一話 まおうさまの たんじょうび
書き溜めているので毎日19時に更新します。
逆に言えば、19時に投稿できなければストックが尽きてギリギリということです。
私は、微睡の中を揺蕩っていた。
――ああ、ああ、ただ、ただ心地良い。
ほんの少し前まで激情に浮かされていたのが嘘のようだ――。
ぼんやりとした意識が少しずつ、定まっていき――私は覚醒した――。
◆
「産まれた……! 産まれましたよ!」
姦しい女の声が私の耳朶を打つ。
――ううっ、やかましい。不愉快だ。
何故だかどうしようもなく泣きわめきたい気分になるのを必死で堪える。
全身をぬるい液体に浸されたかと思いきや、すぐに何か肌触りの良い物体――恐らく布だろう――に包まれた。
「セシリア様、抱かれますか?」
「ええ……」
そのまま私は手渡された。
――暖かい。
今まで味わったことのない安心感に、つい身を委ねてしまいそうになるが、自分を律する。
目を開けてみれば、私は女の腕の中にいた。
金髪碧眼の美しい女だった。長い髪が乱れたままベッドに散らばっている。目の周りには隈が出来ていて、疲労からかぐったりとしているのが伺えた。
しかし、それでも彼女の美しさを損なうことはなく、むしろ生命力と色気を感じさせた。
彼女がセシリアとやらだろうか。
……状況から察するに、セシリアが私の母親なのだろう。
そう、私は赤ん坊になっていた。
「すぐに、旦那様とお嬢様をお呼びいたします」
キンキンと甲高い声で、もう一人の女が言った。
ふくよか――といえば聞こえはいいが、大分太っていて眼鏡をかけた女だった。
決してここは王宮や格調高い屋敷ではない。互いの服装も部屋も質素なそれ。
だというのに、変に礼儀正しい会話に失笑してしまいそうになる。
現に、セシリアが寝転んでいるのも豪勢なベッドではなく、簡易的なものに毛布をかけただけのものだった。
「お願いするわ。……それからアンナ、私はただのセシリア。様はいらないわ。あの人も旦那様じゃない。ただのエイベルよ」
「はっ、申し訳ございません」
詫びるとすぐにアンナは部屋を出て行った。
二人のやり取りを聞きつつ、記憶を探る。
――ああ、そうだ。思い出した。
彼女たちの会話は汎用人間語だ。人間界で最もポピュラーな言語。かつて、人間族――ヒト、エルフ、ドワーフ、竜人の総称だ――たちが使っていたのを覚えている。
どうやら、私は人間――母親を見るにヒトに転生したらしい。
私はかつて魔王――バルバトスと呼ばれた存在。復讐のため『転生の秘術』により生まれ変わったのだ。
◆
人間族に産まれたのは想定の範囲内だった。
魔界がすでに存在しないのだから当然である。魔界に住む人類種――魔族は恐らく滅亡したのだろう。
生きていても、極少数が人間界に逃げ延びた程度か。
私はこれから、人間どもを駆逐し、かつての『勇者』へと自分自身と魔界の民の敵討ちを行うのだ。
まずは――この暖かさを失うのは惜しいが――手始めとしてセシリアには消えてもらおう。人間族はすべて敵である。
魔力を練り上げるため集中する。
私の作り上げた『転生の秘術』とは、魂の記憶や知識はそのままに新たな肉体へと輪廻転生するシステムである。
かつての頑強な肉体は失われた。
しかし、魔術は魂の中に受け継がれているため、生前のものを問題なく使用することが出来る。
前世で数千年の間研究し尽くした魔術だ。弱った一般人を惨殺することなど、赤子の手を捻るようなもの。
――いや、この場合、私が赤子なのだが。
まずは小手調べ、下級の炎魔法【炎弾】を使うとしよう。
この程度なら、赤子の魔力でも発動できる。
「|あー、だばば、あああー《燃え上がれ炎》」
言葉にならない間抜けな呻きが口から洩れるが問題ない。魔術の行使とは、マナを練り上げてそれに意味を与えることが重要なのだ。正確なイメージと意思の表現が出来ていれば、言語の体をなしているかは関係ない。
「あーばばーばー」
――何も起こらなかった。
「あら、坊やったら、力んじゃって。おしっこかしら?」
セシリアの愛おしげな声も今の私には空しいだけだ。
自身の肉体に宿る以上に魔力を要する魔術を使った場合、失敗し、ただ魔力が霧散するだけに終わる――というのは聞いたことがある。
しかし、『魔王』として生まれた前世では、全身が魔力で満ち溢れ、そんな経験は一度もなかった。
この肉体にはスズメの涙ほどの魔力もないのだろうか。
恐る恐る、【魔力感知】を行った。
幸い、【魔力感知】は魔力を必要としない。理由は簡単、魔術ではないからだ。
魔力操作――魔術を行使するための前段階の一種である。魔法使いなら誰もが行っていること。
私はそれを発展させ、自由自在に魔力を操れるようになった。
魔術の研究中に編み出した一種の小技であり、残念ながら私以外に使用できる存在に出会ったことはない。
ちなみに、この世界では生あるもの全てが大小差はあれど、魔力を所持している。
人間界、魔界に拘わらずだ。つまり、私も人間である以上、ある程度の魔力を持っているのが当たり前なのだ。
が
――ほんの少しも魔力を感じないだと!?
魔力総量0。
それが私の新しい肉体だった。
――ここはまさか、人間界ではないのか……?
もしかすれば魔法の存在しない、人間界でも魔界とも違う異世界という可能性もある。
そんな疑問に駆られセシリアの魔力を検知してみた。
――!?
喜ぶべきだろうか。彼女に魔力はあった。第三の異世界ではないだろう。
だが、それ以上にセシリアの魔力量に驚かされた。
彼女の魔力量は『英雄』――かつての『勇者』の仲間たち――に勝るとも劣らないものだった。