二十九話 まおうさまの のこした かぞく
「――ドミニク、アリシアは一緒じゃないの?」
シンシアは、部屋の隅々まで見渡してから言った。
彼女のその言葉は、まるで願うようで、俺の心はきゅっと掴まれたようになる。
しかし、今の俺に人語を操ることは出来ない。
視線を合わせ首を振ることで答えた……つもり。
……そもそも、俺は蝙蝠とすら会話できるのだろうか?
冷静に考えればこの姿になってからアリシアとしか話してないぞ。
「いないのね……」
シンシアの悲しげな呟きに脱線しかけた思考が呼び戻される。
もしかしたら、彼女もその両親も、忽然と消えたアリシアを探し続けているのかもしれない。俺にはシンシアがやつれて見えた。
――馬鹿野郎が!
もし、この場にアリシアがいれば、俺は迷わず罵声を浴びせ――拳ではなく皮膜でだが――殴りかかっていただろう。
残念ながら、この距離では彼女へと言葉を届けることが出来ないのだ。ぼんやりと位置がわかる程度。
「これは?」
シンシアはそう言って、机に置かれた魔石の破片へと手を伸ばす。
訝しげに観察すると、傾けたり、光にかざしたり――。手がかりでないかを期待しているようだった。
――そういえば、魔力を注げと言われていたな。
今頃思い出し、俺は彼女の手へと飛び乗った。
そして、指をかぷり。
思いきり――だけど痛くないように牙を突き立てた。
「痛っ!」
いきなりの攻撃に、シンシアの顔が驚きに染まる。
飼い犬に手を噛まれるならぬ、飼い蝙蝠に噛まれたんだから当たり前だろう。一方俺は清廉とした魔力を吸い、晴れ晴れとした気持ち。
本当なら俺だってこんなことはしたくない。役得なんて思っていないんだ。
だが、今の俺には魔力が足りない。使い魔にされて、ただでさえ低い魔力量が激減している。それでもなけなしの力を使いここまでたどり着いた。
もう俺には、こんなちっぽけな石へと注ぐ魔力しか残っていないのだ。
彼女は、俺の行動を魔石に触れたからだと誤解したようで
「ごめんね」
と謝りながら机に戻す。
――いや、怒ってるわけじゃないんだ!
なんていくら叫んでも言葉は通じない。
仕方なく、俺は目的を果たすことにした。
ほんの少しだけ、石に力を込める。
ただそれだけで魔石は光を放ち――。
◆
役目を終えると、魔石は光を失った。
俺の目に入ったのは、シンシアの唖然とした顔。信じられないものを見たような目つき。
まあ、当然だよなあ。
「ちょ、ちょっとお母さんたち呼んでくる!」
それだけ告げ、彼女は駆けだした。
◆
シンシアが戻ってくるのは早かった。
両親を引き連れ、勢いよく扉を開ける。それが俺には、彼女の元気が戻ったようで嬉しかった。
「……本当なのか?」
エイベルは怪訝な顔をしている。
娘の言うことではあるが信じがたい。そんな表情。
セシリアも無言ではあるが同じ。
「ドミニク、お願い!」
シンシアに、手を合わせ、懇願されてしまう。
そして、彼女は指を差し出す。
――先ほどの魔力をまた味わってみたい……。
なんて甘美な誘惑にくらりと行きそうになり、自制する。
さっき吸った魔力だけで十分のはずだ。
俺は魔石へと飛び乗ると、再び魔力を注ぎ込んだ。
それと同時に、一度は失った輝きを取り戻し、強い光が辺りを照らし出す。
『――お父さん、お母さん、お姉ちゃん。私は、王都へ『勇者』に会うため行ってきます。信用できる人に連れて行ってもらう予定なので、心配して探さないでください。以上、報告を終わります』
幼子特有の、たどたどしくも甘い声。
家族であれば一瞬でわかるであろう、渇望していた少女の声だ。
だというのに、彼らは呆気にとられた表情。
いや、無理もないと思う。
俺も、行方不明になった子供がこんなメッセージ送りつけてきたら理解が追い付かないだろうし。
「……本当なのか?」
エイベルが先ほどと同じセリフを繰り返す。
しかし、ニュアンスが大分違う。呆れた様な響きだった。
「知らない人についていっちゃいけない、って教えるべきだったかしら……」
セシリアが頭を抱えだす。
この島には出入りが少なく、村の住人以外まず見かけない。俺が言うのもなんだが、忌避された魔の島に訪れる人間などそういないのだ。
そのため、基礎的な教育を怠っていたのかも――いや、あいつは教えられてもやるだろ。
俺は、自分で自分の思考に突っ込みを入れ、苦笑しそうになっていた。
「探しに行こうよ!」
両親と違い、シンシアはポジティブ。
まあ、考えうる最悪のケースは、島の魔獣に喰われていることだろうから、両親も安心してはいるのだろうが。
「そうしたいのはやまやまだが……どうやって島を出たんだ?」
「普通に考えれば船でしょうけど……こないだの出来事から結界を張ったはずなのよね」
彼らは行動の指針が出来たようで、お互いに意見を述べ合い、詰めていく。
どうやら、俺の役目は終わったようだ。
あの馬鹿がこれ以上無茶をしないか、見守る必要がある。
どうせ、使い魔としての主従が結ばれている以上、あいつから逃れることは出来ないが、野放しにする方が心臓に悪い。
俺にはそう思えてならなかった。
「最悪、ギリアムに連絡して国中の港を封鎖してもらうしかないかもしれないな」
「兄さん……面倒なことになりそうね……」
何やら会話が物騒になって来たので、俺は急いで離れることにする。
はあ、この姿になってよかった。
「ドミニク」
去り際、シンシアが俺に声をかけた。
思わず振り返る。
「アリシアのところに戻るの?」
俺はこくりと頷いて見せる。
「……妹をお願いね」
少女の縋るような目線。
俺はそれに応えるため
――任せろ!
と意味を込めてきぃと鳴いた。
自分でも、通じるわけがないとわかっている。なので、すぐに翼を羽ばたかせ離陸する。
「ありがとう……ドミニク」
俺は、生まれて初めての満足感に包まれながら、空高くへと飛び上がる――。
だがこのとき、俺は三つの見落としをしていた。
まず、俺が三日間村に向けて飛んでいる間、船は反対方向に進んでいるのだから加速度的に距離が開きつつあること。
次に、俺のご主人様が、乗船したまま大人しくしているわけがないこと。
最後に――上質な魔力を貰っただけで、空腹なのはかわらないこと。
格好つけて飛び立ったはずの俺は、すぐに力尽きると情けなく墜落した。