが、そんな痛みはどうでもいい。
なぜなら、今の私を支配するのはどうしようもない高揚感だったから。