二十一話 まおうさまと らいほうしゃ
「ええい、眠れ! 眠ってしまえ! 眠るのだ!」
なんなんだこいつは。
膨大な魔力を感じたので村はずれの広場に向かったのは少し前のこと。
……私の目の前にいたのは、黒ずくめの男だった。
黒のマントに黒の帽子、衣装も黒のタキシード。
白髪と蒼白な肌、そして青い眼が異様に際立つ組み合わせだった。
手には強い光を放つ宝玉が一つ。
ただそれだけが、莫大な魔力を放っていた。
どうやらこの男が叫んでいるのは呪文の詠唱らしい。
一瞬、私には斬新すぎて理解が出来なかった。
「お前は、何者だ?」
私が声をかけると、大きくびくりと跳ね、驚くべき速さで後ずさった。
どうやらこの男が唱えているのは、昏睡状態を引き起こす魔法らしい。
だが無駄だ。
私には通用しない。
「な、何が『何者だ』だ! 相手の名を尋ねるなら、自分から先に名乗れ、無礼者め!」
む。
正論かもしれない。
「私はアリシア。この村の住人だ。何が目的で来た?」
「ふん、我が名はドミニク。魔王ドミニク――そう人は呼ぶ」
「はあ。それで、魔王とやらが何用だ? お前を楽しませるようなものはここにないぞ」
元・魔王の前に魔王とは……。
面白い因果もあったものである。
正直興味深いし、持て成してやりたいぐらいだ。
……村に魔法さえかけていなければな。
「この村に、エイベル・バートランドという男が住んでいるな?」
「ん、どうだったかな……」
父のフルネームを聞いたのは初めてだ。
とりあえずとぼけてみせる。
「しらを切っても無駄だ。知っているぞ、この村に潜んでいるということはな」
「……なら聞く必要はあったのか?」
「……ええい、やかましいわ!」
ドミニクの顔に浮かんだのは憤怒の形相だった。
えらく沸点の低い男である。
「やつは最低でも一日は戻らんだろう。それだけの配下を撒いておいた。――貴様には、人質になってもらうぞ!」
そう叫び、私に飛びかかろうとして――
「待ちなさい!」
「そこまでだ!」
静止の声が村に響き渡った。
◆
そこにいたのは、毛皮のコートに身を包んだお姉ちゃんとカインだった。
二人ともすでに抜刀している。
いつでも戦闘開始といける臨戦態勢である。
……この毛皮のコート。私にとっても実に厄介である。
魔力を包み隠してしまうので、【魔力感知】が通用しない。
もし二人が私を追っていると気づいていれば、すぐに引き返していた。
「……貴様らは何故動けるのだ? 一人だけならまだしも、三人までも。我が魔法に抗えるはずがない……」
ドミニクは何故か戦闘前から精神に傷を負っているようだった。
頭を抱え、ふらふらとおぼつかない足で前に出る。
そして、納得がいったように手を叩く。
「そうか、貴様たちの装備……! シャドーウルフを皆殺しにしたのは貴様たちだな?」
「やっぱり……。森の生態系を乱してたのはお前か!」
「あなたが、村に魔法をかけたの?」
「ふん、その通りよ。奴らは斥候に過ぎん。村を監視し、情報を得るためのな。そして今、村にはエイベルたちはいないのだろう?」
お姉ちゃん達は言葉に詰まる。
流石にここまで語られれば、こいつの目的は大体わかる。
まず、この男。
ドミニクには魔物を変質させる力があるのだろう。
それで森の魔物をシャドーウルフとブラッドオーガに変えた。
夜行性であるシャドーウルフが昼に活動していたのは、恐らくドミニクの命令である。結果、本来の能力を発揮できず壊滅したわけだが。
まあ、おおよその情報を得た彼はブラッドオーガを陽動のため配置。
お父さんたち村の主戦力を誘き寄せる。
そして、手薄になった村を襲い――
「僥倖だったよ。『英雄』と『聖女』が一塊で手に入るとはな。貴様たちまとめてエイベルを誘き出すための人質にしてくれる!」
ドミニクの手の宝玉が、輝きを増した!
