四十三話 まおうさま せきにんをとる
リゼルグとの協定交渉(脅迫)の翌朝のことだった。
「そろそろ来るよ」
ウィンディがそう呟くと、船が大きく揺れだした。
……これが嵐というものなのだろうか。
随分と揺れる。
めきりめきりと上層の方から木が拉げる音がして、直後に振動が私たちを襲った。
「こ、これ沈むんじゃ……」
ティニーが震えている。
無理もないだろう。明らかな暴力がこの船を襲っていた。
「大丈夫……よね?」
リリアも不安げ。ミミーナに至っては、蜷局を巻いて縮こまってしまっている。
本人いわく、海というより塩水が苦手なのだとか。
現在のセイレーン号は、水面の木の葉のようなもので、ただ荒れ狂う大波にもてあそばれるだけ。いつ沈んでもおかしくない。
流石の私もそんな錯覚に見舞われる。
「ウィンディ。これが嵐なのか?」
「いや……多分違うね」
詳しそうなウィンディに近づいてみたところ、きっぱりと否定されてしまった。
天恵はどうしたんだ。
「どちらかといえば、それに加えての攻撃が原因だと思う」
「なるほど」
言われてみれば海にも魔物がいるのは当然のこと。
今までは接敵しなかったのか、船員たちが対処していたのか。現実的に考えれば後者だな。
さて、嵐を起こせる規模の魔物となれば、クラーケンとリヴァイアサンぐらいしか思い浮かばない。
クラスとしてはどちらも上の上。
まあこの船ぐらいならあっさりと木端微塵に出来るはず。
他には魔族区分であるが嵐竜。
若いドラゴンは調子に乗って暴れがちである。力試しがてら、船や城といった巨大な建造物を狙うのだ。恐らく親の教育がなっていないのだろう。
もしそうであれば、レミングたちのパーティでも厳しいか。
陸地で同等。足場の悪い船上であれば十中八九全滅だ。
流石に沈めば私もろともリリアやリルたちも死ぬ。
仕方ない。魔力は節約したいが助けに行くか――
と私が重い腰を上げたところ
「――お前たち、早く逃げろ!」
リルを抱えたグドンとリゼルグが飛び込んできた。
◆
「なんだ、リゼルグか。昨日の話、考えてくれたか?」
「それどころじゃない! この船はそう遠くない未来に沈む。こんな下層にいたら死ぬぞ!?」
「随分と大慌てな様子だが、どうやって逃げろというんだ」
ここは大海原。
残念ながら私たちに羽はなく、泳ぎ切るだけの力もない。
全員を【格納】に入れて飛翔魔法で陸地を目指すという選択肢もあるが
「俺にそんな長距離を飛ぶ魔力はない」
だそうである。
私も少し厳しい。
そもそも方角がどちらかわからないのも痛い。
「逃げろというが、策はあるのか?」
「お前の言ったのと似ている。【格納】にリルやお前たちを入れて飛翔魔法で敵から逃れ漂流する――十中八九死ぬが、奇跡が起きれば生き残る。こんな下層で溺死するよりは数段ましだろう」
「うーむ……」
正直、生存率は大差ないと思うが。
まあ、否定はしないでおこう。
「【格納】と似たような魔法はないのか? 例えば転移するものとか」
「あるにはあるが、短距離しか無理だ。精々、百メルが精一杯で多用は出来ない」
「ゴルトーたちは?」
「あいつらは頭に血が上ってやがる。戦うつもりらしいが、勝てるわけがない。相手は『邪竜』の一角だぞ……」
ふむ。
血気盛んなのを止める必要はない。それに、実際私も一番正しい選択肢だと思う。
にしても
「『邪竜』? 十年以上前に滅んだんじゃなかったのか?」
それともリリアたちから聞いた情報が間違っていたのか。
「俺もわからん。だが、間違いなくあれはそうだった。一度だけ見たことがあるからな。『霊竜』……知っているだろう?」
以前ティニーの話に出てきた記憶がある。
瘴気により不死者を生み出す『邪竜』だったか。
お父さんが倒したはず、らしい。
「不死者創造者が不死者になって帰ってきたということか。ふざけた話だ」
――状況はあまりよろしくなさそうだ。
目的がある以上、みすみすと殺されるわけにはいかない。
ならば一番生き残る確率が高い選択肢を取るべきだろう。
「仕方ない。私が行く」
「馬鹿かお前は? 勝てるわけがないだろう。例えお前の父親が――」
「なんだ、知っているのか」
急いで私はリゼルグの言葉を遮った。
ティニーに知られたら厄介だし。
ふむ。
言われてみればそのあたりも関わってくるか。
「それもあるな。お父さんの仕留めきれなかった相手なら、責任を取らなければ」
「親はどんな教育をしてきたんだ……」
――お母さんは、身内の不始末は連帯責任と教えてくれた。
なら、私が片づけるのが道理である。
「言っておくがリゼルグ、お前の策は成り立たない。捕縛の足輪がある以上、私たちはこの船から出られない。漂流するにしても――特にリルには――体力がない。助けを待つ相手に死ぬだろう。つまり、打ち破るしかないんだ」
まあ、一部誇張が入っている。
足輪なんて壊してしまえばいいわけだし。
だがリゼルグには効果的だった。
彼は私を連れて行かねば娘の薬は手に入らないし、その過程でリルが死ねば本末転倒である。
「本気で勝てると思ってるのか……?」
信じられない。
そんな心情が丸わかりで間抜けな面をするリゼルグに
「安心しろ。塵も残さない」
私は不敵な笑みで応えてやった。
◆
「これは酷い」
看板に出た私が見た光景は中々凄惨だった。
夥しく流れた血が、赤一色に染め上げている。
それ自体はどうでもいいが、戦況がよろしくない。
「くそがッ! 楯突くんじゃないわよ!」
甲高い罵声が響く。
恐らく指揮をするゴルトーのものだろう。
てっきり私は船員たちが『霊竜』と戦っているのかと思っていたが、それ以前の問題だった。
船員と戦っているのも船員――のなれの果て。
不死者と化したかつての同胞同士で殺し合っているのである。
噎せ返るような死臭を前に、私はため息をつくと
「こうも数が多いと気が滅入るな……」
とだけ呟いた。