外伝 とある誘拐犯の苦難
アリシアを向こうへ送った後、俺は奴隷用の船室へと戻った。
ぎろりといくつもの瞳が俺を睨み付ける。
ピトーは部屋の隅に放置されていた。
介抱された様子もない。……日ごろの行いの結果とはいえ、哀れな男である。
「アリシアちゃんはどこに?」
ラミアの女が言う。
まるで、親の仇を見る様な眼差し。
……俺はこいつらの名前を知らない。
これから売られる女の名なんて、覚えても胸糞が悪くなるだけだからだ。
こいつらも、俺のことを知らないだろうしお互い様だろう。
「反省室……のようなところだ」
そう答えると、今度はエルフの少女の番だった。
「アリシアに助けてもらったくせに……」
彼女は責めるように呟く。
「あいつにも同じことを言われた。これはあいつのためでもあるんだ」
俺がそう答えると、少女たちはどういうことかと問いかける。
あまり他の船員に聞かれたくない話題でもあるので、声を潜めて教えてやると、彼女たちの態度は少しだけ軟化した。
「とりあえず、俺はゴルトーに報告に向かう。巻き込まれたくなければ、お前たちは騒ぎ立てるな」
若干の脅しを含めそう言い放つと、俺はピトーの方へと向かった。
うつ伏せだったのでひっくり返すと左胸が上下していた。
……息はある。
死んでないだけ幸いだろう。別にこの男がどうなろうと構わないが、兄の方がうるさくなるのは困る。
「こいつは置いておく。アリシアによれば、三日は目覚めないそうだからな」
顔を見れば、全員が嫌そうな顔をしていた。
まあ、当然か。
「すぐに別室に移されると思うが、もし暴れだしたら叫べ」
それだけ告げると、俺は扉の方へと向かう。
積み荷の安全を考えればピトーを縛っておきたいぐらいだが、一応船員として扱われているので難しい。まだ未遂ではあったし。
……ちらりと目をやれば、台車の上の食事は冷め切っていた。
――はあ、今日は暖かいまま食べさせてやれなかった。
心の中でぼやくと、通りかかったグドンに台車を運ぶよう言づける。
そして、俺は船長室へと向かうことにした。
◆
ノックから了承を得て入れば
「あら、リゼルグから訪ねてくるなんて珍しいじゃない?」
相変わらず奇怪な服装をした奇怪な男が、奇怪な言葉づかいで俺に訊いてきた。
「まあな……。問題が起きた」
「何? 商品が脱走でも企てたの? そのぐらいしそうな子だったものね」
ゴルトーは悠々と爪の手入れをしている。
男のくせに何の意味があるんだ気持ち悪い。
「違う。お前の弟だ」
「ピトーの? また、何か?」
「また商品に手を出しかけた。いい加減、厳しく教育しろ」
ゴルトーはため息。
「はあ……。学習しない子ねえ。一匹仕入れるのにいくらかかってると思ってるんだか」
だが、爪から目を離すことはない。
「それで、あなたが止めてくれたの?」
「……いや」
「じゃ、誰が?」
「アリシアだ」
俺の言葉に、ようやくゴルトーはこちらを向いた。
「冗談が上手いわね。それとも、あたしが怒ると思った? リゼルグなら怒らないわよ」
当然の反応だった。
誰があんな幼子が大の大人を倒すと思うものか。
だが事実。
俺は何もしていない。ピトーを昏倒させたのはあの娘なのだ。
どうやったのか……俺には皆目見当がつかない。
魔封じの腕輪は正常に作動していたはずだというのに。
「信じても信じなくてもいい」
少し不貞腐れて答えると、ゴルトーはそれ以上何も言わなかった。
「ふーん……死んでないのよね?」
「一応、な。三日ほどは目覚めないだろう」
ただし判断したのは真犯人である。
責任は取りかねる。
「それで、件のアリシアちゃんはどうなったのかしら?」
「【格納】に突っ込んだ」
「……え?」
ゴルトーは信じられないものを見る目だった。
いや、侮蔑すら混じっていたかもしれない。
「うわ、あなた酷すぎ……」
「ちょっと待て」
彼の声色に非難が入り始めて、俺は慌てて弁明する。
「わかるか? 魔封じの腕輪があるのに、ピトーを無力化したんだ。ありえないだろう」
「はいはい」
信じていない。
むしろ、隠れ蓑にするため俺が嘘をついていると完全に勘違いされていた。
何故だかどんどん俺の株が下がっていく。
……別にゴルトー相手なら問題ないか。
「はぁ……兎に角、一日すれば出すから安心しろ」
「……それ、大人でも辛いわよ。ま、先方が文句言わないならどうでもいいんだけど」
こうして、俺とゴルトーの話し合いは終わった。
結局、ピトーへの処罰はなし。
未遂だから見逃すのだそうだ。やはり、この男は弟に甘い。
◆
そして、一日が経過した。
さて、俺がアリシアを【格納】に突っ込んだ理由は三つ。
一つ目は、反抗の意思を折るため。
昨日確信したが、あいつの能力は得体が知れない。
幼いのに可哀想だとは思うが、恐怖を刻み付ける必要がある。
二つ目。
ゴルトーの目を反らすため。
今のところ、本当にアリシアに首輪をつけているのか怪しい。
実は、野放しなのではないか? それも船ごと転覆させかねない化け物が。
俺には、そんな不安が拭えない。
もし、それをゴルトーが知れば、厳しく追及するだろう。
そして、組織を崩しかねない危険分子であれば、利益に目が眩むことなく容赦なく切り捨てる可能性がある。組織の長として、――弟への甘さを除けば――その程度の冷徹さは持ち合わせているのだ。
それに、アリシアのフルネームを知れば厄介なことになりかねない。
結局ゴルトーは信じなかったあたり、無駄になった気がするが。
そして最後。三つ目だ。
時間稼ぎのため。
こんな意味不明の相手の対処は生まれて初めてだった。
一晩経っても、どうすればいいかわからない。
もうすでに航海の半分以上が終わっている。一日でも早く、港に着くことを祈る……。
「……時間か」
俺は所定の位置に着き、呪文を唱える。
そうしてぽっかりと空いた穴に手を伸ばし――
「熱っ!」
軽い火傷を負わされた。