「燃えろ、燃えろ、燃えろ!」
「……なんだ、こいつ?」
カインの疑問はもっともだ。
大よそ詠唱とは言えない、稚拙な言葉運び。
確かにイメージさえあれば詠唱など補助でしかない。
だが、彼の魔術はイメージにすら欠けている。
ただ「燃えろ」と指示するだけで、魔術が発動するわけがないのだ。
本来なら魔力は霧散し、何の事象も起こさないだろう。
――ただし、本来ならば。
私は【魔力感知】で確認しているからわかるのだが、ドミニクの注ぎ込む魔力量は異常だった。
下級魔術を発動するためだけに、最上級魔術に必要なだけぶち込むのだ。
まるで、引き戸を押して開ける様な強引さ。
「お姉ちゃん!」
私が叫ぶが、もう遅い。
「大丈夫、あたしたちはこんな奴に負けないから!」
最初は異様さに気圧されたものの、お姉ちゃん達は油断しきっている。
確かにドミニクという男。弱者としか思えない見た目をしているが、ブラッドオーガを使役するだけの力を持つのである。
実のところ――格が違う。
莫大な魔力は、魔術として結実し――大爆発を起こした。
◆
今の一撃は、指向性ではない。ただの破壊だった。
魔術などとは到底言えないだろう。
ただの暴発となんら変わらない。
いわば、無差別な暴力。
だが故に有効だったといえる。
場の全てを襲ったそれは、回避不能の一撃だった。
お姉ちゃんは衝撃に弾き飛ばされ、木々に叩き付けられていた。
カインはなんとか腕を盾にして耐え凌いだものの、骨折してしまったようだ。
二人とも息は……ある。
――よかった。
私は胸をなで下ろす。
二人は痛手を負ったものの、命に別状はない。私が【治癒】をすれば一瞬で回復するだろう。
魔術といえない魔力の爆発だからこその手傷である。
影狼のコートが大きく分散させてくれた。もし、軽鎧などであったと考えれば――ぞっとする。
「ククク、口ほどでもない……!」
ドミニクの冷徹な笑い。
「それが本気なのか?」
私の呼びかけにドミニクは振り向き――ぎょっとした表情を浮かべた。
「……な、何故、無傷なのだ?」
信じられないという目で私を見つめてくる。
「それが本気なのか、と言ったのだが」
種明かしをすれば、【魔力操作】で荒れ狂う魔力を吸い込んだだけである。
せめて凝固させるならまだしも、先ほどの一撃はただの奔流だ。強引に手綱を取り、穏やかさを取り戻させてやればいい。
ただしノーコストとはいかなかった。
手綱を作るために魔力を消費してしまった。さらに、とっさのことだったので結構な無茶をした。七つある魔石のうち、すでに四つが砕けた。
この魔力の感覚、竜のものである。
だが、目の前の男がそうとは思えない。全くといっていいほど覇気を感じないのだ。
恐らく、手にした宝玉が関係あるのだろう。
「くそっ! 燃えろ! 燃えろ! 燃え――」
「無駄だ。刺せ、【針】」
三歳の幼子に怯え、慄くドミニクの姿は滑稽にすら感じられる。
冷笑と共に、私はドミニクの創り出したプールに魔術の一撃。極小の魔力による微小な針が貫通。
破壊されたプールから魔力が霧散した。
「何故だ? 何故だ? 何故だ?」
「……そうか、貴様、吸血鬼か? 道理で。手にした宝玉から魔力を吸っていたというわけか」
吸血鬼――と言っても実際に血を吸うわけではない。
この種族、他者に牙を突き立てることで血ではなく魔力を吸い取るのだ。そして、吸血された対象の体内の魔力を変質させ、自分の僕へと作り変えるという。
つまり、先ほどからの莫大な魔力は全て借り物。
彼の目的は、――理由はわからないが――私たちを人質にお父さんを吸血し、下僕にすることだったのだ。
私はそう確信していた。