三十八話 まおうさま こうしょうする
引っ張り出されてみれば、そこは送られたときと同じ部屋だった。
感覚が少し狂ってしまっているが、すでに一日経過したのだろう。かびた様な匂いが少しだけ懐かしい。
「大丈夫か?」
「問題ない」
心配するリゼルグにそう返すと、不思議そうな顔をされた。
入れたのはお前だろうに。
――では、交渉開始といこうか。
「リゼルグ。お前の使っている呪文について教えてほしいのだが……」
「呪文?」
リゼルグは、魔法で氷嚢を作り火傷の跡に当てていたのだが、こちらを向いて怪訝そうな顔をする。
「【格納】……だったか。あの空間にアクセス出来れば便利だろう?」
「何に使うつもりだ……?」
警戒を隠そうともしない彼に、私はにっこり笑いかけて言ってやる。
「自分で入る」
「……は?」
「略しすぎたか? 自分を向こう側に送り込むんだ」
何故だか、頭を押さえられてしまった。
……何かおかしいことを言っただろうか?
「まさか、気に入ったのか、あの中が……」
「ああ。考え事をするには最適だと思う」
「――ありえん」
苦虫をかみつぶしたような顔とはこういうことを言うのだろう。
温度も快適だし、悪くない空間だと思うのだが……。
「お前は、自分で入ってどうやって出る気なんだ?」
「む……」
考えてなかった。
言われてみれば、二回とも外から引っ張り出された記憶がある。
確か、あの空間には扉のようなものは存在しなかったはず。
「ということは、自分が入ることは出来ないのか?」
「無理だな」
「手だけを入れるとかは?」
極端な話、身体の一部分さえ向こうに送り込めば魔力だけは吸収できるのだ。
「出来ないことはないが……何故俺はお前とこんな話をしているんだ」
ちっ……勢いのまま訊いてしまえればよかったのに。
心の中で悪態をつくと、改めて交渉に入る。
「で、教えてもらえないか? 一方的にとは言わない。こちらもお前の知らない魔法を提供しよう」
「教えるわけがないだろう」
「聞きもしないで否定するのか? 魔道士として興味がないはずがないと思うのだが」
「お前は自分の立場を理解しろ。囚人にそんな魔法教えて逃げられたらどうする」
悲しいかな、正論だった。
「そもそも、魔封じの腕輪はどうした? まさか、作動していないとは言うまい?」
「――そういえばそうだな」
一種の鎌かけだったのだろうか。
魔法が使えるとなれば監視の目が厳しくなりかねない。ここは否定しないでおく。
……火傷させた時点で、怪しまれるのは当然な気がするが。
「それで、どんな魔法を教えるつもりだったんだ」
「む……【格納】を教えないといいつつ、こちらのことは訊くのか」
少し理不尽な気もするが、まあ不愉快ではない。
もしかしたら興味を持つかもしれないし。
「いいだろう。一言でいえば、食べ物を温める魔法だ」
「何……?」
何故か、リゼルグの顔色が変わる。
「火を使う魔法か? そんなものならいくらでもあるだろう」
どこか抑える様な声。
興味津々なのが隠しきれていない。
「火は使わないな。確かに火を加えれば温まるが、器によっては無理だし、万遍なくは温まらない」
現に、私がこの船で使っている食器は薄い金属製のため、直接火にかければ柔らかくなってしまう。
耐久性を考えればあまりよろしくない。
それに、液体であれば混ぜることもできるが、個体であればムラが生まれる。
「……どういうことだ?」
「それを言ってしまえば取引にならないじゃないか」
お互いに探るような視線。
まあ、こちらは向こうが開示してくれれば躊躇せずに教えるが。
思案したリゼルグの答えは――。
「……教えられないな。それに、お前には使えない」
「どういう意味だ?」
私には――見た目に反して――培ってきた経験がある。
一方的に無理だと判断されるのは気に喰わない。
「いいからもう戻れ」
が、結局交渉は決裂。
私はリリアたちのいる奴隷部屋へと戻されてしまった。
◆
「大丈夫!?」
部屋に入ると、開口一番叫んだのはミミーナだった。
彼女は蛇の下半身で器用にこちらへと駆け寄ってくる。……駆け寄るという表現は正しいのだろうか? 疑問である。
兎に角こちらへと来た。私は右手を上げ挨拶をする様な形で
「問題ない。むしろ快適なぐらいだった」
と答える。
「そ、そうなの……? こ、怖いところだって聞いたけど」
お次はティニー。
心配していてくれたのだろう。祈るように拳を組み合わせ、こちらを向いて言う。
「いや、暗いところが怖い子供でもなければ大丈夫だと思うぞ」
「そ、そうなんだ……」
彼女は安心したのか胸をなでおろす。
「アリシア、酷いことはされなかったんだよね?」
ウィンディは――言葉に反してあまり心配していない感じがするな。
対照的。
まるで無事だとわかっていたみたいだ。
「ああ。私一人だったし、いい休息になった」
「強気だねえ。まあ、嵐が来る前で良かったよ」
「……嵐?」
天恵の力、だろうか。
問いかけたものの答えは返ってこなかった。
「なんか、あんたならそんな感じがしてたわ」
ため息をつきながら言うのはリリア。
一見、平静を装っているが……目元が腫れていた。
「……昨晩泣いていたね?」
「なっ!」
おどけてそう言えば、リリアの顔が真っ赤になる。
いつぞやのお返しだ。
一瞬の空白の後、私たちは笑いあい、雑談に興じたのだった。