二十話 まおうさまの へいおんは おわりをつげます
彼は闇の中で自分の半生を想い返していた。
彼は長きに渡り、虐げられてきた。
本来ならば、愚民たちを総べる立場だった。だが、こともあろうに彼の親族たちは、彼を「無能」だと罵った。彼が失敗するたび嘲笑った。
そして、ついには彼を追放したのだ。
憎い。
憎い。
憎い憎い憎い。
だが、彼には力がなかった。
復讐など、叶うはずがない。
追放された先でも、居場所などはない。ただ虐げてくる存在が変わっただけだった。
むしろ、法という存在が更に彼を厳しく縛り付けた。
空腹に耐えかね、吸血行為をした彼を世間は許さなかった。犯罪者のレッテルを貼り、厳しく追い立てられていった。
何度も死にかけた。
かろうじて致命傷を免れただけで、命を落としてもおかしくない重症は日常茶飯事だった。
彼は驚くほど脆弱だった。
恵まれた種に産まれながら、格下であるヒトにすら劣っていたのだ。
だが彼にも唯一の取り柄があった。それは、闇に身を溶け込ませること。
最初は店先の食い物を盗んだだけだった。
驚くほど上手くいった。普段自分のことをゴミを見るような目で見ていた店主を、出し抜いたのは痛快だった。その日、彼は一人で腹を抱えて大笑いした。
そして、彼のモラルは崩壊した。
盗みは、どんどんエスカレートしていく。
平民の店から、貴族御用達の高級店へ。
高級店から、貴族の屋敷へ。
そして、そこで彼は運命の出会いを果たした。
――竜石。
人間族と共に生き、当代の王を永遠の友と認めた竜のものだという。
だが、彼にとってはどうでもいいことだ。
彼にとって、それは力だった。
生を受けてから、常に渇望してきた力だったのだ。
これを取り込めば、復讐してやれる……?
かつて、自分を嘲笑した彼奴らを見返して……八つ裂きに出来る?
誰ももう俺を追い立てない……?
一瞬にして思考が支配される。
そして、彼は上位者となった。
◆
家の外に出て、夜空を見上げる。
「そうか、今宵は満月なのか」
道理で明るいわけだ。
満月の夜は魔族や魔物が活性化するという。月から放出される魔力が、魔石に影響を与えるのだ。
もしかしたらこの魔力反応も、月夜に酔った魔物のものなのかもしれない。
……なんて楽観的には考えられなかった。
私を襲うのは、酷い胸騒ぎだった。
臓腑をぎゅっと掴まれる様な、嫌悪。
そして、魔力の奔流が村を包んだ。
◆
コトリ、という音であたしは目を覚ました。
ベッドから身を起こすことなくちらりと目をやれば、アリシアが子供部屋から出ていくところだった。
――トイレかな。
驚いたことに、アリシアはおねしょを全然しなかった。
おむつがとれるのも凄く早かったと思う。
お姉ちゃんの立つ瀬がない……。
睡魔に身を任せようとして――玄関の戸が開く音がした。
――え?
あたしは急いで起き上がり、窓から外を覗く。
そこにいたのはアリシア。
何処か切羽詰まった表情でお月様を見上げている。
お月見……なんて雰囲気じゃない。
あたしも下に降りて声をかけようとコートを羽織った途端
――あたしを強烈な睡魔が襲った。
な、なに……?
倒れ込みそうになるのを、強引に頬を抓むことで抑えた。
明らかに異常だった。
体が酷い倦怠感に包まれてる。
体中がざわざわして――
「我が肉体よ、平静を取り戻せ――【鎮静】」
嫌な予感がして急いで治癒魔術を使う。
一瞬にして倦怠感が払拭される。間違いない、これは魔法だ。
――アリシア!?
窓へ再び目をやると、そこには誰もいなかった。
愕然とするのを必死で堪え、あたしは寝床の傍に置いておいた剣を腰につける。
準備が整うと、あたしは隣の家へと急行した。
寝癖でぼさぼさの頭を整えてる時間なんてない。
隣の家の戸をどんどんと叩く。
まったく反応がない。……仕方ない。
強行突破だ。
下級魔法で強引に打ち破る。
そしてそのままカインの部屋へと直行。
「カイン、起きて!」
……無反応。
どれだけ揺すっても……駄目。
やっぱり、魔法の影響みたい。
【鎮静】をかけ目覚めさせる。もうこれで私の治癒魔法は打ち止め。
「も~! 起きて、カイン! アリシアが、いないの!」
「ん……そうなの?」
寝ぼけ眼を擦り――
「って、はあ!?」
状況を理解してくれたかな。
「外にいたと思ったら、いきなり眠くなって……。催眠魔法だと思う。次に見たら、アリシアがどこにもいなかったの」
「催眠魔法って……敵襲ってことか? それで、シンシアは俺の家に来たわけだな?」
「うん。アリシアは何か察知したのかも。でも、催眠魔法に抵抗できるわけないよ」
あたしが昏倒しなかったのは、魔法を防ぐシャドーウルフのコートを羽織ってたからだと思う。
これがないアリシアは眠り込んでしまったはずだ。でも、姿が見えないということは……。
――多分、攫われた。
カインも急いで狩りに行く時の装備に着替える。
これで臨戦準備はOK。
生半可な魔物なら、私は負けない。
自分でいうのもなんだけど、村に残った男の人より私とカインの方が強い。
いてくれるに越したことはないけど、眠り込んでしまっているだろうし、当てにはならない。
「アリシア、無事でいてね……」
あたしとカインは、まずは村の中を捜索することにした――。
◆
「――動いたみたいね」
ミーシャの冷ややかな声が僕の耳朶を打つ。
竜石にかけられた追尾魔法は、魔力に反応している。つまり、覆い隠されてしまえば意味がない。
魔の島で一度途絶え、それ以降飛び飛びにしか現れなかったそれが、ここにきてようやく反応を示し始めた。
「ようやくか、待ちくたびれたぜっ!」
ハルトは待ちかねたように立ち上がり、拳と掌をぶつけパンッと軽快な音を立てた。
随分イライラがたまっていたようだから無理もない。
「いきなりでしたね~レミングさん?」
ムルムルは……まあいつも通り。
こんなゆったりとした彼女だけど、追跡となれば驚くべきスピードで突き進む。
「今まで動かなかったのが気にかかるけど――行こう!」
戦支度はとうに整えてある。
僕の号令に、全員が頷いた。
◆
彼は熟慮に熟慮を重ねた。
上位者の力を得たとはいえ、彼の父もまた上位者だった。
自分は、数も、経験も劣っている。一人でかつての親族を敵に回し勝利を収める自信はなかった。
彼が次に欲したのは手駒だった。
一騎当千の力を持ち、言うがままに従う忠実な僕。
幸いなことに彼にはそれを為す力があった。
吸血の力をもってすれば、他者を操り人形と化すことは容易い。
彼の配下である魔狼や大鬼も、そうやって作ったものだった。
だが、弱者では意味がない。
あくまで求めているのは強者なのだ。
魔の島に『英雄』が隠れ住むという――それも『竜殺しの英雄』が。
この情報を知ったのは偶然だった。
いや、齎した人間にはなんらかの意図があったのかもしれない。だが、彼は迷わず飛びついた。
そして、彼は魔の島へと辿り着いた。
彼の名はドミニク。
かつてはコソ泥ドミニクと罵られた爪弾きもの。
だが、今の彼は違う。
竜の力を得、上位者となった彼は――魔王。
魔王ドミニク。
それが彼の新しい名だった。