外伝 とある家族のピクニック
今朝、唐突にお父さんの発案でピクニックに行こうということになった。
いきなり言われても、用意は出来ないのではないかと私は思った。しかし、お母さんを見れば、問題ないとばかりに親指を立てる。
どうやら、夫婦だけで計画されていたことらしい。
私には理由がわからないので、少し揺れる視界の中ドミニクに尋ねると
『さぁな、家族サービスじゃねえのか』
と返ってきた。
家族サービス。そういうものもあるのか。
使い魔にしたドミニクと私は精神的にリンクしている。
そのため、距離に拘わらず会話ができるのだ。一種の念話である。
彼は最初の方は私を恐れていたのだが、話をするうちにえらく砕けた態度になってきた。
これが彼の素の喋り方らしい。
『ドミニクにもそういう経験はあるのか?』
私は彼の記憶を覗き込んだが、それは直近のものだけ。
あまり踏み込んだものまでは見ていない。
『ねえよ。俺は家族の落ちこぼれ。殴られ、蹴られたことはあっても、まともに扱ってもらったことなんて一度もねえ』
悪いことを聞いてしまったか。
私が渋面を作ったのを見て、ドミニクは
『今じゃそんなことはねえがな』
と、視線を合わさずに言った。
『では、私に感謝しているか?』
私は、ドミニクの鼻を指でつつきながら訊く。
我ながら、少しいやらしい質問だ。
『んなわけねえだろ! 早く俺を元の姿に戻しやがれ!』
案の定というか、ドミニクは憤慨する。
翼をバンザイのように広げ、ぱたぱたと体を傾ける。
少し可愛いかもしれない。
『戻してやってもいいが、まずお姉ちゃんたちにドミニクの正体がバレるぞ』
『ぐ……』
ドミニクは言葉に詰まる。
この男、村の住人達に餌を恵んでもらっては、ちょっとした芸を披露したりしている。それが失われるのは辛いようだ。
……いや、馴染みすぎだろう。
『次に、島を逃れたところで人目に着けば賞金稼ぎの的だろうな』
『……』
こいつの立場は国宝を盗み出した反逆者である。
レミングたちの報告次第ではあるが、まず命はないだろう。
そこまで言うとドミニクは完全に黙り込んでしまった。
さて、私が今どこにいるのかというと――。
◆
俺は今、愛娘のアリシアを肩に乗せている。
理由は簡単、目的地までの距離が遠すぎて、三歳の子が徒歩でいくのは遠すぎた。懸命に自力でいこうとしたのだが、あえなく力尽きてしまった。
一方、シンシアは全く平気そうな顔をしている。
年の差もあるが、剣の鍛錬を積んでいることもあるのだろう。
俺としてはアリシアにも教えてやりたいのだが、セシリアから
「本人が自分から学びたいと言わない限り、絶対に駄目よ」
きつく言われてしまった。
まあ、無理に学ばせてもいいことはないのはわかっているが……。
そのあたり、シンシアは積極的に学んでくれるので助かる。
不穏なものが立ち込めるこの時代、剣や魔法の心得があるに越したことはない。
少し自信過剰になりがちなところがたまに傷だが。
数か月前のこともそうだ。
突如、森に現れた魔物たち。まさか陽動だとは思わなかった。
万全を期すため、出来る限りの戦力を集中させたのだが、それが裏目に出てしまった。あの程度なら、俺とセシリアの二人だけで十分だったかもしれない。
冒険者たちが駆けつけてくれてよかった。
もし、村を、娘たちを失ってしまっていたら……悔やんでも悔やみきれない。
俺たちは出来る限りの礼をしようとしたのだが
「僕たちは大したことはしていない」
と謙遜の上、何故か逆に俺たちの方が褒め称えられてしまった。
若者に――実際はほとんどが俺たちより年上なのだが――尊敬されていると言われても、その、困るな。
あまり昔のことには娘たちに教えたくない。
それこそが、この島に来て村を作った原因なのだから。
