三十九話 まおうさまと ろくにんめのしょうじょ
奴隷部屋に戻った日の夕食のこと。
私は、グドンが夕食の配膳後、台車を押していく方向がおかしなことに気づいた。
彼は、リゼルグと共に部屋から出て右に向かう。
船長室に向かう際知ったのだが、船員たちの食堂は左にあるはず。
台車と食器を持っていくのならあちらへ行くのはおかしい。
近くにいたウィンディに訊いてみると
「あれー、気づかなかったの?」
と意外そうな反応だった。
「すまない、どういうことだ?」
「いつも彼は台車を向こうに持っていくよ。それから少しして、食堂へ戻ってくる。ずっと前から毎食この繰り返しだね」
「……全然気づかなかった」
ウィンディは少し考え、ぽんっと手を叩く。
「ああ、そうだ。彼らが現れたのはアリシアが来る少し前だったからね。それまでは、すぐ左の方に向かってたんだよ。だから僕は気づいたんだ」
「ふむ……」
先ほど、台車の上には一皿だけ手つかずのものが乗っていた。
大の男が二人で一皿を分け合うということはないだろうし、それをするにしても食堂で食べればいい。
考えられるのは――
「誰かもう一人いるのか……?」
上手くいけば、リゼルグの弱みを握れるかもしれない。
私はほくそ笑むと、早速行動に移すことにした。
◆
食後、私は船員に頼み込み、船長室へと連れて行ってもらった。
流石に一人では迷いそうだったからだ。
そして今、私はゴルトーの前にいる。
「あら、アリシアちゃんじゃない……大丈夫なの?」
「誰かに会うたびそう言われている気がする」
「それはごめんなさいね。どこかの怖いお兄さんが無茶苦茶するんだから……」
しなを作り言うゴルトーに、私は少し困惑を隠しきれない。
弟の件について報告されていないのだろうか。
……藪をつついて蛇を出す必要もない。
様子を見るに、恐らくピトーは生きてはいるのだろう。
「今回は頼みがある」
「頼み? ま、リゼルグの代わりに聞いてあげてもいいわよ。あなたに付けた魔道具を外す……なんてのは無理だけどね」
意外と太っ腹。
ならば遠慮はしない。
「船内を自由に出歩く許可が欲しい。もちろん、奴隷部屋のある階層だけで結構だ」
「ふぅん……どうして?」
「船室にずっと閉じこもっているのも退屈してきた。それだけでは不十分か?」
ゴルトーは口元に右手を持っていき、少し考えこむようなそぶりを見せた。
そして
「良いわよ。そのための捕縛の足輪なんだし」
捕縛の足輪――船に乗り込んだ時つけられた、結界外からの移動を禁ずる魔道具のことだろう。
「その代り、おかしな真似をしたら船員に捕まるわよ? そのあとはリゼルグに【格納】してもらうんだから」
「わかった。では、許可はとったぞ」
――あの空間にいきたければおかしなことをすればいいのか。
私は頷くと、礼を告げ、船長室を後にした。
◆
翌日。
朝食のスープを飲み干すと、私はリゼルグとグドンの跡をつける。
リリアたちも同行したがったのだが、許可を取っていなかったので今回は断らせてもらった。
「もう少しで港に着く。そうすればここからおさらば。少なくとも、こんな仕事も終わる」
「……」
幸いというべきか、二人の話声に加えてガラガラと台車の音が響くので私の存在には気づかれづらい。
時たますれ違う船員には、しーっと指で口元を抑える仕草で黙ってもらうよう伝える。ゴルトーから連絡が徹底されているのか、気にする者もいなかった。
リゼルグとグドンの雑談――片方がだんまりでもそういうのかは疑問――が聞こえる以上、車輪の音は話声を阻害するほどでもないのだ。
そして、リゼルグたちが部屋の中へと消えるのを見届けると、一端別の部屋に戻り、隠れる。
ピトーを昏倒させたときにリゼルグと話した部屋だ。
……再び、部屋の外を台車が通過した。
それにしても騒がしい台車だ。扉を介してでも聞こえてくるとは。
ガタが来ているのかもしれない。どっかの誰かがよく蹴飛ばしてそうだし。
「行くか……」
呟くと、私は先ほどリゼルグが入った部屋へと向かうのだった。
◆
「あなたはだぁれ?」
私を出迎えたのは少女だった。
ベッドの上で身を起こし、スープを膝の上に置いている。
「私はアリシア。君は?」
見た感じは私とそう変わらない年齢のようだ。黒髪なのも同じ。
ただし目は藍色で、肌は少し黒い。
彼女は、とろんとしたたれ目で私を見つめていた。
そして舌足らずな口調で問いを続ける。
「あたしはリル。どうしてこの部屋に来たの?」
「ええと……」
正直に言うわけにもいかず、少しどもる。
――まさか子供がいるとは思わなかったな。
そうか。
ようやく思い出した。
いつぞや、リゼルグには子供がいると言っていた記憶がある。それが彼女か。
道理で私たちと待遇が違うわけだ。
「リゼルグに頼まれたんだ」
「お父さんに?」
「遊び相手が欲しいと言っていた」
「本当!?」
リルは顔を輝かせ、身体を身じろぎさせる。
その振動でスープが零れそうになり
「落ち着け!」
私は宥める羽目になる。
「とりあえず、まずは食事を取ってからにしよう」
「えーっ」
彼女は一変して嫌そうな顔。
この年代の子供とは、これほど感情の振れ幅が大きいものなのだろうか。
「いっつもここのご飯、冷たくて美味しくないの。もう、いやになっちゃう」
見れば、スープには脂が浮いてしまっている。
確かにあまり良い状態とは言えないだろう。むしろ食欲が減退しそうだ。
やはり金属製の薄い皿のため、熱して温めるわけにはいかないのだろう。
「しょうがない。貸してごらん」
私は彼女から器を受け取ると
「熱せよ――【荷電】」
詠唱し、一瞬で加熱した。
リルは、スープから昇る湯気を見て、驚きに目を瞬かせる。
「あったかい……!」
そして、スプーンで上品に一口一口飲み始めたのだった。
――これが一昨日、生み出した新魔術である。
大体の魔法は『魔王』であったころに探究尽くしてしまった。
そのため、着眼点を変えてみることにしたのだ。
前世で意識していなかったものに目を向ける。それがまず行ったことだった。
今回の場合は食事。
『魔王』の肉体は食事を取る必要がなかった。そのため、温度で味が変わるなどと知らなかったのだ。
焼き物や煮物、汁物は冷たいと美味しくない。
アリシアとして生きていて気づいたことの一つである。
さて、火を使わずに温めるにはどうすればいいか。
答えは簡単。
食べ物に残留した魔力に働きかけ、一部を熱へと変換させる。
基本的に、死骸に残る魔力はほんの少しなので、失われたとしても問題ない。
……私のような魔力を作れない場合を除けばだが。
兎も角、魔力が見える私だからこそ編み出せる魔術だった。