十九話 まおうさまと しのびよるかげ
ある日の昼下がりのことだった。
えらく周りが騒がしい。
私は昼寝を止め、慌てて窓を開き、村の様子を伺う。
「ブラッドオーガが出た?」
お父さんとカインの父を中心に、狩人たちが話し合っているのが見えた。
「ああ、別の班の連中が見たっていうんだ。それも一匹や二匹じゃない。ざっと五十匹はいたって……」
「……またか! シャドーウルフといい、どうなっているんだ、こいつは!」
お姉ちゃんの誕生日から暫くたって教えてもらったのだが、シャドーウルフは近辺に生息しているはずのない魔物らしい。
口ぶりから察するにブラッドオーガも同じのようだ。
森になんらかの変化が起きているのは間違いない。
「……急いで討伐隊を組織しよう。全体の数がわからない。村に近づく前に片づけるんだ」
お父さんの指揮に全員が従っていく。
戦の支度をするため、各々の家に戻って行った。
ブラッドオーガ……高位の魔物だったな。
知能は低く、魔法も使えないが、力は強い。ただそれだけ。
――それだけに厄介。
鮮血の大鬼という名のとおり、力任せの一撃を受ければ歴戦の兵士といえど血と肉になる。まあ、名前の由来は血のように赤い肌なのだけど。
何せ、名付けたのは私だからね。
魔界の管理をするとき、名前がないと不便だからと手当たり次第に名づけ、分類していったのだ。
どうしてそんな作業が必要だったかといえば、ブラッドオーガが新しい種だったからに他ならない。魔族や魔物の種類が異常に多いのは、魔石に魔力を流し込むことで姿が変質するからだ。
ただのゴブリンに炎の魔力を注ぎ込めば、全身が赤く変色しファイアゴブリンへと早変わり。
実にお手軽だ。
とはいえ、人為的にそんなことが出来るのは膨大な魔力を持つものか、よほど魔力操作に秀でたものに限られているが。
「セシリア!」
「エイベル、ブラッドオーガが出たっていうのは本当なの?」
扉が開く音がして、一階からお父さんたちの話し声が聞こえてくる。
「ああ。事実らしい。これから殆どの狩人が向かうことになる。すまないが、お前も頼む。村には守りとして何人か若いのを置いていくことになると思う」
「ええ、わかってるわ。オーガには魔法が有効だものね。……うちのお転婆娘たちが大人しくしていてくれればいいんだけど」
それは大丈夫。
お姉ちゃんとカインではブラッドオーガには多分勝てない。シャドーウルフとはレベルが違うのだ。
当然、私が全力で止めるだろう。
あれ?
……娘たち?
まさか私も入っているのだろうか。いや確かに真夜中に抜け出したりしたけれど。
むむむ。
納得のいかない気持ちになりながら、私は階段を下りる。
「お父さん……お母さんも、戦いに出るの?」
「ああ、今日は休みにするつもりだったんだけどな……」
私は、あえて狩りという言葉は使わなかった。
明らかに普段と雰囲気が違う。
狩りというのは一方的な殺しだ。
反撃を受けることはありえない。獲物は殺されるため存在し、狩人は殺すために存在する。
二者は対等ではないのだ。
「安心しろ、アリシア。お父さんは強いんだ、オーガぐらいすぐに片づけて帰ってくるさ」
だが、戦いは違う。
お互いに同じ舞台に立ち、殺し合う。
優勢だったはずが思わぬ反撃を食らうこともありえるのだ。
「すぐに、って今日中には帰ってこれないでしょうに……」
お母さんはあきれ顔。
あまり心配はしていないようだった。
「アリシア、心配ないわよ。お父さんたちは、もっと強い魔物と戦ったこともあるんだから」
私の頭を撫でる。
そんなに不安そうな顔をしていただろうか?
まあ、普段の身のこなしを見ていれば、お父さんの実力はわかる。
少なくともオーガごときに後れを取るはずがない。
お母さんも、お姉ちゃんに魔術を教えられるのだ。上位魔法を軽々と使うほどの腕前はある。
……私が言うのもなんだが、人間進歩しすぎだろう。
いや、魔物が進歩してなさすぎるのか?
「アリシア、今日は厩舎に行っちゃいけないぞ。家で大人しくしているんだ」
「でも、家畜が襲われたりしないの?」
「あそこにはクルックがいるからな。下手な魔物なら一蹴するさ」
私の脳裏によぎったのは石像となったオーガの姿。
……片づけるのが面倒そうだ。
「お父さんとお母さん、大丈夫かなあ」
ようやくお姉ちゃんが帰ってきた。
今日はお父さんの狩りが休みだったので、アンナのところで勉強していたらしい。
狩りの勉強をしながら、合間を見つくろって治癒魔術を教わるという中々のハードワークだ。狩りへの同行が許された今でも、将来は見定まっていないらしい。
それでいいのだと思う。
少なくともお姉ちゃんには才能があるのだし、夢の選択肢を広げるための努力も怠っていない。
「二人とも、今日は絶対家から出ては駄目だからね?」
お母さんの再度の注意に、二人して口を尖らせる。
「そんなことしないよ!」
「うん、あれだけ怒られたんだもん、反省してる」
とはいうものの、お母さんの気持ちはわかる。
一度失った信頼は得難いものだ。特に私は一週間後すぐに抜け出したわけで……。
「じゃあ、行ってくる。大人しくしてるんだぞ?」
私たちはお父さんたちを見送った。
広場に狩人が集合しているのが見えた。
いや、狩人だけではない。お母さんのように魔法が使える女性たちも参加している。
狩人たちは普段の皮鎧ではなく本格的な鎧を身に着けている。
その中で一人、お父さんだけがいつも通りの皮鎧だった。
一方、女性たちは身動きの邪魔にならないよう軽装だ。注視すればカインの母親までもがいた。
「何年振りだろうねえ、戦闘なんて」
「ローブがキツイわぁ。縮んじゃったのかねえ」
なんだかとても不安になってきたのは私だけではあるまい……。
◆
その夜。
私は目を覚ました。
突如、強大な魔力を感じたためだ。
――これは、ドラゴン?
ドラゴン――魔族の一種だ。
知能は高く、妙に尊大。当然、口に見合うだけの力もある。
魔王であった私に突っかかってきたのもこの種ぐらいだろう。
……私からすれば子供と戯れるようなものだったが。
そういえば、やつらの寿命は長命であれば3000年ほどだったか。
もしかしたら生前の私を知っているものがいてもおかしくはない。
機会があれば驚かせてみるのも悪くないかな……っと。
思い出に浸っている場合ではない。
魔力は、徐々にこの村へと迫りつつある。
――ちっ。言いつけを破るのは気が引けるが……。
通りすがりのドラゴンならばいいが、あまりに直線的にこちらへきているのが気にかかる。
私は布団から抜け出し
――少し肌寒いな。
出る前に、寝間着に上着を羽織る。
途中、「コトリ」と物音を立ててしまい、周囲をうかがうが――
お姉ちゃんが目を覚ました様子はない。
私は一人、家を後にした。