さて。
アリシアは肩に乗せた蝙蝠のドミニクとお話し中。
俺の肩にアリシアが乗り、更にその肩にドミニクという、傍から見たら珍妙な構図だ。
きぃきぃと鳴くドミニクに、時折頷いている姿を見ると、本当に言葉が通じているのではないかと思ってしまう。
こいつは、村に吸血鬼が襲撃してきた日、怪我をしているところを冒険者たちに助けてもらったらしい。そのまま、アリシアに懐き、うちに居ついているというわけだ。
家族を失いかけたその日、逆に新たな家族が増えたのだから、世の中はわからないものだ。
……とはいえ、俺が今まで生きてきた経験の内、蝙蝠が人に懐くなんて話は聞いたことがない。それに、どこかこいつからは魔物に似た気配を感じる。
だが、実際に大人しく我が家に帰ってくるのだから仕方がない。
ちろちろとミルクを舐める姿を見たら、疑いの心も薄れるというものだ。
恐らく、アリシアと心を通い合わせたからここにいるのだろう。
◆
歩いているうちに、俺たちはようやく目的地へと辿り着いた。
ここは村から西の森にある水場だ。
泉には澄んだ水が湛えられ、光を反射し、煌めいている。爽やかな風が心地よい。
不思議なことに魔物は入ってこないらしく、穏やかな空気が流れている。弱い動物たちの安息地といえるだろう。
「凄い! きれ~!」
シンシアが燥ぎ、泉に手を突っ込んでは
「つめたーい!」
と悲鳴を上げる。
もう寒くなり始めた時期だ。この島には雪などは降らないが、それでも水温はかなり低いだろう。行水などすれば、すぐに風邪をひいてしまう。
一方、アリシアは落ち着いたもので
「私、長く生きてきたけどこんなに美しい景色見たの初めてかも」
なんて言っている。
いや、全然落ち着いてないな。
長くって、お前はまだ三歳だ。なんだかたまに大人びて見えるが、来月で四歳になる子供なのだ。
どっちにしろ、少し興奮気味のようだ。
そんな娘を見て、妻は穏やかな笑みを湛えていた。
優しく見守る姿に、心が温かくなる。
俺には母の、いや、家族の記憶がない。
幼いころに魔物に襲われ、死んでしまったらしい。そして、孤児として放浪していたところをミューディに拾ってもらったのだ。
様々なことを叩きこまれた。
戦いの知識、生きていくための知恵、そして、力の使い方。
それに、セシリアと出会った切欠を作ったのも彼女だった。
やはり、彼女は俺の義母と呼べるのかもしれない。
……面と向かっては言えないが。
実は、今回、ピクニックに出かけたのは、娘のおねだりをどうしても叶えることが出来なかったからだ。普段、我がままの言わない子。
……出来ることなら、娘のためになんだってしてやりたいのが親心だ。
だが、その願いだけは叶えられない。
残念ながらその勇気はまだ俺たちにはなかった。
だから、埋め合わせとしてピクニックを企画した。
最近、どこか思いつめた顔をしている娘の、少しでも気晴らしになってくれればいい。俺はそう考えたのだ。
ふと、目をやれば、アリシアはお弁当の蒸した芋を頬いっぱいに詰め込み、セシリアとシンシアに苦笑いをされていた。
賑やかな家族たちを見て、俺はほっとする。
俺がかつて失ったものは全てここにある。
いつか、巻き込んだ人たちを解放しなければならないのはわかっているが、今はこの穏やかさに身を任せたい。
◆
「そういえば、ドミニクはどこに行ったんだ?」
「あ……多分、自分のご飯を探しに行ったんじゃないかな」
お父さんに尋ねられ、私は曖昧に笑った。
……ドミニクは、この泉に近づくにつれ顔色を変え、飛び去ってしまった。
私には遠くに行っていないことがわかるが……。
「弁当から分けてやろうと思っていたのに。勿体ない奴だな」
「本当にね」
……不憫な奴。