三話 まおうさま かいそうする
私が生まれてから数か月が経過していた。
その間にいくつか衝撃を受けた出来事があったので記しておこうと思う。
一つ目は姉であるシンシアとの邂逅だ。
◆
シンシアは三歳の娘で、父親譲りの銀髪に母親から碧眼を受け継いだ愛らしい少女だった。衣服は着古された粗雑な白いワンピースだったが、それでもどことなく高貴さを感じさせた。
が、私にとって彼女の容姿などはどうでもよかった。
もっとも注目を惹かれたのは彼女の魔力量だ。
両親の魔力量を受け継いだのだろうか。三歳とは思えないほどの量を秘めていた。流石にセシリアほどではないが、大の大人であるエイベルと同等である。年と共に成長することを考えれば恐ろしい娘だ。
シンシアは、直前まで自分を置いて行った不義理を父に追及していたのだが、私を見た途端、頬を緩め満面の笑みへと変わっていた。
そして、私へと手を伸ばそうとしたところで――
「シンシア、アリシアに触る前にちゃんと手を綺麗にした?」
「うん! でも、念のためもう一度きれいにしておこっと!」
セシリアに声をかけられ慌てて手をひっこめた。
「えーっと、『清浄なる水よ、清めたまえ。【洗浄】』」
シンシアが行ったのは魔術の詠唱だった。
瞬時に彼女の手を柔らかな光が包み、霧散する。
【洗浄】は水属性の下位魔法の一種だ。水により汚れを洗い流す効果がある。
下位魔法の中でも最も低級な――生活に便利なので生活用魔法と呼ばれる――ものなので、魔術の適正あれば誰でも使うことが出来るだろう。
しかし、三歳の子供が使うというのは異常である。
人間の中で魔力の扱いに長けるというエルフでさえ、まともに魔術を習うのは六歳からと聞く。
そもそも、魔法を使える人間はそう多くなかったはずだ。
――まさか、私が転生するまでの間、人間はここまで進歩したのだろうか。
私は目を丸くするしかない。
『転生の秘術』とは、本来ならば数千年規模で行われる魂の輪廻転生を強引に行い、本来ならば抹消される記憶を保持する魔術だ。
試したわけではないので確証を得ていたわけではないが、数十年程度で転生出来るはずだった。
短期間で高度な魔術教育を施すとは、人間恐るべし――。
とまで考え、他の可能性を思いつく。私の母であるセシリアに魔術の心得があり、英才教育を施したのではないだろうか?
そう考えれば説明がつく気がする。
私がシンシアに手を握られたり頬をつつかれたりと弄られていると
「セシリア様――いえ、セシリア。食事の用意が出来ましたよ」
言い直しつつアンナが入室してきた。
相変わらず甲高い声だったが、先ほどと異なり目覚めたばかりで機嫌のいい私は特に気にしなかった。
彼女の持つ大きなトレーは幾つかの皿が乗っていた。
白いスープに黒いパンという簡素なものだ。出来立てなのだろう。まだ湯気の上るスープからは食欲をそそる香りが立ち込めていた。
――先ほど初めて食事をしたばかりなのに、なぜそう感じるのだろう?
前世で魔族たちが食事をとる光景を目にしても、特にどうとも思わなかったのにだ。
これが生き物の本能というものなのだろうか……。
食欲という感覚に振り回され困惑していると
「あらあら、アリシア様ったら、物欲しそうに見つめておられますね」
「ふふふ、まだ早いわ。もう少し、私のお乳で我慢してね?」
などと女性二人に笑われてしまった。
――私はそのような顔はしていない!
