二十七話 まおうさまと どれいたち
私は監視役がいなくなると、一番端にいた少女へと話しかけた。
海のように青い髪と、白磁の肌――なのだろう。残念ながら、今現在は汚れにより美しさは失われていたが。
怖がらせないよう、少女の口調を使う。
……家族相手だと自然と出ていたのに、意識して使うと気疲れするのはなぜだろう。
「君も、あの男たちに捕まったの?」
「……あなたは?」
「ごめん、名乗るのが遅れたね。私はアリシア」
「あたしは、リリア。違うわ。あの男たちはあたしが捕まってから乗り込んできたの……」
リリアは暗い顔をしていた。
状況からすれば無理もないのだろうが。
だがそれ以上に目を引いたのは、彼女の耳である。
「君はエルフ?」
鋭く尖っていた。明らかにヒトのそれではない。
かすかな疑問を覚える。
エルフは往々にして魔法が使えるものである。
だというのに、彼女には魔封じの腕輪がない。
反抗を防ぐためにつけるべきだと思うのだが。
「……そうよ。でも、魔法が使えない。だから売られたの」
「……そう」
それきり、リリアは黙り込んでしまった。
このような状況でコミュニケーションを取るつもりもないのだろう。
私も彼女から離れると、ポケットから魔石を取り出した。
いつぞやの砕けてしまった破片である。長さは、私の人差し指程度。
破片の中に残滓となっている魔力を、紋様を描くように操作してやる。
これは魔紋と呼ばれるもので、文字を使った呪文の一種である。
たまに、手で印を結ぶことで魔術を行使しているが、これは魔紋を印で形作っているからなのだ。
魔道具は基本的に魔紋を用いて作られる。
私につけられた魔封じの腕輪も同様。【魔力感知】を行えば、宝玉に魔紋が描かれているのが見えた。
ぽうっとした光に興味を持ったのか、リリアが再び近寄ってきた。
「何、これ?」
「便利な道具だよ」
何をしているか言うわけにもいかないので簡潔に答える。
完成したらドミニクを呼び出した。
こいつには、さりげなく私の後を尾行させていたのだ。
船の中は日の光が差し込まず薄暗いため、入ってさえしまえば船員たちに気づかれることはなかった。
『墜ちたもんだな』
なんか無駄に偉そうでむっとする。
お前は何もしていないだろう。そもそも、このまま捕まり続けるつもりはない。
王都に着けばこっちのものである。こいつらを蹴散らしておさらばする予定。
「ひゃあ、蝙蝠!」
ドミニクを見たリリアが悲鳴を上げる。
「私の友達だよ」
騒がれても面倒なので、宥めておく。
ドミニクはそんなに怖いだろうか。見慣れたら可愛いと思うのだが。現にお姉ちゃんも初めて見たときから可愛がっていたし。
『これを村まで運んでくれ。お父さんたちの前で魔力を流せばいい。村で魔石に魔力を注いだときの要領だ』
念を送ると、ドミニクは渋々といった様子で従う。
『お前、その気になれば、あんな連中蹴散らせただろう? まさか、わざと捕まったのか?』
『勿論。色々と情報が欲しかったからな。私の目的と行き先が合致したのは幸運だった』
去り際にドミニクが訊いてきたので答える。
『まともな発想じゃねえな』
『何せ、『魔王』だからな』
『『魔王』を名乗ってた俺を下したんだから『魔王』かもしれんが……』
彼には冗談としか思えなかったらしい。
真面目には受け取られなかった。
『お前、村には戻るつもりなんだよな?』
『ああ、ちょっとした野暮用を片づけたら必ず戻るさ』
こうして、ドミニクは旅立っていった。
リリアと共に見守る。
「あなたって、ヒトなの?」
彼女の声色に、若干の恐怖を感じる。
「今は、ヒトだよ」
そういって、私は薄く笑った。
◆
ぐるる。
小さな音が私の腹から鳴った。
空腹を告げる声である。
私が攫われたのは夕刻だったのだ。
当然のことながら、昼から何も口にしていない。
少しの気恥ずかしさを感じ、周囲を見渡すのだが、誰一人反応がない。
薄汚れた毛布に包まり、微動だにしないのだ。
私には、それがまるで死体のように思えた。
「飯の時間だ」
静寂を、扉を開く音と同時にリゼルグが破る。
彼は、グドンを連れだってやって来た。
グドンの手には手押し車が一台。その上に、簡素な金属製の皿が六つ乗っていた。
私が目をやると、皿には焼き魚が一匹。更に、端の方に煮て柔らかくなった野菜が固められていた。
今夜の夕食ということらしい。
リゼルグとグドンが手分けして、少女の元へと置いていく。
一番最後に私のところへと来た。
リゼルグは無言のまま立ち去ろうとする。
「魚を食べるのは初めてだ」
私はわざと彼に聞こえるよう言った。
「……そうなのか? 島暮らしだろうに」
「島には動物や魔物が豊富にいたからな。魚なんて捕る必要がなかった」
そもそも、島だと気づいたのもつい最近のことなのである。
「骨に気をつけろ。喉に刺さる」
とだけ言い残して、私の返答を待つことなくリゼルグたちは去って行った。
それと同時に、少女たちは起き上がり、のそのそと食事に手を付ける。
まるで生気のない、暗い雰囲気の中、私は人生初の魚を食した。
残念なことに、淡泊で味付けも薄いためなのか、それからは全くの美味しさを感じなかった。
◆
夕食を終え少し時間が経つと、色黒な水夫が一人部屋を訪れた。
非常に遺憾なことなのだが、量が足りないという私の訴えは無視された。
彼によって明かりは消され、船室が暗闇を支配する。
大人しく就寝しろということなのだろう。
――静かだ。
先ほどから、たまに衣擦れの音以外は一切何も聞こえてこない。
食事時でさえ、皆が黙々と口へと放り込むだけ。
ただ、静寂だけがそこにあった。
何故だか横になろうとは思えず、三角座りで毛布を被る。
寒気は脱したものの、夜となれば未だ肌寒い。
……私が現世に再び生を受けてから、このような夜が幾度あっただろう?
家族で囲む食卓は賑やかで、暖かさに溢れていた。
一人寝の夜などなく、常に傍らにはお母さんかお姉ちゃんの姿があった。
私は今、一人だった。
少し手を伸ばせば同室の少女らに触れることは容易いだろう。だが、実行に移したとしても、今の彼女たちが私に何かを齎すことはないだろう。
途端に、私にはこの暗闇に存在するのが自分一人だけのように思えてならなかった。
これは、乗船している間だけではない。
予定通り、リゼルグらの手から脱し、王都へ辿り着いたとしても私が一人であることが変わることはないのである。
――かつて、『魔王』であったころに戻るだけだ。
私は冷静に、状況を分析する。
『アリシア』が産まれてから四年。
『魔王』として過ごした年月はその数百、数千倍にも上るのでる。
一人だということがなんだというのか。
――あれ?
何か冷たいものに思考を遮られ、私は頬へと手をやる。
濡れている。
滴だった。一筋だけではない。
知覚した途端、堰を切ったようにぽろぽろと留めなく溢れ出す。
何故だか、私の脳裏を過ったのは家族の優しい微笑みだった。
これからのことを思えば、たったの一日目だというのに、私の胸は引き裂かれそうな思いに襲われる。
「おか……あさん……おとう……さん……おねえちゃ……ん……」
口から漏れ出たのは嗚咽。
私は私自身の身体を抱きかかえることで、押し寄せる情動を耐え忍ぶことしかできなかった。