二話 まおうさま おしょくじちゅう
「セシリア!」
私が思案しながら――少しずつ眠りの世界へ旅立ちつつあったが――セシリアに抱かれていると、勢いよくドアが開き男が一人入ってきた。
あまり立てつけのよくないドアである。捥ぎ取れそうになっていた。
うつらうつらとしていたところを叩き起こされた形になる。泣きわめきはしないものの、私は苛立ちを隠そうともせず、男を睨み付けた。
「エイベル、しーっ」
「す、すまん」
セシリアの叱責にエイベルと呼ばれた男は項垂れる。
よく日焼けした肌に皮鎧を着こんだ体格のいい男だ。
エイベル――旦那様だったな。アンナとの会話からして彼が私の父だろう。
すかさず【魔力感知】を行う。反応あり。彼もセシリアほどではないが、かなりの魔力を秘めていた。
やはり異常なのは私である可能性が高いということだ。
「すまない。妻が大事な時だというのに、眠り呆けているだなんて……」
申し訳なさそうにエイベルが謝罪すると、セシリアは微笑んだ。
「そんなことないわ。魔物の討伐に旅立っていたところを、無理に帰ってきてもらったのだもの。……とても心強かったわ」
この後も彼らが言葉を交わすのに聞き耳を立てていると、以下のようなことがわかった。
エイベルという男は狩人として生計を立てていること。
彼は此処、ライガット村の村長だということ。
そして村長という立場から、出産直前の妻を置いてでも近隣の森にすむ魔物の退治が必要だったこと。
しかし心配のあまり、単独で連日徹夜の強行軍で村へと帰還したこと。
――だが、結局無理が祟り、妻の出産途中に気を失い爆睡してしまったらしい。
面目ないと謝り続けるエイベルを見るセシリアの眼差しは柔らかかった。
なんだろう。不思議とこの光景は悪い気分ではない。こんな感情は前世では味わったことのないものだ。
「あら、シンシアは?」
「まだ寝てるさ。……赤ちゃんに会いたいって一晩中起きてたみたいだからな。無理に起こすのも可哀想だったし」
「ふふふ……。起きたら『どうして起こしてくれなかったの!?』って怒られるでしょうね」
「か、勘弁してくれ」
ふむ。
シンシアが「お嬢様」と推測できるな。多分、私の姉になるのだろう。
「ところで、この子、性別はどっちなんだ?」
「あら……」
セシリアが失念していたとばかりに表情を変えた。
「私も知らないわね。アンナはすぐ出て行ってしまったし。うっかりしていたわ」
「おいおい……」
呆れたようなエイベル。
「そういえば、産まれてすぐこの子泣かなかったわね」
セシリアのおっとりとした様子はいつものことなのだろうか。エイベルはもう何も言わなかった。
◆
確認作業の結果、私の肉体は女性らしい。
――そういえば普通の生き物には性別というものがあるのだったな。
魔王は『星の核』として人間や魔族でいう成人した姿で生まれる。
性別という概念はない。数千年の寿命を迎えると次代の魔王が魔力により形成され、『星の核』が継承されるのだ。
『星の核』を守るための種族。それが魔王だ。
「また女の子か……」
とエイベルは気落ちした姿を見せていたが、すぐに立ち直り
「べろべろば~パパでちゅよ~」
とあられもない姿を俺に見せていた。
直前まで私が母親を殺そうとしていたとはつゆ知らず、あやそうとする態度に
「ふん」
と失笑してやると
「セシリア! 今俺を見て笑ったぞ! 父親だってわかるんだなあ!」
豪快に笑うのだった。
私は飽きれるほかない。
……が、そんな状況も長くは続かなかった。
――ううう、なんだこの感覚は。
エイベルの相手をしてやってるうちに、またもどうしようもない悲しみが私を襲ってきた。恥も外聞もなく泣き出してしまいそうな気分だ。
ぐぬぬと堪えていると
「あ、そろそろお乳を上げなきゃね」
何かを察したのか、セシリアが上着を肌蹴ると、胸を露出させた。
そのまま私の顔を押し付ける。
――どういうことだ? 何をすればいいんだ!?
困惑しつつも、肉体の衝動に任せ、胸の先端部分を口に含んだ。
暖かい液体が口内に入ってくる。そのまま本能に任せ疑うことなくごくりと嚥下する。
……優しい味だった。
実は、何かを食するという経験自体初めてのことだった。魔王という種は魔力さえあれば食事など必要なかったからだ。
まだ感覚の覚束ないな幼児の舌ですら、これが美味であることは認識できた。我を忘れ、必死で飲み続ける。
全身を満足感が満たしていく。
「ふふふ……。幸せそうな顔」
「産まれたてでもお腹が空いても泣かない。強い子になりそうだな。剣士なんて向いているんじゃないか?」
「もう。女の子だっていうのに、あなたは剣を教えたがる! シンシアのときだって――」
二人がじゃれ合うように口論していたが、私の耳には入らなかった。
「ふぅ~」
満腹になり、落ち着いたのを確認すると、胸から口を放し大きく息を吸う。
穏やかな気持ちのまま意識が遠のいて――
◆
「あら、寝ちゃったわね、エイベル」
「おやすみ、アリシア」
俺は幸せそうに眠るわが子――アリシアの頭を撫でてやる。
「アリシア?」
「そうこの子の名前だ。男の子だったらお前が、女の子なら俺が名づける約束だろう?」
セシリアは確認するように何度も「アリシア」と呟き
「いい名前ね!」
と満面の笑顔で肯定してくれた。
「シンシア、アリシア――俺たちの宝物だ」
「ええ……」
「――だからこそ、もしあの噂が本当だというなら、俺たちも立ち向かう必要があるかもしれない」
俺の言葉に空気が一変する。
セシリアは先ほどまでの聖母のような表情を一変させ、神妙な顔つきをしていた。
「……十五年後、世界を災厄が襲うっていう噂ね?」
彼女は、重い口を開く。
そう、十五年後――人間界と魔界の戦いが終結し、世界が一変してからちょうど二千年が経過する時。
「ああ。一説には魔王が復活するなんてのもある。杞憂に越したことはないんだが――」
「もしそんなことになったら……戻るしかないでしょうね。まあ、孫の顔見せに行くと思えばいいのよ」
おどけたようにいう彼女に、俺の不安は消し飛んだ。
そうだな。どんなことがあろうと、俺の大切な家族だけは絶対に守ってやる。
「頼りにしてる。そして愛してるよ、セシリア」