四話 まおうさまの ふくしゅうは しっぱいしました
二つ目は、この世界の現状について。
予測していない状況で聞かされた事実は、私のアイデンティティを大きく揺るがした。
◆
「眠れないよ~」
「シンシア、貴女ももうお姉さんなのよ?」
一か月ほどが経過したのだろうか。どんどん時間の感覚があやふやになってきているので、自信がない。
クリスたちが訪問した次の日以降、大勢の村人たちが押し掛けたため、本当に大変だった。頭を撫でたり、掌を擽られたり。毎日毎日、来客の対応を――私は寝転んでいただけだが――していると気疲れしてしまった。
まあ、これもエイベルたち夫婦が村長として、村人に慕われているためなのだろう。肯定的に受け取っておく。
「寝る前のお話して、お母さん!」
さて。私は相も変わらず寝室にセシリアとともにいるが、いつもと異なることが一つだけあった。
普段は二人だけのベッドの中に、シンシアも潜り込んでいるのだ。
セシリアを挟み、私とシンシアが川の字になって寝ていた。それでも問題ないぐらいこのベッドは広い。
私が普段過ごしているこの部屋は夫婦の寝室で、少し前まで両親とシンシアの三人で寝ていたらしい。
しかし、私が産まれてからはエイベルとシンシアは隣の部屋――将来的に子供部屋にする予定だとか――で睡眠をとっていた。
最初は「お姉ちゃんだから!」と張り切っていたシンシアだが、一か月もしないうちに母恋しさに負け、こちらにやってきたというわけだ。
ちなみにエイベルは変わらず隣の部屋で一人である。
「なら俺も――」
と言い出したところを
「狭いから駄目よ。寝返りでアリシアを潰してしまったらどうするの」
などと一蹴され、肩を落としていた。
――私としては一人で寝かせられても大丈夫だし、家族三人で過ごしてもらっても構わないのだが……。
もちろん伝える手段があるわけもなく今に至る。
「んふふ、お母さんの匂いだ~」
間にセシリアがいるため、私にはシンシアの姿は見えない。とはいえ、彼女が蕩けるような顔をしているのは容易に想像がつく。
――シンシアの母親をとってしまったようで、申し訳ないな。
と、私の方がまるで姉のようなことを考えているのに気づき苦笑する。
そう、私はこのお伽噺を聞くまでの間、本当に余裕をもって接していたのだ。
◆
「昔々、あるところに勇者様と魔王がいたの」
セシリアのおっとりした語り口につい私まで眠りに誘われそうになる。
彼女たちが人間族である以上当たり前なのだが、勇者に様がついて私が呼び捨てなのは複雑だ。
――って昔?
予定では私が転生するのは数十年のうちのはずだ。
そうでなければ勇者が老衰で逝ってしまう。ヒトの寿命は百年もないと、人間族の中で最も短いのだ。
「昔ってどのくらぁい?」
私の疑問を代弁するかのようにシンシアが問う。
「もうすぐ二千年前になるわね……」
――はあ!?
おいおい。
死んじゃってるじゃないか勇者。
本当だとすれば、『転生の秘術』は半分しか成功しなかったことになる。記憶だけを引き継いだまま、本来の輪廻転生を行った形だ。
「そのころは、人間界と魔界という二つの世界が存在していたの」
私の内心を知るはずもなくセシリアが続ける。
いや、私の困惑は加速する。
――していた!?
「この世界は双星界というのだけれど、それが出来るまでのお話ね」
――双星界? 出来るまで?
荒ぶる心情を表に出さないよう必死に務める。
もし私が泣き出しでもすれば、この話は中断されセシリアは私にかかりきりになるだろう。そうなれば、疑問が募るまま終わりになる。この機会を逃せば次、いつ聞けるかもわからないのだ。
「人間界と魔界は隣り合って存在していたの。本来なら交わるはずのない世界だけど二千年前は違った。魔界から人間界へ、魔族と魔物が押し寄せてきたの」
事実である。
そして先導をしたのは私、魔王だった。
「そんなのひどい!」
シンシアは幼いながらも懸命に理解し、憤慨していた。
確かに彼女たち人間からすれば災難でしかないだろう。しかし、私たちにも事情があったのだ。
「人間族も抵抗したのだけれど、魔族たちには敵わなかったわ。いくつもの国が支配され、このままでは人間たちも滅んでしまう――」
私にもシンシアが息をのむのが伝わってくる。
「でも、私たちはここにいるよっ!」
「うん、そうね。……絶体絶命のそのとき、天使様が現れたの」
天使――その名前に苦々しいものがこみあげてくる。
やつらは魔界に突如現れた。そして人間界を攻め込むよう示唆し、その裏では人間に協力し、勇者へ神器を与えていたのだ。
「天使様は人々に神器――すごくつよい武器のことよ――とお力を与えくださったの。それを受け取った勇者様とその仲間たちは戦ったわ」
ここからは勇者の英雄譚がひたすら続いた。
占領していた魔族を退治し、人々を解放する。破竹の快進撃により、戦況は大きく変化していた。
その理由の一つに、魔族たちが無碍な破壊や殺戮を行わず、占領されたはずの各国の機能の回復が早かったことがあげられる。
私が命令を徹底していたからだ。
「戦いの末、勇者様たちは向かったの」
「うん……」
シンシアの眠たそうな声に私は焦った。
――寝るなっ! お前が寝たら話が終わってしまう!
運のいいことに、語ることに集中しているセシリアが意に介したそぶりはなかった。
「魔界の魔族たちを退け、勇者様たちはついに魔王のもとへと辿り着いたわ」
魔王との決戦――そして私の敗北。
思い出すだけで忌々しい記憶だ。
「戦いが終わって、天使様が現れたとき、勇者様は尋ねたの。『どうして魔界は私たちの世界へと攻めてきたのだろう』って」
一端、セシリアは言葉を切ってまた続けた。
「天使様は『人間界と魔界、二つの世界は世界の均衡が崩れ始めていた。もう数年もすればぶつかり合い、両方が消滅しただろう』――そうお答えになったわ。
勇者様は驚いて訊いたわ。『まさか、魔界が攻めてきたのは?』って」
そう、私たち魔界の目的は人間界の『星の核』だった。
人間界を無暗に破壊しなかったのもそのため。『星の核』を破壊してしまえば、どうせ世界ごと滅びてしまうのだ。虐殺など無駄なだけだ。
「勇者様は魔王を止めることが出来れば、魔界とも仲良くできるって信じてたの。でも違った。
数えきれない命が消えることを良しとしなかった勇者様は――自分の命を犠牲にし、二つの世界を一つにしたの。これが『双星界』が生まれるまでのお話……今では人間族と魔族が暮らしているわ」
ここまで言い切って、セシリアはシンシアに目を向けた。
「あら、寝ちゃったみたいね……」
ふぁ~あとセシリアも欠伸をして――ケタケタと笑い出す私にびくりとした。
――二つの世界を一つにだと?
――そんな、新しい世界を作り出すような所業が可能だったというのか?
――私が、私がどれだけの手を尽くしても不可能だったというのに?
は、はははは……。
私のしてきたことは、なんだったのだろう。
勇者を憎み、転生してまで為したかったことは――
負けた。
私は完膚なきまでに勇者に負けたのだ。
その日、私は生まれて初めて泣いた。
深夜にもかかわらず、大声で、わんわんと。
お母さんが狼狽え、飛び起きたお姉ちゃんが右往左往するのも構わずただただ泣き続けた。
そうでもしないと感情を処理できないほど空虚な気分だったのだ。