とむっとして見せるのだが
「あたしもアリシアと早く一緒にご飯食べたいなぁ」
とシンシアが呟いただけで理解されることはなかった。
◆
誕生から――まだ感覚がつかめないため確実ではないが――、一週間ほど経っただろうか。
私は魔術の行使を諦め、完全にエイベルとセシリアの子供として過ごしていた。
【魔力感知】の結果、私に魔力がないのは明らかである。赤ん坊のまま自分の力だけで生きていくことは不可能だ。復讐を成し遂げるためにも、ある程度成長するのを待つしかないだろう。
彼女たちを殺すことももう考えていない。
これだけ甲斐甲斐しく世話を焼かれて、恩を仇で返すなど魔王としての沽券に係わる。
むしろ、何か報酬を与えるべきだと考えていた。
乳を吸っては眠り、たまに排泄しては体を拭かれるというループに、少し飽きを感じ始めていたころ。私の前に新たな人物が現れた。
カインという少年と、その両親である。
カインはシンシアより一つぐらい年上の男の子で――お世辞にも利発そうには見えない子供だった。落ち着きなく、炎のように真っ赤な髪が忙しなく跳ねていた。率直に言えばクソガキだ。
少し前まで外で遊んでいたのだろう。砂ぼこりに塗れたまま私とセシリアの生活する部屋に入ろうとしたところを両親に叱られ
「ご、ごめんごめん、うっかりしてた」
詫びつつ慌てて【洗浄】の魔法を使っていた。
再度、私を衝撃が襲った。
見ればカインの母親も【洗浄】と唱え自身の手を清めていた。父親だけが魔法を使えないのか、申し訳そうな顔をしながら妻に唱えてもらっていた。
つまり、私の家族だけが特別なのではなく、他の家庭でも魔術が日常的に使われているのだ。
――補足すると、アンナも私の排泄物を処理する際に魔術を使用していた。しかし、何やら彼女は私の家族と縁の深い人物であると察せられたので判断から除外していた。
ちなみに、カインの父は魔力を持たない人物というわけではない。決して少なくはない魔力を保有している。むしろカインより多いぐらいである。
にも拘らず何故魔術が使えないのか。
それは『魔力孔』が塞がれているからだ。
『魔力孔』とは体内のマナを外へと放出するための器官である。魔術の行使にはマナの放出が必須となるため、魔道士には必要不可欠な部位となる。
一応、私の魔力操作を使えば外部から強引にこじ開けることも可能である。しかし、厄介なことに、未発達な場合、こじ開けても数秒で塞がってしまう。
全ての魔族、人間に存在するのだが、種族によっては開通している方が珍しいものもいる。
ヒトもその一つ。逆に、魔術を得意とするエルフでは塞がれている方が稀だ。
実は、私が転生してから出会った人物の中で少数派となっているカインの父こそが、私の知るヒトのスタンダードなのである。
やはり、ヒトという種族に何らかの変化があったと考えるべきだろうか。
余談だが、私は『魔力穴』は問題なく発達しているが、肝心の魔力が一切ない状況である。例えるなら、水路があっても流れる水がない状態。
話をカインたち家族に戻そう。
入室してすぐは私を見て目を輝かせていたクリスだが、小一時間もすれば飽き、そわそわ身体を揺らしていた。
「もう、カインったら!」
呆れたように彼の母親がぼやき、父親は苦笑いを向ける。
「あらあら、カイン君には退屈だったかもしれないわね。でももう少ししたらシンシアが帰ってくるわ」
「シンシアが!?」
セシリアの言葉にカインはいきなりご機嫌になっていた。
話を聞いていると、彼の父親は、エイベル同様、村の狩人として生計を建てているようだ。結果、家族ぐるみの付き合いであり、シンシアとは兄妹のように仲がいいらしい。
私は初耳だったが、この村の風習で、赤子が産まれてから一週間は家族と産婆以外には会わせてはならないとか。一週間の間、セシリア、エイベル、シンシア、アンナの四人しか見かけなかったのはそのせいのようだ。
最初の来訪者に選ばれるあたり、カインの家族との親密さが伺えた。
――騒がしい子供は嫌いだ。
私は、自分も子供であることを棚に上げ、目を瞑る。
こういうときは寝てしまうに限る。幸いにして、来客の前で赤子の私が眠りにつこうが無礼には当たらないはずだった。